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2019年04月20日 (土) | Edit |
久し振りに朝7時まで7時間以上眠ることができた。
早々と猫たちがデッキで朝ご飯を待っていた。
偶数日はバアの朝ご飯当番なので、まるでそれがわかっているようにデッキにいた。
朝ごはんを待つ猫たち
天気もいいので、買物がてら上田城のサクラを見に行くことにした。
もう上田城のサクラは散り始めとなっていたが、毎年のように見に行っているので、行かないわけにはいかない気がしていた。
上田アリオを駐車場に車を停めて、そこから歩いて上田城跡公園に行った。
千本桜まつりと称して毎年開花時期にイベントを催しているが、それも明日までだ。
最後の週末とあって屋台もお濠の周りを埋め尽くして営業していた。
せっかくの花見にあまりいい光景とは思えないが、それを商売にしている人には生きていく手段だから仕方がないのかもしれない。お濠の周りを二周した。
上田城① 上田城②
花見の後はアリオからイオンに車を移動して買物をした。
朝のパンを焼くうえで必要なレーズンは、イオンで売っているレーズンが一番使いやすい。
他にも生鮮食品が足りなくなってきたので、お客様感謝デーのイオンで買物をした。
買物を終えて家に戻ったら12時半を過ぎていた。
昼食の後、テレビでJリーグの松本山雅とサガントスとの試合が放映されていたので、その試合を見た。
前半の10分に山雅が先制したあとは、その1点を死守するため、試合終了のホイッスルが鳴るまで、防戦一方の戦いとなった。
前回J1の昇格したときはわずか1シーズンでJ2に降格してしまった。
今年は初めから残留狙いが目標だ。そういう意味ではまずまずのスタートを切っている。
現在最下位のサガントスを叩いておくことが重要だった。
サッカーの試合が終わった後、N-boxでクロネコヤマトの営業所に行った。
午前中の上田への買物にN-boxで行くつもりだったが、バッテリーがあがっていてエンジンがかからなかった。
クロネコに行く前に、フィットのバッテリーとつないでエンジンをかけた。
営業所に着いても用事が済むまでエンジンをかけっぱなしにしておいた。
ヤマトで先日の海外旅行でスーツケースが届かず空港宅配便で送れなかったので、先払いしていた料金の払い戻しを受けてきた。
家に戻ってきたら、庭のシダレザクラいい色に咲いているのが目についた。
年々花の量が増えてきて見栄えがするようになってきた。
シダレザクラ
2019年04月19日 (金) | Edit |
今朝は6時半に起きた。起きる30分前から目は覚めていた。
旅行から帰って以来、睡眠のリズムが狂っていて長い時間眠り続けることができていない。
今日は佐久平水彩画研究会の例会があるので、8時15分に家を出た。
途中遅い車が前を走っていて、佐久市内に入ってから信号に引っかかるようになり、会場の創錬センターに着いたら9時5分前だった。
ただ、会員は時間前には揃っていなくて、三々五々集合時間を過ぎて集まってくる、という感じだった。
今までかかわってきた東御や上田の会とは、時間感覚が違うようだ。
今日から新年度ということで年会費の徴収があった。
いよいよこれから一会員として正式に加わることになった。
今日はU先生を迎えて、日本水彩展に出品する人は最後の作品研究の場となった。
今月上田支部の例会に作品研究会に来たのは、研究会からは一人だけで、他の3人の会員はこの研究会で1月からU先生に指導を受けているので、上田支部の研究会には来なかった。
その3人に作品も今日初めて見させてもらったが、いずれも完成度が高いしおそらく入選間違いなし、というレベルの作品だった。いつも当落線上にあるジイの絵とは違う。
今年から佐久平水彩画研究会に入会することにしたのも、この人たちと一緒に勉強して大いに刺激を受けたいと思ったからだ。
東京展を目指していない人も5,6人いて、そういう人たちもU先生に、先月の例会で2色だけの絵具を使って描いた静物画の講評をしてもらっていた。
午前10時から昼食の30分をはさんで午後3時まで、全員の作品を丁寧に講評し、指導・助言をしてもらった。
U先生は毎回長野から来てもらっているわけではなく、次は8月に来てもらうことになっている。
佐久平水彩画研究会
午後3時に創錬センターを出て家に帰ってきた。
帰りは往きより10分早く家に帰ってきた。
家の入口のサクラが5分咲きになっていた。
まだ、若い木なので花の数が少ないが、散り始める前にもう少し花の数が多くなるだろう。
シダレザクラもいい色になってきた。
サクラ
2019年04月18日 (木) | Edit |
6時過ぎに目が覚めた。しばらくするとタイマーでセットしておいた洗濯機が回りだした。
耳を澄ましていると水を入れるときの音などが聞こえてきたが、普通に眠っていれば目を覚ましてしまうような音ではなかった。
7時前にバアも目を覚ましたようなので一緒に起きた。
今日も快晴で気温は日中ぐんぐん上がって20℃を越えた。
10時過ぎにリハビリウォーキングに出かけた。
今日は田楽池のサクラを見に行った。池の手前のサクラは三分咲きになっていた。
リハビリウォーキング 田楽池のサクラ
昨日の佐久市の長野支場の時とはうって変わって、ポカポカ陽気で気分もよく、いつもより長めのウォーキングになった。
11時半過ぎに家に戻った後、イタリア旅行で買ってきた「耳たぶのような形のパスタ」を茹でた。
茹で時間12分と書いてあったが、12分ではまだアルデンテだったので、さらに3分茹で足した。
やはりお土産で買ってきたバジルが入った乾燥トマトを水とオリーブオイルで、ソースを作った。
塩味がしなかったので、トリュフ入りの塩を加えた。
イタリアで食べた時よりおいしかったと言いたかったが、それほど料理の腕があるわけではない。
ただ、南イタリア・シチリアで食べたパスタはみなアルデンテで、軟らかいパスタを食べ慣れていたジイには、少し抵抗があった。
耳たぶのパスタ
午後、先日の上田支部で行われた東京展に向けての作品研究会で、二人の先生から指摘された箇所の手直しをした。
空の雲の量を増やしたり、林のカラマツの隙間をなくしたり、しろかきのあとの泥が水面から出ている部分を増やしたり、いろいろ細かいところを手直しした。
もうこれが最後の修正にしたいのだが・・・。
明日の佐久平水彩画研究会にU先生が来るので、見てもらうつもりだ。
しろかきの絵
今日一日5月の陽気なったので、我が家のサクラも一斉に咲き出した。
庭のシダレザクラも午前中には2,3輪だったのに午後には数えるのが面倒になるほど開花していた。
シダレザクラ① シダレザクラ②
2019年04月17日 (水) | Edit |
朝庭のモミジにキツツキの仲間のコゲラがやってきた。
急いで手元のスマホで撮った。ピンボケだがそれらしくは見える。
遠くでギーッ、ギーッと鳴く声が聞こえてくることはあるが、近くには滅多に飛んでこない。
コゲラ
今日は午後3時に佐久総合病院で先月の静脈瘤の手術の経過診察の予約が入っているので、バアも一緒に午前中から佐久市内に行って、サクラの花見やリハビリウォーキングなどをした後に病院に行くつもりでいた。
朝起きて、今日はコープの宅配日だったと気が付いた。
海旅行前の3月20日の宅配以来ほぼ1か月ぶりの宅配なのですっかり忘れていた。
11時半過ぎに来た宅配を受け取ってから家を出た。
佐久のイオンでお昼の弁当を買い、最初のヤギの飼育場のある長野支場に行った。
去年の彩明会の例会で写生に行ったのが4月14日で、その時は桜が満開になっていた記憶があったので、サクラを見ながらお弁当を食べるつもりだった。
入口の駐車場が空いているので不思議に思ったが、長野支場の中に入って理由が分かった。
サクラはまだ全然咲いておらず、蕾も硬く我が家のサクラよりも遅れているのが一目瞭然だった。
桜の木の下に1台だけあったベンチに腰掛けてお弁当を食べた。
花見客が誰一人いないせいか、食べている間にも少し寒々してきた。
長野支場のサクラ
早々にお弁当を食べ終えて、いつも歩くカラマツなどの並木があるほうに車で移動し、リハビリウォーキングをしに行った。
昨日のようなポカポカ陽気なら何人もウォーキングしているとすれ違うのだろうが、今日は曇っているうえに少し風も吹き始めていたので、すれ違ったのは3人ぐらいだった。
1時間弱歩いて車に戻った。
もっと歩くつもりだったが風が出てきて歩きにくくなってきたので早めに引き上げた。
リハビリウォーキング
佐久総合病院には2時半に着いてしまった。
古い病棟が解体、除去されたところに広い駐車場ができ、止められるようになっていた。
診察に来た人の車は駐車時間に関係なく無料で止められるようになっていた。
駐車場で10分ほど待ってから診療窓口に行った。
駐車場から見える新しい病棟は、バアが去年医療センターで手術したあと、リハビリのために転院した病棟だった。
そういえばそのころ病室の窓から建物を解体する重機が見えていた。
もうそれから1年が経った。
3時の予約だったが、緊急の外来があったようで1時間も待たされたが、診察の結果もう静脈瘤の手術の経過診察は不要ということで無罪放免となった。
1か月以上付けていた弾性ストッキングからも解放される。
右足のほうも当分手術の心配はいらないとのことだった。
診察の最後に、歩行中の下腹部の痛みと血管との関連性について聞いた。
ジイの父親が動脈瘤の破裂で緊急手術を受けたことがあるので、もしやと思っていた。
医師の説明では、動脈瘤や静脈瘤は痛みを感じず、突然破れるものとのこと、先月のCT検査の画像を見ながら、大腸に変な凹みがありそうだということで、同じ外科のヘルニアの専門医に診てもらえるよう予約を取ってくれた。
ゴールデンウィーク明けに診察してもらうことになった。
2019年04月16日 (火) | Edit |
急遽洗濯機の買い替えを決め、今日の午後配達設置に来てもらうことになったので、朝食の後、家の掃除と洗濯機を置いてあるスペース内の片づけをした。
温水器と洗濯機を収納している畳1畳ほどのスペースだが、普段掃除機で掃除できない場所なので、埃や汚れが溜っていた。
午後1時ごろに来る、という電話があったので、10時ごろまでには受け入れの準備を済ませた。
雲一つない晴天で気温も上がってきていた。
風もなく絶好のウォーキング日和だったので、バアと30分ぐらい歩いてくることにした。
毎年家から開花すると見事な枝ぶりがよく見えるシダレザクラが、今日もピンクに色づき始めているように見えたので、とりあえずそこまで歩いて行くことにした。
近くまでいくとまだ、開花したばかりだった。
リハビリウォーキング シダレザクラ
ここから家に引き返しては30分にもならないので、さらに立科町のほうまで足を伸ばした。
気が付いたら50分も歩いて家に戻ってきた。
ついこの間まで寒さに震えていたのに・・・。
歩いているうちに、もう今年は雪も終わりだろう、と実感した。
家に戻って我が家のサクラを見ると、家の入口のソメイヨシノが4輪咲いていたので、バアが開花宣言した。
庭のシダレザクラはあとちょいだ。
入口のソメイヨシノが開花  庭のシダレザクラ
 まだ11時だったので、冬タイヤをノーマルタイヤに交換することにした。
お昼前に、N-boxのタイヤ交換を終わらせた。
少し早めの昼食を食べようとしていたら、少し繰り上げて20分後に訪問していいかという電話があったので、来てもらうことにした。
急いで昼食を食べて片付け終わったところにケーズデンキがやってきた。
最初に古い洗濯機の取り外しをしてもらった後、たまっていた埃と汚れを大急ぎで掃除した。
こういう時しか掃除できない。
新しい洗濯機は、今まで使っていた東芝製なので操作パネルなどあまり変わらないので、戸惑いは少なかった。
新しい洗濯機
電気屋さんが引き上げた後、早速洗濯をしたが時間も短縮できたし、音も静かでこれなら朝洗濯機の音で目を覚ますことも少なくなるかもしれない。
洗濯を終えた後、フィットのタイヤ交換をした。
N-boxよりタイヤも車体も大きいので、身体にはきつかった。
タイヤ交換のたびに自分の体力の衰えを感じる。
そのうちお金を払ってもいいから車屋さんに依頼する、ということになるのだろう。
交換したタイヤを高圧洗浄機で洗い、収納してある物置の掃除もして一連の作業を終えたら、筋肉痛が少し出てきていた。
タイヤ交換
今日のニュースで、パリのノートルダム大聖堂の火災、尖塔の崩落が伝えられた。
子どもたちからもLINEでその驚愕的な事実の感想が伝えられてきた。
1992年6月初めての海外旅行で、ヨーロッパに行ったとき、最初の観光地がパリの市内観光で、その行程でノートルダム大聖堂に行った時の感動は今もよく覚えている。
ステンドグラスのバラ窓、ドーム屋根を支える梁の先の動物をかたどった彫刻など今でも思い浮かべられる。
大聖堂の浦庭では、手風琴の台に数匹の猫を載せて奏でていた風景、土産物売り場で買って食べたソフトクリームなどその後のヨーロッパ旅行の原点になったものだった。
ぜひ一日も早く復興して欲しいものだ。
復興したノートルダム大聖堂を見に行くことを人生の最後の目標にしよう。
2019年04月15日 (月) | Edit |
朝4時半に目が覚めた。変な夢を見ていた。
在職中の異動の内示で左遷された夢だった。
もうそういうストレスから縁が切れて10年以上が経っているのに・・・。
旅行から帰ってからいまだに時差ボケが治らず、生活のリズムが崩れている。
早く目が覚めるときは大概夢を見ていた時で、それも昔の仕事に関連したものばかりだ。
6時半までベッドで寝ようとしたが眠れなかったので起きた。
午前中上田に買物に出かけた。冷蔵庫が空っぽになってきていた。
月曜日で上田アリオは空いていた。
新聞や雑誌、資源物などカートに積んで運ぶほどたくさんあった。
置き場に近い駐車場に止めることができたので助かった。
家を出るときは少し肌寒く感じたのでライトダウンを着ていったが、買物をしている間にどんどん気温が上がって暑くなってきた。
猫ご飯も底をついてきていたので、帰りにホームセンターに寄って買ってから家に帰った。
お昼を食べた後、リハビリウォーキングに出かけようとしたが家の周りは強い風が吹いていたので、明神池まで車で行って歩くことにした。
明神池の外周歩きは、ヘルニアになる前に1周15分で歩いていたが、今日はその15分を切るスピードで一周した。2
周した後近くの神社の階段を登った。
ジイの手を貸さずに自力でスムーズに登っていた。
海外旅行でたくさん歩いたり階段の上り下りをしたことで筋力もついてきたようだ。
サクラが咲き出しているかと思って行ったがまだ数輪が開花したばかりだった。
次は祢津の城山で桜が咲き出したら登ってこようか・・・。
リハビリウォーキング① リハビリウォーキング② 明神池のサクラ
1時間ほど歩いてから家に帰った。
家に帰った後、午前中手入れして干していた洗濯機の糸くず取りネットを洗濯機に取り付けようとしたら、手からネットがドラムの隙間に落ちてしまった。
取り出すために洗濯機を広い場所まで引き出そうとして、水道の蛇口と洗濯機をつないでいるパイプを外した。
洗濯機が重すぎて引き出せず、隙間に落ちた糸くず取りネットを取り出すことはできなかった。
諦めて、蛇口と洗濯機をつないでいるホースを元に戻したが、水を流すと水が漏れるようになってしまった。
もう買ってから14年目に入っている洗濯機なので、そろそろ寿命も近い。
これを機会に買い替えることにしたが、洗濯物は待ってくれない。
急遽上田のケーズデンキに新しい洗濯機を見に行った。
10kgの量を洗える洗濯機なら在庫があり、明日の午後には設置してもらえるというので、買い替えることにした。
先月の流しの水道の蛇口に続き、水回りがご難続きだ。
トイレや温水器など不安材料が山積している・・・。
洗濯機
2019年04月14日 (日) | Edit |
今日も6時過ぎに目が覚めてしまった。
今朝は昨日ほどの冷え込みにはならなかった。
少し曇りがちで、全県的に午後から雨の予報が出ていたので、雨が降ってくる前にと思い、朝食のあと畑に行って、去年野菜作りを終了させてから手付かずだった畑を久し振りにミニ耕運機で耕した。
冬の間草も生えてこなかったが、春になって畑の淵や中にも雑草がはびこり始めてきた。
このまま放置しておくとしっかり根を張ってしまう。
ミニ耕運機で畑全体を1回耕した。
新しく野菜を植えたりするときは、2,3回耕すが、今日は雑草を取るためだけなので1回で終わりにした。
耕運機の刃が入れられない、通路に敷いてある防草シートの脇の雑草は、手鍬で根から刈り取った。
ヒメオドリコソウやオオイヌノフグリ、ナズナ、ホトケノザなどに混ざって野生のビオラが咲いていた。
ビオラの花だけは見た目がかわいいので残した。
他の雑草にしたらとんでもない差別と思うに違いない。
確かに、「雑草」と分類するのは人間の身勝手だ。
食べられるもの、見た目にきれいなものは大事にされるが、それ以外のものは忌み嫌われて排除される。
普段の年なら、ここで畑を耕した後、苦土石灰や堆肥などを入れてもう一度耕し、ジャガイモの植え付けをするところだが、今日はそこまでの作業に至らなかった。
去年畑を終わらせるときに、来年は家庭菜園を休もうと思った。
今日、ミニ耕運機を動かしながら、ひょっとしたらジャガイモを植える気になるか自問自答したが、そういう気持ちは沸き起こってこなかった。
耕した畑 野生のビオラ
9時過ぎから始めて、12時前に作業を終えた。
久し振りの農作業で、足や腰が痛くなった。
庭のシバザクラや畑の道路わきのスイセンががまとめて咲き出した。
ソメイヨシノの花芽も赤く膨らんできた。あと数日のうちに開花するだろう。
週間天気予報では来週だいぶ暖かくなりそうなので、来週半ばには開花宣言できるかもしれない。
シバザクラ スイセン サクラの花芽
午後渓流釣りの仕掛けを作った。
こちらも去年の信州釣行以来のことなので、手順を思い出すのに時間がかかった。
年々指先が思うように動かなくなってきている。
今月末のみちのく釣行に必要な量を作った。
2019年04月13日 (土) | Edit |
今朝は6時に目覚ましをセットしておいた。
その目覚ましが鳴るまでぐっすり眠り込んでいた。
今日は彩明会の例会で、千曲市の大雲寺というところへ写生に行くことになっていた。
朝の外は氷点下4℃まで下がって、霜が降りていた。
7時前に顧問の先生に電話して迎えに行くことにした。
車で家を出ると、車の鍵の電池がなくなっているサインが表示されていたので、途中で引き返して家に戻った。
もう一つの鍵に取り換えて出直した。出先で鍵が開かなくなっては困る。
迎えに行く時間にも集合時間にも間に合った。
8時に中央公園を出て9時ちょうどに大雲寺に着いた。
雲一つない青空だった。サクラは一部開花し始めていたが、まだこれからだった。
午前中は、お寺の鐘楼に日が当たって陰影が強く、描くのが難しかった。
お昼を過ぎるとさらに影の位置が変わってしまった。
風景も写真を見ながら描くことが多くなってきているので、写生するときは影の位置を考えて描いていかないとだめだ。
午後1時半まで描いた後、顧問の先生の講評をしてもらって、写生を終了した。
千曲大雲寺 今日の絵
写生をしているときにサクラの写真を撮りに来た人から、近くの佐良志奈神社というところでカタクリが満開になっている、という情報をもらったので、帰りにその神社によってカタクリを見た。
我が家の近くの津金寺にもカタクリが群生しているが、こちらもかなりの広い範囲にカタクリが群生していた。
みちのく釣行の時に、いつも川べりでカタクリを見ているのでジイにはそれほど珍しいものではないが・・・。
佐良志奈神社 カタクリ
3時に中央公園に戻り解散となった。
先生を家まで送った後家に戻った。今日の晴れはどうやら一日限りで、明日の午後にはまた雨になるという。
浅間山の雪がまた白く増えていた。時間の問題だろうが・・・。
浅間の雪
2019年04月12日 (金) | Edit |
今朝は6時過ぎに目を覚ました。外は曇っているが日の出はとっくに始まっている感じだ。
今日はお昼前に埼玉から「保険の太陽」さんが車の保険の更新の手続きに来るので、リビングに散らかっている旅行関係の資料やお土産などを片付けた。こ
ういう時でもないと、家の中を片付けたり、ものを整理しようとする気力が湧いてこないのも、年取ったせいなのか?
気を付けないとごみ屋敷なってしまう・・・・。
11時ごろ太陽さんの社長と先代社長の娘さんがやってきた。
車の保険は同じ条件でも、1割以上保険料が上がってしまった。
70才を超えると事故率が高くなるせいで料率が上がるのと、去年5月のスピード違反のおかげでゴールド免許が取り消しになったことの二重の影響で高くなったようだ。
交通違反は罰金だけではなく保険料にも響き、それも1年だけではなく次の免許の更新まで続くので大変だ。
事故も違反も起こさない安全運転を心掛けなければとあらためて反省した。
保険の話の後は、海外旅行の話題に花が咲いた。社長は以前のツアーコンダクターの仕事もしていたらしく、海外の事情もよく知っていた。
午後から、旅行から戻って初めてバアとリハビリウォーキングに出かけた。
空は曇っていたが、風がなかったので歩きやすかった。
ただバアは歩き始めてしばらく、左足が固まって歩きがぎこちないと言いながら歩いていた。
少し足を伸ばして中八重原のブドウ畑のほうまで行ったら、新しくできたワイナリーの経営者夫婦がブドウの手入れをしていた。
今年のブドウから自分のワイナリーで醸造できる喜びに満ちている感じだった。
1時間ぐらいのつもりが15分オーバーして家に戻ってきた。
そのころにはバアの足もほぐれていた。
やはり足の回復には歩くことが大事であることを実感した。
畑のアンズが開花していた。庭のサクラより一足早かった。
リハビリウォーキング あんずの花
2019年04月11日 (木) | Edit |
このところ3日ほど深夜に暖房を点けている。
連日最低気温は、氷点下すれすれ、最高気温も一けた台で、室温も20℃を維持できなくなっている。
暖房を点けているので朝起きるのは辛くないが、睡眠が安定しない。
多分時差ボケが完全には回復していないのだろう。
バアよりは体調はよくなっているのだが・・・。
朝起きた時の外の景色は、まだ昨日の積雪がたっぷり残っていた。
朝はまだ寒気が残っていたが青空が出て日も射してくると、残っていた雪は徐々に融けていった。
午後4時ごろになると庭や周囲の畑に残っていた雪はすっかり溶けてしまった。
昨日、今朝、夕方と同じところから撮った写真があったので、その変化をブログに載せてみた。
昨日の雪 今朝の雪 夕方の雪
つくしんぼが雪の中から顔を出していた。この雪にびっくりしたことだろう。
浅間山はまた雪で山肌が白くなっていた。
頂上付近は雲に隠れて見えなかったが・・・。
つくし 浅間の雪
今日は午後から東御市文化協会の総会があったので出席してきた。
絵画部会は一昨年部会長をやった後、1年交代で別のグループの責任者が部会長をしているので、気楽に総会に出席できる。
総会の後は懇親会となっていたが、アルコールも出る会なのでそちらは欠席して帰ることにした。
総会に参加している顔ぶれを見るとほとんど高齢者で自分より若そうな人は5割以下に見えた。
みなグループの責任者だから仕方ないが、毎年登録会員数が100人規模で減少し、3月時点で1,300人ほどになっている。
市長が来賓あいさつで生涯学習の充実と文化芸術のますますの発展をと言っていたが、その言葉もむなしく聞こえてしまう。
文化協会の事務を担当していた生涯学習の担当部局も去年から手を離れ、自主運営するように迫られ、市の文化施設を指定管理受託しているNPO法人に委託する形で、組織の維持運営を図っている。
これではますます文化協会もじり貧になってしまうだろう。
総会
2019年04月10日 (水) | Edit |
天気予報では今日一日降雪となっていた。
午前3時半ごろ目が覚めた時に外を見たら、雪が降り始めているのが見えたが、全然積もってもいなかった。
次に5時半に目が覚めたら、もう外は一面の銀世界になっていた。
この時期の雪は、滅多にあるわけではないが、移住してきた年にも4月6日に雪が降ったことがあるので、驚くほどのことではないが・・・。
それでも一日降り続けるとは思わなかった。
合計すれば5㎝ほどの積雪になったが、午後からは水分の多いボタン雪だったので、それまで積もっていた雪も併せてどんどん融けていった。
ただ気温が日中でも2℃ぐらいまでしか上がらなかったので、雪は明日以降晴れ間が出るまで残るだろう。
朝の雪
こんな天候で外にも出られないので、一日南イタリア・シチリア旅行のブログに旅行中撮影した画像を入れたり、誤字脱字などを訂正したりして過ごした。
半日ほどで終わらせるつもりだったが、最後に終わったのは午後10時頃だった。
旅行中にブログで旅行の行程を書きとどめておいてよかった。
その記録と写真を照合するのも結構記憶が薄れていて難しかった。
一からブログを書かなければならなかったら、多分1日分か2日分でギブアップしたことだろう。
旅行から帰ったあと注文していた渓流の釣り竿が届いた。
旅行前に見たら満足な竿が一本もなくなっていた。
2019年04月09日 (火) | Edit |
旅行から帰ってきてから一度もリハビリウォーキングに出かけていない。
昨日バアは一人で県道まで歩いてきたそうだが、今まで50分ほどで歩いていた距離を1時間かかったという。
5日も歩いていないので左足が固まっていたという。
朝から晴れているので、午前中歩きに出るタイミングを計っていたが、ずっと春先特有の強い風が吹いていて歩きに行けなかった。
午前中のリハビリウォーキングを諦めて、上田アリオへ買物に出かけた。
ハッピーデーの翌日のせいか店内は比較的空いていた。
車窓から上田城のサクラが咲き始めているのが見えたので、城址公園を歩こうかと思ったが、上田市内も風が強く吹いていたのでやめて、家に帰ることにした。
途中ガソリンスタンドで給油したがまた値上がりしていた。イ
タリアでもスタンドの値段を見ると日本円で180円以上していた。
産油国にオイルマネーが集中しているように見えるが、産油国の国民すべてにそのお金が行きわたっているわけではない。
ベネズエラの現状を見るとひどいものだ。
買物から戻った後、午後になっても強風は止まなかった。
ジイは、夕方ウォーキングマシンで30分歩いて何とか目標の6,000歩に達した。
ジイの足も、昨日の夜手術した左足が突っ張っている感じがした。
やはり鍛えなければすぐに衰えてくる年齢になったのかもしれない。
バアも夜になってウォーキングマシンで20分ほど歩いていた。
イタリア旅行中のブログの再編集をするつもりだがなかなか取り掛かれない。
ようやく今日撮ってきた写真を整理して、どの画像を使うか選べるよう48枚を1ページに印刷したら、21ページにもなった。
明日からやるつもりだが・・・。
写真の整理
2019年04月08日 (月) | Edit |
今日は日本水彩上田支部の例会で、東京展に出品する作品の研究会の日だ。
今まで使っていた上田市内神川沿いにあった神川公民館が老朽化で廃止され、新たに別の場所に保育所との複合施設として新設された。
今回は、そこの学習室二部屋分を使って作品研究会が行われた。
新しい施設はまだ使い慣れないが、きれいで気持ちがいい。
指導してくれる先生は、U先生のほか長野支部の支部長も来てくれた。
支部長は今年の東京展の審査員を務める。
9時半からお昼をはさんで午後3時まで行われた。
中には一人で4点持ってきた人もいたが、一人約10分を目安に講評してもらった。
全部で20人の作品研究が行われた。
会員、会友、支部員ばかりで、初入選を目指す人は誰もいなかったのが寂しい。
ジイは、正面に壁に絵を立てかける仕事を請け負った。
ベニヤ板にクリップで留めて、壁に立てかける。全部で40点ほどあったので、終わったら腕が疲れていた。
まだ旅行帰りの疲れも残っているのか、終わったらぐったりきた。年のせいかもしれないが・・・・。
ジイの絵も何点かの修正を指摘された。
絵の上からチョークで、色の具合や影などを変化させると、絵の印象が変わっていくのが分かった。
他の作品のときも指摘されるところは、これからの描き方、気を付けるべき点など大変参考になった。
4時前に家に帰ってきたあと、上田へ買い物に行くつもりだったが、疲れてしまったのでやめた。
作品研究会
2019年04月07日 (日) | Edit |
昨夜は一度も目を覚ますことがなく目覚ましで目を覚ました。
少しずつだが時差ボケが解消しつつあるのだろう。
ジイの喉の痛みはかなり和らいできた。鼻水は止まらないが・・・。
どうやら喉の痛みのウィルスをバアにうつしてしまったようで、昨日あたりからバアが喉の痛みを訴えている。
明日は上田支部の例会で、6月の東京展に向けた作品研究会を行う。
例会は毎月第2火曜日だが、今回は長野市のU先生の指導を受けるため、先生の都合もあって、月曜日になった。
去年までは5月の連休の一日でやっていたが、それでは東京展には間に合わなくなるという反省から1か月早めることになった。
今年から参加している佐久平水彩画研究会では、1月・2月の2回U先生を独自に要請して作品の構想段階から指導を受けている。
上田支部の活動も、東京展の入選を目指した例会のあり方を考えないと、去年のように出品者の半分以上が落選する憂き目をまた味わうことになるのではないか?
そんなことを考えながら、佐久平水彩画研究会でU先生に指導を受けたところなどを、今日修正して最後の仕上げをした。
海外旅行に出かける前に、空の雲や青空をかなりの部分絵の具を落として、描き直せるようにしておいた。
どれだけ修正できたかわからないが、とにかく今の技量ではここまでだ。
ついでに姨捨の夕陽の絵も手直ししたが、自分の中ではこれは来年の出品候補作の一つにするつもりだ。
今年の東京展は「しろかき終えて」の絵に絞り込んだ。
これで入選できなければ、今後の東京展への出品は考え直すぐらいの覚悟だ。
しろかき終えて
今日は一日曇りの予報だったが、時々雲が薄くなって陽が差すときもあった。
1か月ぶりぐらいに洗車をした。
汚れがこびりついて高圧洗浄機で洗っても簡単に汚れが落ちなかった。
洗車
今回の旅行で、主な風景は一眼レフカメラで撮ったが、やはり普段使っているコンパクトカメラとは違って、画像の写りが全然違うのを実感した。
そこで、今日は一眼レフでサクラのつぼみやシデコブシ、ため池の土手のボケなどを撮ってみた。
違いが分かるかな?
シダレザクラのつぼみ シデコブシ 土手のボケ
2019年04月06日 (土) | Edit |
まだ睡眠のリズムが正常にも戻ってきていない。夜中に何度も目が覚めた。
特に昨日は布団が暑く感じて目が覚めた。トイレも2回もいってしまった。
朝食は、昨日買ってきたレタスや水菜の生野菜や自分で焼いたパンなどを食べた。いつもの朝の食事だった。
全日空からの連絡では今日の午前中にはスーツケースが届くことになっているが、半信半疑だった。
昨日は9時過ぎにバアのスーツケースが届いたので、クロネコヤマトなら届くかもしれないが、バアの時にあった事前の配達メールも入っていなかった。
しかし昨日と同じような時間にトラックが来た音がした。
クロネコヤマトの車だった。無事スーツケースが一日遅れで届いた。
すぐに心配してくれたツアーの添乗員さんに無事着いたことを電話で連絡した。
お昼ごろ娘達からもLINEで荷物が付いたか問い合わせてきた。
同じように心配してくれていた娘たちにすぐに連絡するのを忘れていた。
スーツケースの中身も何もなくなっているものもなく、カバンの外側も大きな傷などはなかった。
早速洗濯物などを洗濯し、お土産物を並べた。
バアのスーツケースに入れたものも合わせると、結構な量のお土産になっていた。
旅行のお土産
9時半から1週間分の朝ドラ新番組をみた。
これから毎朝見るなら、どういう舞台設定なのか見ておかないと・・・。
そのあと電源コードが戻ってきたパソコンが使えるようになったので、上田支部のMさんから頼まれていた文書を作成した。
電源につなげず電池モードで使うと、省電力モードになるため、途端にサクサクと動かなくなる状態になった。
設定を変えればいいのだろうが、そうするとあっという間に電池がなくなってしまう心配があった。
庭や家の周りを見てみると、もう開花し始めているかと思っていたサクラはまだ硬い蕾で、ほんの少し蕾の先が赤くなり始めているものがある程度だった。
家の入口のシデコブシが、昨日見た時はまだ蕾だったが今日は一気に開花していた。
庭の早咲きのスイセンが満開になっていた。
大きなラッパスイセンも開き始めていた。
他にもいろいろ目が土の中から顔を出していた。
10日も経つといろいろ変化があった。畑も雑草が広がり始めていて、野菜作りをするかしないかは別にして、除草のためにも畑を耕さなければいけないと思い始めている。
シデコブシ 早咲きスイセン
2019年04月05日 (金) | Edit |
昨夜入浴する時に体重を計った。
旅行中は朝昼晩しっかり食事をした。
旅行の後半で食べ切れない時もあったが、カロリーなど考えずおいしいものをしっかり食べることに心がけていたので、体重は2,3kgは増えていると思っていたが、わずか1kgしか増えていなかった。
昨夜は早めに寝たが、午前2時ごろから何度も目が覚めた。
なかなか寝付けない時もあったが、ここで起きたら時差ボケの悪循環になると思い、我慢して寝床に潜っているうちに眠りこんだ。朝7時にセットした目覚ましで目が覚めたが、また寝込んでしまって、実際に起きたのは8時前だった。
朝食は、出かける前に生野菜は全部食べるか処分してしまったので、野菜なしで食べた。
イタリアでもほとんど朝食に野菜は用意されていなかった。
イタリア人は朝食野菜はあまり食べないらしい。
9時過ぎには、昨日羽田空港で預けたバアのスーツケースが届いた。イ
タリアで買ったお土産など大半はバアのスーツケースに入っていたが、一部はジイのスーツケースに入っているので全部は揃わない。
午前中昨日一日のブログを書いてアップした。
さすがに昨日は疲れてブログを書くどころではなかった。
午後から立科町のツルヤに買物に行った。
野菜やらお惣菜やらこれからの食料を買い込んだ。
これでいつもの決まり切った生活が変りなく送れる。
帰ってから旅行中電話が入った上田支部のMさんから早速依頼された文書の作成に取りかかろうとしたが、ノートパソコンの電源プラグがジイのスーツケースに入れてあったので、パソコンの充電ができず使えなかったので文書の作成はやめた。
もちろん10日間の旅行記の画像の挿入などもできない。
夕方から時々睡魔に襲われたが、ここで眠ったら夜中に眠れなくなると思って我慢して起きていた。
喉の痛みは、薬を飲んだらだいぶ楽になってきた。
前回のように1週間以上苦しまなくても済みそうだ。
2019年04月04日 (木) | Edit |
フランクフルト18時10分発の羽田行きの便は10分ほど遅れて飛び立った。
往きの時より薄着をしていたせいか、機内の温度が低く感じた。
一昨日あたりから痛くなった喉が少し痛みが和らいできていたが、また痛くなってきた。
機中では、日本の映画を1本だけ見たあと眠ろうとしたがなかなか眠れなかった。
約11時間の飛行中眠れたのは2時間ぐらいだろうか。
羽田には12時過ぎに無事到着した。
まず入国審査だが、出国の時もそうだったが、今はパスポートの顔写真と目の虹彩を照らし合わせるだけなので、並ぶ必要もなかった。
すぐにスーツケースが送られてくるベルトコンベヤーで、スーツケースを待った。
同じツアーの人の中で北海道と福岡の人たちのスーツケースが出てきた後、それ以外の我々のグループは最後のほうになった。
まずバアのが来たあと、ジイのがなかなか出てこない。
そのうちツアーの人たちも順に受け取ってお別れを言いあったが、ジイのだけは出てこなかった。
気が付いたらもう新しいのは出てこなくなった。
ルフトハンザと共同運行している全日空の手荷物の係の人が、ジイの名前のタグが付いた黒いカバンが一つ残っているという。
ジイのものとは似ても似つかない代物だ。
手荷物のカウンターに行って調べたところ、ナポリで積み込む際にジイのカバンのタグが外れ、タグを再交付して張り付ける際にジイのカバンにではなく別人の黒いカバンに付けてしまったのではないか、とのことだった。
ジイのカバンの行方を調べてもらったところ、どうやらミュンヘンに行っているとのことだった。
ナポリの段階でジイのカバンはフランクフルト行きの飛行機には乗っていなかったことになる。
最終的にどういう形で手元に送られてくるのか、わかり次第連絡するとのことで、ひとまず羽田にとどまっていてもどうすることもできないので帰宅することにした。
そこまで添乗員さんも付き添ってくれていたが、そこで引き取ってもらった。
無事ツアー旅行も終わって添乗員さんも一息入れたいところだったのに、申し訳ない。
全日空の係員も別のカバンと入れ替わって送られてきたというケースは初めてだと言っていた。
1時間以上手間取ってしまった。
羽田からモノレール、山手線を乗り継いで東京で北陸新幹線のホームに行ったが、ちょうどいい新幹線は2分後でぎりぎり焦って乗るよりはと思って次の新幹線にしたら、40分待ちだった。自由席なので、待合室で発車を待つわけにもいかず、ホームで並んで待っていたが、立っていても眠ってしまいそうな睡魔に襲われた。
やっと新幹線が入構して車内に入れたのは発車3分前だった。
折り返し運転のため車内清掃があり、すぐに車内に入れてもらえなかった。
新幹線の車内では、眠くならないよう子どもたちとラインのやり取りをして眠気を追い払った。
上田駅には眠りこまずに無事降りた。
しなの鉄道は20分待ちで乗ることができ、田中駅で降りて駐車場に行った。
10日間置きっぱなしにしてあった車は傷も付いておらず、無事だった。
ツアーの人たちに話したら、うちの方だったらそんなことをしたらタイヤ4本とも持っていかれているよ、と脅され少し不安だったが、こちらはまだまだのどかなものだ。
午後5時半に自分の家に戻ってくることができた。
スーツケースがないので、片付ける荷物もあまりない。
気温が低い日が続いていたのか、家の中の温度が13℃まで下がっていた。
すぐに暖房を点けた。
眠いがすぐに寝てしまうと時差ぼけが抜けないと思い、寝たのは10時半だった。
やはりトイレやお風呂は自宅のものが落ち着く。日常が戻ってきたと感じた。
午後7時半ごろ全日空から電話があって、明日荷物が羽田に送られてきて、明後日には宅配されるとのことだった。
バアのカバンは明日の午前中に届くので、一日遅れでも無事に荷物が届けばよしとしようか・・・。
2019年04月03日 (水) | Edit |
今日はホテルのロビーに10時集合なので、ゆっくり7時まで寝ているつもりだったが、やはり毎日5時半ごろには起きていたので、6時過ぎには目が覚めてしまった。
朝食は混む時間を外して8時ごろに行ったら、高校生ぐらいの集団が席を占領していて座る場所を探すのに苦労した。
そのうち4人席が空いたのでそこでゆっくり朝食を食べた。
昨日の夜に痛くなっていた喉が、漢方の改源を飲んだせいか、朝になったらだいぶ喉が楽になっていた。
朝食の後部屋に戻ってスーツケースのパッキングをした。
新しく増えたお土産の荷物を足しても、制限重量の23㎏まではほど遠い重量だった。
東京に行ったときに東急ハンズで買ってきた荷物を分けて預けるための折り畳みのバッグを使うまでもなかった。
10時過ぎに迎えのバスに乗ってナポリ空港に行った。
30分もかからずに空港に着いた。
始めにスーツケースを預け、フランクフルト行きのチケットとフランクフルトから羽田までのチケットを受け取った。
その次に手荷物検査とセキュリティチェックを受けた。
バアはリュックの中身を出されてチェックを受けていた。
多分液体の入ったものがチェックされたのだろう。
フランクフルト行きの飛行機は午後1時フライトなので2時間以上時間があるので、空港内で添乗員さんお薦めのパスタを最後のお土産で購入した。
またお薦めのアイスクリームなどを食べて時間を潰した。
12時半に搭乗手続きが始まり、バスに乗って飛行機まで行った。
遅れはほとんどなく、午後1時ごろ飛び立った。
機内では、サンドイッチとコーヒーが出た。バアは食べ切れなかったようだ。
フランクフルトには、ちょうど2時間で到着した。
駐機した場所から乗ったバスがエプロンに着くまで10分以上かかった。
フランクフルト空港は本当に広い。
出国手続きをして、18時10分発の羽田行きのゲートがまだ時間が早過ぎて表示されていないので、およその見当を付けてZゾーンで待っている間に、ブログを空港のフリーWi-Fiを使ってアップすることにした。
日本時間では、今午後11時40分だ。
2019年04月02日 (火) | Edit |
朝4時ごろ上田支部のMさんから電話が入った。
電話に出ないつもりで切断ボタンを押したがなかなか切れない、そのうちにMさんが諦めたのか電話が切れた。
それからしばらく寝付けなかったがいつの間にか寝込んだらしく次は6時の目覚ましで目が覚めた。
まだ外は薄暗かった。夏時間になって2日目まだ時間の感覚が慣れていない。
7時からの朝食には全員が集まっていた。
この旅は、毎日出発が早いので朝食もほとんど7時からだ。
今日は、この度最後の観光として、ナポリから約50㎞、「帰れソレントに」の歌で有名なソレントがある半島の裏側にあるアマルフィ海岸観光だ。
半島が急峻な断崖になっているので、道路が崖にへばりつくように立っている建物を縫うように走る狭い道路なうえに、片側には隙間なく縦列駐車しているので、車1台がすれ違うのも大変なところが続く。
昨日までの40人以上が乗れる大型バスでは走れないので、今日だけチャーターしたツアーの21人と添乗員がやっと乗り切れる中型バスで行った。
8時にナポリを出発し、途中ポタジーノの近くの絶景スポットに立ち寄って写真を撮った後、11時にアマルフィ海岸に到着した。
始めに駐車場から鐘楼の屋根が黄色と緑のマジョルカ焼きで覆われている聖アンドレア大聖堂に行った。
正面のファサードはイスラム様式とビザンチン様式がミックスされた珍しい風貌をしていた。
アマルフィ海岸① アマルフィ海岸②
ここで自由解散となったので、はじめに海岸からの眺めを見に行った。
イメージしていたのと違って、海岸には砂浜はほとんどなく、波打ち際の砂は小砂利だった。
昨日まで快晴の日が続いていたが、今日から少し天気が崩れ始めたのか、崖の上に法には雲が垂れ込めていた。
でも薄日は差しているので贅沢は言えない。
メインストリートの両側にはショップが軒を並べているが、南イタリアのどこでも売っていそうな土産品ばかりで購買意欲は湧かなかった。
アマルフィ海岸③ アマルフィ海岸④ アマルフィ海岸⑤ アマルフィ海岸⑥ アマルフィ海岸⑦ アマルフィ海岸⑧ アマルフィ海岸⑨ アマルフィ海岸⑩
最後にもう一度聖アンドレア教会の上り階段を上がってめすきーな風の柱などを眺めた。
バアも付き合って階段を登った。
今度の旅行は想像していた通り、歩く距離も多く、階段や歩きにくい石畳などかなり大変だったろう。
最後まで弱音を吐かずに歩き通した。
最後まで頑張ったバア
フリータイムで昼食は各自でとなっていたが、添乗員さんがバスの運転手の紹介するお店を午後1時に予約してくれていたので、そのお店で昼食となった。
ちょうど12人だったので一つのテーブルに4人ずつで、テーブルには1リットル入りのワインと水が付いていた。
ムール貝やアサリの載ったパスタ、生野菜に以下と小エビのから揚げ、デザートはババ・コンクレマ・リモーネというお酒を浸したスポンジにアーモンドと生クリームを混ぜたような味のクリームがかかっていた。
ワインも席料もチップも全部込みで一人25ユーロだった。
ベテランの添乗員さんと地元に顔が効くドライバーさんの紹介がなければとてもこんな金額で食べられるような食事ではなかった。
美味しい白のハウスワインだったので、お土産に買って帰ることにした。
昼食① 昼食② 昼食③ 昼食で飲んだワイン
食事も終えて最後の観光地アマルフィ海岸を午後2時過ぎに出て一路ナポリへの帰路に着いた。
帰りは、途中から狭い道から抜けて別のルートでナポリまできたようだが、白ワインが効いたのか半分以上眠っていた。
4時前にはホテルに着いたので、歩いてすぐのナポリ駅まで歩いて行った。
ナポリを見ずして死ぬな、と言われているのでもう十分死んでもいいのかもしれない。
ナポリのホテル ホテルの窓からナポリ駅 ナポリ駅正面 駅通路
昨日の夜から、喉が痛くなり始めていて、このところ帰国すると発症していたのどの痛みや咳が、帰国前から出始めたようだ。
咳はまだ出ていないが・・・。
7時からの夕食は泊っているホテルのレストランだったので、食事ではお酒を飲むのをやめてコーラにしたが、食事は全部食べ切れなかった。
夕食① 夕食② 夕食③
部屋に戻って日本から持って行った日本酒を飲んだが飲み切れなかった。
明日はこちらの時間で午前10時ナポリ空港からフランクフルトに飛び、フランクフルトから羽田へ乗り継いで、予定では羽田に4日の12時15分に着く。
遅くとも夕方までには帰宅できると思う。
2019年04月01日 (月) | Edit |
昨日はアルベロベッロに向かう車中で、午前中の観光の記録を下書きしておいたので、アルベロベッロのホテルでの就寝前のブログのアップは早めに終わらせることができた。
ただ、その前の日にも含めてバスの中の揺れながら書いていたので、誤字脱字や文章の乱れを見直す余裕はなかったので、間違いが多かったに違いない。
それは、帰国してから後で画像も取り込みながら修正するつもりだ。
今日も予定した観光を終えてナポリに向かう車中で下書きを始めている。
昨日は早く就寝できたので、旅行中の中では比較的長い時間眠ることができたが、午前4時ごろスマホの受信音が何度も鳴り響いて目を覚ましてしまった。
元号の発表を受けてのニュースだった。
関心のある者には重大な発表かもしれないが、あまり興味も関心もないジイにとっては、ありがた迷惑なニュースだ。
腹を立てながらもまた寝入ったらしく、次は6時にセットしておいた目覚ましで目が覚めた。
旅行前には、アルベロベッロに来たら朝早起きして街中を散策する予定だったが、昨夜ライトアップされた街中を歩いてきたし、今日は朝食後最初に観光が予定されていたので、朝の散歩は取りやめた。
8時に集合して、ホテルまで迎えに来た現地ガイドに従って歩いてトゥルッリのある街並み観光を始めた。
世界遺産に登録されたアルベロベッロには、約1,500戸のトゥルッリがある。
始めに今も住宅として使用されているエリアを見学した。
アルベロベッロの人口は約1万人だが、トゥルッリに住んでいるのは約200人らしい。
残りのトゥルッリは商業施設として使われているものが多いらしい。
屋根や壁は石灰岩を切り出したものを積み上げて造られている。
屋根の黒いのは石灰岩に含まれている鉄分が長い年月で酸化して黒くなったとのこと。
白い壁は石灰を水で溶かして練ったものを塗っていて毎年のように塗り重ねているとのことだった。
壁の厚さは厚いところで1mにもなるらしい。
写真で見ていたものは、ごく一部の住宅の通りだけを撮ったものだったので、こじんまりしたところかと思っていたが、東京ドーム1個分の中にちょうど納まるような規模だった。
アルベロベッロの家並み① アルベロベッロの家並み② アルベロベッロの家並み④ アルベロベッロの家並み⑤ アルベロベッロの家並み⑥ アルベロベッロの家並み⑦ アルベロベッロの家並み⑧ アルベロベッロの家並み⑨ アルベロベッロの家並み⑩
1時間ほど散策したあとホテルまで戻って、バスに乗り次の目的地、ポリニャーノ・ア・マーレに向かった。
アルベロベッロから30㎞の道のりだが、途中はほとんどオリーブ畑だった。
アルベロベッロのあるプーリ州はイタリアのオリーブの60%を生産する一大産地とのこと。
それでも世界一の産地はスペインには遠く及ばないらしい。
約1時間でポリニャーノ・ア・マーレに着いた。
広い駐車場にバスを止め、小さなバスに乗り換えて旧市街まで行った。
海に面した風光明媚なところだった。
海沿いの崖を利用した要塞都市で紀元前4世紀ごろシラクーサを支配していた国王が造らせた要塞が始まりだという。
ローマに通じるアッピア街道が通っている場所だ。
ポリニャーノ・ア・マーレ① ポリニャーノ・ア・マーレ② ポリニャーノ・ア・マーレ③ ポリニャーノ・ア・マーレ④ ポリニャーノ・ア・マーレ⑤
1時間ほど自由散策し、ジイとバアはバールでカプチーノを飲んでトイレを利用した。
シチリアも南フランスもトイレ事情は芳しくなく、公衆トイレも有料のところがほとんどだ。
あまりきれいではない公衆トイレで、0.5ユーロ払うくらいなら、1.2ユーロのコーヒーを飲んでトイレを借りたほうがいい。
バール
11時前に小さなバスからまた大きなバスに乗り換えて次の目的地マテーラに向かった。
午後1時前にマテーラに到着し、最初に急な階段を降りたところにある洞窟レストランで昼食をとった。
始めに耳の形をしたパスタ、次にしっかりした硬さのソーセージ、デザートはジェラートだった。
食後は、足元が厳しい階段や滑りやすい石の道なので、酔って転ばないようにアルコールを避けてコーヒーにした。
昼食① 昼食② 昼食③
アテーラには、サッシと言われる凝灰岩を削って造った洞窟住居が無数にあった。
おそらく氷河期に削られたのだろう深い渓谷の底から上へと住居が掘り進められたらしい。
こういう場所は、経済的には恵まれない人たちが初めに住みついたところだ。
まったく日が当たらない場所にも無数の穴が開いていた。
今はそういう場所には人が住んでいない。
世界遺産になって今もいたるところで修復が進んでいるが、車も入れないようなところは朽ち果てたままのようだ。
イエスが生きた時代より前から、人の営みの中に貧しきものと富める者、強きものに虐げられる弱き者の悲しい歴史の現実が景色の中に垣間見られた気がした。
マテーラ① マテーラ② マテーラ③ マテーラ④ マテーラ⑤ マテーラ⑥ マテーラ⑦ マテーラ⑧ マテーラ⑨ 住居内展示① 住居内展示②
マテーラのサッシ(洞窟住居)の光景を目に焼き付けた後、午後3時半バスに乗って初日に降り立ったナポリに戻った。
ナポリ市内に入るころには通勤時間帯になるので渋滞に巻き込まれるかもしれないと添乗員さんは心配していたが、さほど渋滞もせずほぼ到着予定時間の6時半過ぎにベベレッロ港の近くの駐車場に到着した。
駐車場の近くにあるヌオーボ城を横目に見ながら、その先にあるレストランで夕食を取った。
ヌォーボ城
塩の利いた生野菜のサラダにピザ・マルガリータを食べた。
一昨日食べたピザより二回り小さかったが、一人一枚はとても食べ切れず、ジイもバアも残してしまったが、その後のデザートは全部別腹と言いながら食べてしまった。
二人で飲んだデキャンタ入りの白ワインは、500㏄入りだったが二人で全部飲み干した。
今までの旅行でこんなに飲んだのは多分初めてだろう。
夕食① 夕食② 夕食③ 夕食④ 
食後駐車場に止めてあったバスまで歩いて10分ほどだが二人で千鳥足だったかも?
ホテルはナポリ駅のすぐそばのラマダで、最後はいいホテルになった。
窓から駅のフォームが見えた。明日も連泊だ。
2019年03月31日 (日) | Edit |
いよいよ旅行の6日目、5時前に目を覚ましたが、昨日はもう外が明るくなっていたが、今朝はまだ薄暗かった。
早く起きてまた朝の散策をしようと思っていたが、荷造りなどをしていたら歩く時間が無くなった。
7時の朝食が始まる前に、スーツケースをドアの前に出した。
阪急のツアーでは原則スーツケースは部屋まで自分で運ぶことになっているが、バスが止められる場所とホテルが離れているため、唯一ここだけは会社の費用でポ-ターを頼み、運んでもらえる。
朝食の後今日の最終目的地アルベロベッロに行くため8時にバス乗車となった。
ここからアルベロベッロまでは、480㎞もある。
出発後イタリア本土に渡るフェリーに乗るためメッシーナ港に行った。
約45分かかって到着した。
9時10分ごろバスに乗ったままフェリーに乗船した。
バスで乗船
乗船後バスから降りてデッキに上がって出港する様子を眺めた。
ここから本土の側のヴィラ・サンジョバンニ港までは正味20分間かかるという。
本土とシチリアの最短距離は27㎞というから、日本ではとっくに橋を架けていたに違いない。
シチリア島に上陸するときはパレルモまで一晩かけてフェリーで渡ったのに比べ、短時間だ。
出航 本島へ
9時45分にバスに乗った状態でフェリーを降りて、最初の休憩地ピッツォに向かった。
港から一路アルベロベッロに向かうこともできたが、長丁場になるので会社の配慮で寄り道に考えてくれたところだ。
港町ピッツォでは、この地の名物であるタルトゥーファ・ネロというアイスクリームを食べた。
黒いチョコレートのパウダーをかけたアイスクリームで、アイスの中にヘーゼルナッツやキャラメル味のソースなどがかかった濃厚な甘さのアイスだった。
大きなアイスなのでバアと二人で1個がちょうどいい量だった。
ダンテ アイス
ピッツォは長靴の形の、甲の部分のところに位置していて、ティレニア海に面している。
かつては海の交通の要衝だったらしく、古くて堅固な要塞が残っていた。
高台から眺める海の景色は絵にかいてみたくなるような風景だ。
砦 海の眺め
ピッツォで1時間を過ごした後、バスで1時間15分走ったところにあるコゼンツァという町のレストランでお昼を食べた。
生野菜のサラダと牛肉と豆や野菜キノコを煮込んだ食事だった。
気温は20℃を越える暑さになっていたので、ビールを飲んだ。
昼食① 昼食② 昼食③
2時半に出発レストランを出て一路アルベロベッロに、途中のガソリンスタンドでトイレ休憩を1回休んだだけで5時40分にアルベロベッロのホテルに無事着いた。
ここで7時の再集合までゆっくり休憩できた。
7時に集合してトゥッリというとんがり帽子のような形をした屋根が並ぶ建物のレストランに専用の送迎バスで出かけた。
タオルミーナからここまで運転してきたバスの運転手は、労働時間の規制のため、アルベロベッロまでで、これ以上の運転はできないので別の運転手とバスが来た次第だ。
日本では大きなバスの事故のたびに規制が強化されているが、まだここまで徹底されていない。
運転手の労働条件の観点ばかりでなく、乗客の安全を守る意味からもきちんとした規制を法律化すべきだと思う。
運転手さんも同じお店で食事していたが、今日のお店のサラダのトマトはとてもおいしかった。
ジイが作っているトマトよりも数倍おいしかった。
さらにメインのムール貝のリゾットも貝のダシが効いていてこれもおいしかった。
白ワインをデカンタで飲んだが、バアと二人で分けて飲んだが飲み切れず同席した人に残りを飲んでもらった。
ワイン通のその人も同じ白ワインを飲んだが美味しいワインだと言っていた。
デザートのアイスクリームだけはレモンの酸味が効き過ぎていてジイは苦手だった。
夕食のレストラン 夕食① 夕食② 夕食③ ハウスワイン
美味しい夕食を堪能したあとはバスでホテルに戻り、アルベロベッロの中心地にみんなで歩いて行った。
明日のアルベロベッロ観光は朝の1時間ほどしか時間が取れない。
夜でお店は閉まっているが、日本人女性がここに住むイタリア人と暮らしていて、お土産他をトゥルッリで営んでいるので、特別にお店を開けてもらって、内部の見学とお土産の買物をさせてもらった。
日本のテレビにも紹介されているお店だそうだ。
ここでお土産をたくさん買ったので、荷物が一つ増えた感じだ。
キノコの屋根が見える屋上まで上がらせてもらった。
暗い街中に青いライトアップが幻想的だった。
陽子さんの家の中 陽子さんの家の屋上 アルベロベッロの夜景
2019年03月30日 (土) | Edit |
昨夜到着したタオルミーナのホテルは、崖の上に建っていてエトナ山とイオニア海の海岸線が見える絶景にあった。
ジイとバアの部屋からはその景色は見えなかったが、一緒のツアーの何組かは窓から見ることができたようだ。
夕食がホテル内だったので、食後はそのまま部屋に戻って寝てしまった。
朝早めに起きて、朝食前にタオルミーナの市内を散策した。
ホテルが町の入口にあるので、中心街に向かって10分も歩くと絶景が待っていた。
中央通りの両側は店舗が並んでいたが、さすがに午前7時前でお店は閉まっていた。
すれ違ったのは、ジョギングしている人と同じツアーの人たちぐらいだった。
ホテルの全景 タオルミーナの朝の中心街 タオルミーナの教会群 エトナ山
7時からホテルで朝食を取った後、8時過ぎにタオルミーナを出発して、世界遺産になっているシラクーサに向かった。
距離は123㎞、約2時間のバス旅だが、雲一つない青空の中を走った。
途中の風景は、オリーブやアーモンド、レモンやオレンジなどの柑橘系の木が、どこにでも見られた。
シラクーサに到着して最初にネアポリヌ考古学公園を訪れた。
ここは紀元前6世紀ギリシャの都市国家が形成されたところだ。
しばらく歩いた先に巨大な円形劇場があった。今まで見た円形劇場の中でも、一二を争う大きさだった。
残念ながら近いうちにここでコンサートがあるらしく、舞台を作る工事などの最中だった。
約15,000人を収容できる規模というから、日本の地方のサッカー場ぐらいの規模だろうか。
現地ガイドのイタリア人は、名前がベネチアーノという人で陽気で愉快な典型的なイタリア人だった。
ガイドの途中でサンタルチアを歌ったり、どんぐりコロコロなどを口すさんだりした。
大の日本好きで自宅には露天風呂まで作ったそうだ。
健康のため毎日味噌汁を飲んでいて、添乗員さんに今度来るときに味噌を届けてもらう約束をしていたらしく、その味噌を受け取って上機嫌だった。
円形神殿 ガイドのベネチアーノ
円形劇場のあとは、規模が小さい闘技場があった。
これはすでにギリシャからローマに支配が変わった後のものらしい。
円形劇場
次にシラクーサの中心地にバスで行き、海岸近くの駐車場にバスを停めてそこから市内を歩いた。
はじめにアレトゥーザの泉を見学、この泉がシラクーサの街づくりの基礎になったらしい。
泉のそばでオート三輪が止まっていた。今度の旅行では、シチリアでも南イタリアでもよく見かけた。
シラクーサの市街地 アレトゥーザの泉 珍しいオート三輪
さらに市街地に入ってアルテミスの泉などを見た後、大きなドゥオモを見た。
ギリシャ神殿の列柱を再利用する形で教会が建てられていた。
ヨーロッパに来ていつも感心するのは、紀元前からの石造りの建物が、戦争のたびに破壊され支配者は変わっても、残った土台や壁の一部、石材を使って再構築されることだ。
その技術が受け継がれているのか、近代になっても世界大戦による幾多の破壊にあっても、数百年前のものが復元されて今に残っていることだ。
木造文化の日本のように、一度更地にして全く違う新しいものを建てるのとは違う。
 アルテミスの泉 シラクーサのドゥオモ① シラクーサのドゥオモ② シラクーサの市庁舎
 シラクーサの市内観光の後、市内のレストランで昼食を取った。
昼食のパスタ 魚料理 デザート
再び3時過ぎにタオルミーナに戻った。
タオルミーナに戻った後、市内の徒歩観光をした。
傾斜地に作られた市街地の中間の高さにメインストリートがあり、途中ところどころに上に上がる階段、下に下がる階段があった。
狭い路地の両側にはレストランやショップが建ち並んでいる。
朝散策したときは閑散としていたが、とおりは観光客であふれていた。
人口1万人強というから、観光以外に何も産業がなさそうだ。
中心地を通り抜けた先にギリシャ劇場があった。
午前中のシラクーサのものと比べると、3分の1の5,400人が収容できる規模だった。
ギリシャ時代は、ギリシャ悲劇が演じられる舞台を囲むような形になっていたようだが、その後ローマの支配に変わった後は、闘技場に変えられてしまったようだ。
このギリシャ劇場の見学を終えた時点でフリータイムとなった。
午前中から歩き詰めだったがバアも円形劇場の一番高いところまで登った。
ギリシャ神殿② ギリシャ神殿③ ラオルミーナ神殿④
ホテルから一番遠い位置になるので、ホテルに戻りながら途中市民公園まで行ったり、お土産屋でお土産を買ったり、ホテルに近いスーパーで水を買った後、ホテルに戻った。
市民公園
ホテルで30分ほど休んだ後夕食に出かけた。
狭い路地の階段を上がったところにあるこじんまりしたレストランに入った。
白ワインに野菜サラダ、ピザとパスタを1品ずつ頼んだ。
一人ずつ頼んだら食べきれないと思った。はじめにサラダとピザが出てきた。
サラダは、店の人がオリーブオイルと塩を混ぜて二人の皿に取り分けてくれたがまだ半分残っていた。
ピザはLサイズで二人で食べたが食べ切れなかった。
次にパスタが来る前に店の人が日本語で描いたメニュウを持ってきたので、追加の料理の注文を取りに来たのかと思って、ゼスチャーでもうお腹がいっぱいで食べられないからいらないといった。
そしたら待てど暮らせどパスタが来なかった。
どうやら親切にパスタの具材を日本語に書いたものを見せに来てくれたらしい。
結局パスタを断ったことになったので、丁度良かった。
思ったほど安くワインを入れても34ユーロで済んでしまったので、40ユーロを払ってお釣りはチップにした。
ワインをお替りしたので、すっかり酔っぱらってホテルに戻った後ブログもアップせずに寝てしまった。
今夜で夏時間に変わるので、1時間短縮される。
ブログを書いていると寝不足になりそうなので、ブログは明日のバス移動中に書くことにした。
夕食のワイン 夕食のサラダ 店員さんが取り分けてくれた 大きなピザ
2019年03月29日 (金) | Edit |
昨夜は11時ごろに就寝したが、4時ごろに一度目を覚ました後、5時前までうつらうつらしていた。
気が付くとバアが起きて着替えを始めていた。
ジイもバアも時差ボケなのか、疲れて眠いはずなのに、長い時間熟睡できずにいる。
もともと5時半に起きる予定だったので、ジイも目覚ましが鳴る前に起きた。
7時に朝食会場に集合となっていたが、それまでにスーツケースをロビーまで運ぶことになっていた。
添乗員さんは、朝食抜きで荷物の番をしていた。
食事の後外に出て歩こうと思ったが、曇っていて道路も通勤時間帯のせいか混雑しているようだったので出歩くのはやめた。
8時にホテルを出発して、今日の最初の観光地ピアッツァ・アルメリーナに向かった。
途中ドライブインでの20分の休憩を含め3時間走って到着した。
パレルモ市内が混雑していてそこを抜け出すのに手間取ってしまった。
あとは高速道路や一般道も車も空いていた。
パレルモからの距離は約160㎞だった。
はじめにピアッツァ・アルメリーナの中心市街地から少し離れたところにある「カザーレ荘」に行った。
ここは紀元4世紀ごろに建てられた建物で、総面積3,500㎡で約40室で、床、壁、回廊すべて精緻なモザイク模様が施されたものだ。
その大きさや豪華さから推して、国王級の人物の別荘として建設されたのだろう、と言われているがその人物までは特定でされていないそうだ。
地震や土砂災害で埋もれていたために、後世になって保存状態がいい形で発見されたようだ。
モザイク模様を作る技術は、アフリカのチュニジアからもたらされたものと言われている。
モザイク細工はチュニジア人がやったのだろうとガイドが言っていた。
アフリカ大陸というと日本人にとっては遠いところのような気がするが、世界地図を見ると意外とチュニジアとシチリアとは近い。
ナポリからフェリーで一晩かけて渡ってきた距離より、チュニジアの首都チュニスからシチリア島の西の端までの距離のほうが断然近い。
モザイクに使う大理石は、一番装飾が施された絵では24種類の色が使われているという。
高いところから見るとまるでフレスコ画のようだ。
床にモザイクで描かれているということは、足で踏みつけられるのを前提にしている。
踏まれても変化しないものとしてモザイクで描いたのだろう。
完全な形で残っているわけではないが、建設当時はすごいものだったに違いない。
大集会場 大集会室想像図 外の中庭 中庭 部屋の内部① 部屋の内部② 寝室
バスで15分ほど行った高台にピアッツァ・アルメリーナの旧市街がある。
紀元4世紀には車といえば馬車などの荷車の時代、旧市街から離れた山の中に別荘を建てるために資材を運ぶだけでも大変だったに違いない。
どのくらいの年月をかけて造ったのかまではわからないが、すべて人力で模様を貼り付けたのだから、気の遠くなるような作業だったに違いない。
ジイが1枚の絵を描くのとは比べ物にならない。
ヴィラ・ロマーナと言われる「カザーレ荘」を見学したあと、ピアッツァ・アルメリーナの旧市街もに行った。
ここも世界遺産になっていて、急斜面に建てられた建物が所狭しとひしめき合っていた。
一番高いところにある大聖堂まで歩いて登った。
3人ほどが途中にあるレストランで待つことになったが、バアは他の人と一緒に大聖堂まで歩いた。
ピアッツァ・アルメリーナの旧市街地 教会への坂道の始まり 教会① 教会②
降りてきた途中にあるレストランで待っていた人たちと合流して遅い昼食となった。
前菜は野菜たっぷりのサラダ、メインは牛肉巻きで、イメージと違っていたが味は良かった。
ランチ① ランチ肉巻き ランチデザートプリン
昼食後は、36㎞離れたカルタジローネに行った。
駐車場でバスから降りると3両編成の、日本でいえばトロッコ電車風の乗り物に乗り換えた。
これに乗って旧市街地の中心部に行った。
いくつも教会があって、入場観光はしなかったものの、外壁にはいろいろタイル張りやモザイク模様が施されてあった。
ガイドの話では内部は装飾が素晴らしいとのことだった。
ここも坂や階段の多い街で、途中スカーラという階段の蹴上がり部分に様々な模様のタイルが張られた階段があった。
トロッコ電車風の車は自動車のタイヤなので、階段までは上がれない。
旅行に出る前から、この階段は登らなければならないのかとバアは戦々恐々だったが、登る登らないはフリ-タイムで個人の判断にゆだねられていた。
全部で142段あるというので、途中までバアと一緒に登り、残りはジイだけで一番上まで登ってきた。
降りてきてバアと合流して一緒に下まで降りながら段数を数えたら、35段だった。
フリータイムが終わり再びトロッコ電車で駐車場まで降りた。
トロッコ電車風のバス スカーラという階段 階段の上からの眺め
この町も世界遺産になっていて、小さな町なのにたくさんの教会があった。
陶器の町でたくさんの陶器を売る店が並んでいた。
4時半にカルタジローネを出て、今夜泊まるタオルミーナへ。
タオルミーナは地中海につながるイオニア海に面した高級リゾート地だ。
6時15分に到着した。崖の上に立っているように見える大きなホテルだった。
残念ながら今も噴煙を上げるエトナ山やイオニア海の眺望ができる部屋ではなかった。
数人の人はその幸運を享受できたようだが・・・。
夕食はホテルだったので、8時半には部屋に戻ってブログを書いた。
ホテルの夕食① ホテルの夕食② ホテルの夕食③ 地ビール
2019年03月28日 (木) | Edit |
昨夜は夕食に飲んだワインのせいで8時には就寝してしまったが、途中フェリーのエンジン音や隣室の物音、波の揺れなどで何度も目を覚ました。
寝不足と時差ボケで疲れ切っていたが、4時過ぎからはなかなか寝付けなくなった。
5時ごろ気が付くとバアがすでに起き上がっていた。
ジイも起きてトイレに行った後水を流そうと思ったら水が出てこなかった。
これですっかり目が覚めた。
バアのために船内の別のトイレを探しに行った。
途中で何人か同じツアーの人に会ったので、聞いたらみなトイレの水が出なくなっているとのことだった。
ちょうど朝食が始まる時間だったので、部屋に戻って朝食券を持ってレストランにいくと、出会った人たちがまだレストランに入れず入口で並んで待っていた。
まだ準備ができていなかったようだ。こういうアバウトさがイタリアらしい。
添乗員さんがいたのでトイレのことを伝えると早速伝えに走ってくれた。
多分船にいる間に直ることはないだろう。
30分遅れでオープンしたレストランの朝食は、クロワッサンにフルーツのジュースとコーヒー1杯の簡単なものだった。
それ以外並んでいるものを取るとそれは有料とのことだった。
朝食を終えた後荷造りをして7時15分に集まって、しばらくフェリーから出てくるバスを待ち、頃合いを見計らって下船した。
それほど待たずにトラックの合間を縫ってバスも出てきた。
パレルモに着いたフェリー
バスに乗って初めにパレルモの市内観光をした。
少し霧雨が降ったり止んだりしたが傘をさすことはなかった。
はじめにパレルモ市内観光をした。
映画ゴットファーザーⅢにも出てくる大きなマッシモ劇場をはじめ、ノルマン王宮、カテドラル、クアトロカンティという十字路などを下車観光または車窓観光した。
移動した距離は短いが、通勤ラッシュなどで車が混んでいて時間がかかった。
マッシモ劇場 王宮 カテドラル クアトロカンティ(十字路)
一通り市内を観光したあと、パレルモから8㎞離れた山の上にあるモンレアーレヘ向かった。
ここには、市内にあるカテドラルに対抗して、当時の王が自分の意になる司祭を司教にするためにもう一つの教会を立ててしまった、という逸話の教会ドゥオモがある。
バスの駐車場から94段もある階段を登った後さらに石畳の坂を上った先にある教会だが、バアも雨で少し滑りやすくなっていた階段をものともせず登り切った。
モンレアーレの坂道
ドゥオモの中は、大理石の柱や床には金やカラフルなモザイクが施されていて、絢爛豪華な造りになっていた。
権力を誇示するような教会の内部だった。
ドゥオモ ドゥオモ内部① ドゥオモ内部② ドゥオモ内部③
見学をし終えた後30分ほどのフリータイムだったが、階段を降りるのは登るときよりバアにとっては大変なので早めに駐車場まで降りてみんなが降りてくるのを待った。
モンレアーレのドゥオモを見た後、再びパレルモ市内に戻り、今日泊まるホテルに荷物を預けた。
今日は午後からオプショナルでアグリジェンドへ行くグループと行かないでフリータイムでパレルモ市内で過ごす人に分かれるため、最初に荷物を預ける形にしたらしい。
フリーの人がチェックインができる午後2時以降いつでもホテルに戻れるように配慮した結果だ。
11時にジイとバアを含め13人がアグリジェンドに向けて出発した。
雲が垂れ込めていたパレルモと違って、アグリジェンドは、シチリア島の下の中央、地中海に面した町だ。
途中から青い空が広がり始め、陽も差してきていかにも地中海気候らしくなってきた。
ナポリからパレルモまでくる間の海の色と地中海の海の色は全然違っていた。
地中海の海は、海底が石灰岩の砂や岩で形成されているので、車窓からでも青く見える。
午後1時過ぎにアグリジェンドに到着し、観光の前に昼食を取った。
シチリアの郷土料理「アランティーニ」というライスコロッケなどを食べた。
アランチーニ アランチーニの中 牛肉 甘いデザート
アグリジェンドは、フェニキア人に征服された後、紀元前6世紀にギリシャに征服されてギリシャの都市国家になったので、その当時の神殿などがいくつも残っていた。
その遺跡の中には、現在のギリシャに残されているものよりも保存状態のいいものもあった。
2,500年も前に遺跡が残された背景には、ギリシャの後、ローマやその後の東ローマ帝国などの征服支配の形に起因するところ大のようだ。
一番保存状態の良いコンコルディア神殿は、のちにローマカトリックの教会として使われて、列柱の内部に壁を設けたことにより、耐力壁のおかげで幾多の地震でも持ちこたえられた可能性があるとのことだった。
ヘラの神殿、コンコルディア、ヘラクレスの神殿を歩いてみて回った。
ヘラクレス神殿は個人が自分の資産をなげうって修復したそうだ。
ヘラ神殿 コンコルディア神殿 ヘラクレス神殿
最後にゼウス神殿を見たが、こちらはほとんど崩れ落ちた外壁や、列柱の周りを見て回った。
ゼウス神殿というだけあって神々の頂点に立つ神を祀るための神殿だが、残念ながら完成することなく崩壊したそうだ。
ゼウス神殿
パレルモの帰路も約2時間30分でホテルに戻ってきた。
パレルモへの帰路バスに乗っている間に、昨日と今日の一部のブログの下書きをした。
観光した場所や建物などすぐに記録しないと忘れてしまう。
ホテルに戻った後、夕食はフリーだったが、添乗員さんがホテルの近くにあるレストランに予約してくれてあったので、そこで夕食を食べた。
前菜はムール貝、メインは細かく切ったパスタだったが、味付けがジイ好みでとてもおいしくて完食してしまった。
デザートはカンノーロという甘いケーキでジイは喜んで全部食べたが、バアは甘すぎて一口だけ食べて残していた。
今夜も飲んだ赤ワインですっかり酔ってしまった。
半分居眠りしながら、ブログを完成させた。
ワイン 夕食① 夕食② 夕食③
2019年03月27日 (水) | Edit |
昨夜11時半ナポリ空港に着き、手荷物を受け取って迎えのバスに乗って、ナポリ市内のホテルに着いたときは、もう12時になっていた。
旅の荷物をほどき、シャワーを浴びてベッドに入ったのは2時前だった。
徹夜をした後のように疲れ切っているのに、神経は高ぶっていて、寝つきは良かったのに、何度も目を覚まして5時ごろからはなかなか寝付けなかった。
バアも同じようにごそごそしていた。
食事は8時に集合してグループ一緒にテーブルに着くようになっていた。
集合時間より少し早く部屋を出て、ホテルの外からホテルの外観を撮ろうとしたが、外は通勤時間帯で車の通りが激しくてうまく撮れる場所が見当たらなかった。
ナポリのホテル
朝食の後、荷物を片付け9時15分にロビーに集合し、最初の観光地ポンペイに向かった。
雨の降った後らしく道路が濡れたところもあったが、雨は降っていなかった。
曇りがちの空だが、青空も一部のぞいていた。
ポンペイはナポリから27㎞の距離にある。
ナポリからポンペイに向かう車窓の中からカプリ島が見えた。
青の洞窟などがある島だが、今回の観光のルートには入っていない。
カプリ島
観光の都合か最初にポンペイ遺跡の入口にあるカメオショップに案内された。
初めてイタリアに行ったときにカメオのブローチを買ったので、今回はバアもカメオには見向きもしなかった。
カメオショップ
ポンペイは紀元74年に近くのベスビオ火山の噴火によって都市全体がその噴煙で埋もれてしまった。
その遺跡が発見されたのが18世紀中ごろ、それ以来発掘され続けているが、いまだに発掘は続いている。
紀元74年の日本はまだ弥生時代後期、住居は竪穴式という時代だが、ポンペイではすでに、水道や道路などのインフラが整い、商業施設や娯楽施設、宗教施設なども整備されていたのが驚きだ。
そのころの生活様式まで残された遺跡から類推することができる。
2万人を収容できる円形競技場など当時の人口規模も分かるし、サウナ付きの浴場やその排水を利用した水洗トイレの跡まで残っている。
円形劇場 住居跡
石畳の道路には排水設備も整備されていた。
石畳に車の轍が付いていた。
ポンペイの道路 車の轍(わだち) 水場
すでに鉄の車輪を使って運搬が行われていたことが想像できる。
建物の形や大きさから貧富の差までわかる。
海路を使った交易で経済的な富を築いた都市国家だったことが遺跡を歩いているそこかしこに見受けられた。
ポンペイに限らず、ヨーロッパのどこへ行ってもローマ帝国の影響を見ることができるが、現代にいたるまで幾多の変遷を経て今があるのと違って、紀元74年から歴史が止まったまま現代に蘇ったというのは、ポンペイだけだ。
大きな建物の入口の内側の壁にフレスコ画が残されていた。
壁に描かれたフレスコ画には、ルネッサンス時代に開花したと思われていた遠近法の描写が、すでに紀元1世紀にその手法で描かれたものが残っていたことなど驚きだった。
遠近法のフレスコ画
別の大きな建物には、モザイクで装飾された泉が残されていた。
まだ竪穴住居に暮らしていた日本に比べて、すでに地中海周辺ではこれだけ高度な文明の中で、人々が暮らしていた。
日本ではようやく稲作による定住文化が始まったばかりというのに・・・。
精巧なモザイクの噴水① モザイク噴水②
神殿などがある広場から、ポンペイを一夜にして噴火で埋め尽くしてしまったベスビオ山がよく見えた。
神殿のある広場 広場から見えたベスビオ山
広場の一角に、発掘で出土したたくさんの陶器が並べられていた。
大きな壺は、ワインを入れて船で運ぶために作られた形という。
埋もれていた人体の模型も展示されていた。
埋もれていた人物や陶器
3時間の観光の締めくくりは、秘儀荘と言われる当時の富裕層の別荘を訪ねた。
床には精緻なモザイク模様が施され、食事をする場所では、鮮明な色彩のフレスコ画があまり褪色せずに残されていた。
秘儀荘全景 秘儀荘のフレスコ画① 秘儀荘のフレスコ画②
長い時間をかけて見学した割には、息をのむような遺跡群で時間が経つのも忘れさせてくれた。
秘儀荘から歩いて行けるレストランで遅い昼食をとった後ナポリに戻って市内見学をした。
昼食① 昼食② 昼食②
ポリ市内の中心にあるサンタキアラ教会などを3つの教会を入場観光した。
教会の中は、他の国々を代表する教会に比べるとそれほど華美とは言えないが、床や柱にはモザイクがあったり何世代にもわたった歴史が分かる様式の変遷が随所に見受けられた。
サンタキアラ教会ファサード サンタキアラ教会② サンタキアラ教会③
2時間半ほど市内見学をした後は早めの夕食をナポリ市内でとった。
まだお昼を食べてから3時間半しか経っていなかったので、あまり食べられなかった。
夕食に頼んだ赤のハウスワインが飲み切れないほどあったので、レストランを出たころには立っているのが辛くなるほど酔いが回っていた。
夕食① 夕食2
夕食後は、港から出るフェリーに乗った。
明日の朝シチリア島のパレルモに入港する。
フェリーに乗り込み船室に行ったが、小さなベッドが鍵型に二つ、小さなシャワールームと洗面台、トイレがワンセットになったものだけの部屋だった。
海が見られる窓もない4面壁の部屋だった。
部屋が狭いので、スーツケースはバスに積んだまま、一泊するのに必要な最低限のものだけを用意するよう言われていた意味がようやく分かった。
ジイは着替えも入れてこず、ワインで酔いつぶれて8時過ぎには寝てしまった。
フェリー室内
2019年03月26日 (火) | Edit |
朝5時半起床、朝食を取り午前6時40分に家を出た。
田中駅7時19分発のしなの鉄道に乗車する。
外の気温はまだマイナス2℃で肌寒い。7時前に駅に着いた。駅の待合室にはストーブが点いていた。
田中の駅はエレベータやエスカレータがなく、跨線橋を渡らなければならないので、バアの足のことを考え早めにフォームに行った。
上田駅までは定刻通り、新幹線も定刻通りで、さすが日本の鉄道だ。
東京から浜松町経由モノレールで羽田国際線乗り場まで行った。
到着時間は9時50分と、家を出てから3時間10分で着いた。
成田や羽田など以前は自家用車で行っていたが、もうそんな体力も気力もなくなった。
集合時間は10時45分で、だいぶ前に着いたのでツアーのチェック前に両替をした。
手持ちのドルをユーロに両替しようとしたが、それだとドルから円、円からユーロと二重の手数料がかかるというので、仕方なく円だけで両替をした。
ツアーカウンターで添乗員さんから航空券を受け取り、手荷物を預けた後、早めのお昼を食べた。
前回も食べた記憶があるお店だった。
お昼を食べた後もまだ時間があったので、出国手続きをした後、ビザのラウンジで出発時間を待った。
飛行機はルフトハンザ航空で、最初にミュンヘン空港まで行き、そこから乗り継ぎでナポリに向かう。
ミュンヘンまでは、今回はプレミアムエコノミーを使った。
機内サービスはエコノミーと変わらないが、シートピッチやリクライニングの角度、シート幅などに差がある。
バアの足や腰への負担を考えて奮発した。
去年は海外旅行に行けなかったので、その分だと思えばいい。
二人席だったので、隣に別の人がいないので気兼ねなく機内で過ごせた。
羽田出発
飛行時間は11時間半、エコノミーよりシートがゆったりしているのでしっかり睡眠が取れるかと思ったが、モニターの画面が大きく、日本の映画を3本と洋画1本を見ていたらほとんど眠ることができなかった。
最初の食事は日本食でおいしく感たが、羽田で食べたお昼からあまり時間が経っていなかったので、全部食べ切れなかった。
ミュンヘン到着前の焼肉ご飯は、冷凍やけして硬いところがあり、これも半分も食べられなかった。
ミュンヘンには日本時間の深夜0時過ぎ無事到着した。
和食の機内食 間もなくミュンヘン到着
今月末までは冬時間なので8時間の時差、現地時間で午後4時だった。
しかし、ここからナポリ行きの飛行機は、午後9時20分なので5時間以上の待ち時間だ。
おかげで、時間がたっぷりあるので今その待ち時間でブログを書いた。
2019年03月25日 (月) | Edit |
今朝も冷え込み、昨日よりさらに冷えて最低気温はマイナス9℃になっていた。
寒冷紗を外したキンモクセイやイチジクには申し訳ない感じだ。
先週具合が悪くなった台所の蛇口の修理に朝一番で来てもらうことになっていた。
間もなく9時になるところで電話がかかってきたので、これから会社を出るという連絡かと思ったら、近くまで来たが家の場所がわからない、という電話だった。
外へ出たら家の裏のため池のところに車が止まっていた
。家の電話もワイヤレスなので持ったまま外へ出ることができてよかった。
すぐに蛇口を点検してもらって、蛇口のヘッドと金属製のホースを交換してもらった。
この部品を取り寄せるのに日数がかかって、すぐに来られなかったのだと言い訳していた。
混合栓を一体で交換することも考えていたが、全部を交換するとなると工賃も含めて3倍以上の費用が掛かるとのことだった。
30分ほどでヘッドとホースの交換が終わった。
支払いは後日請求書が送られてくるということで、今日支払わずに済んだ。
旅行前に水道が漏れずに出るようになってホッとした。
修理に来てもらうまでどうやって水漏れに対処するかいろいろやってみて、最終的にはジップロップで水を受け止め溜めることで、シンクの底や床まで水があふれてこなくなっていたので、待たされることにいら立たずに済んでいたが、旅行前に解決して胸をなでおろした。
留守中に水があふれるようなことになったら大変だった。
ホース 交換したヘッド
午後市の総合福祉センターへ行く用事ができたので、バアと出かけて用事を済ませた後、近くの中央公園でリハビリウォーキングをした。
家の近くでは少し風があって午前中は歩くのを見合わせていたのだが、ここでは風もなくポカポカ陽気だった。
公園では小さな子供を連れた家族連れが何組も遊んでいた。
周回道路を3周した後階段の上り下りを練習してから家に戻った。
旅行を目標に頑張ってきたリハビリウォーキングも今日が最後だ。
リハビリウォーキング
明日の朝は早く家に出るので、今夜は早く寝るつもりだ。
明日からしばらくブログは、休むつもりだ。
時間に余裕があったり、ネットの環境が良ければメモ程度のものをアップするかも・・・。
2019年03月24日 (日) | Edit |
今朝は5時半に起きた。毎年この時期は町内会の道路清掃の日だ。
6時集合になっている。
もう10年以上ここに住んでいるが、遊びに行くための早起きなら何の抵抗もないが、こういうことの早起きは慣れることはなく、なかなかすっきりと目覚めない。
特に今朝は昨日よりさらに冷え込んで、最低気温はマイナス8℃まで下がっていた。
5時半で外はもうだいぶ明るくなっていた。
ただ東の空には雲がかかっていて、地平線との間のわずかな隙間から、赤い朝日が漏れていた。
6時前の天気
6月と9月に行われる道路清掃は、草刈りだが今日は道路に投げ捨てられたごみやタバコの吸い殻を拾う作業なので、時間は30分ほどで終了した。
やっている間に白い風花が舞ってきていた。
作業が終わって家に戻るころには、日の出を塞いでいた雲も切れて明るい陽射しになっていた。
掃除を終えた後
氷点下だった気温も、午前10時半過ぎには6℃にまで上がっていたので、バアとリハビリウォーキングに出かけた。
風が出始めてきたので、風当たりの弱い立科町の町道を、いつもとは逆の外倉の郵便局の近くまで往復した。
1時間ちょっとで家に戻った。
午後ジイ小屋で1時間ほど、東京展に向けて「しろかき」と「姨捨の夕陽」の2枚に手を加えた。
「しろかき」は空のブルーと雲を可能な限り色を落とした。
もう一度空と雲を描き直したかった。
かなり水を使って色を落としたので、すぐには乾かない。
空と雲を描き直すのは、地中海の空を見てきて旅行から帰ってからだ。
2019年03月23日 (土) | Edit |
今朝はマイナス2℃まで気温が下がっていた。
お彼岸の前後のこうした寒さと昨日のような暖かさを三寒四温と言って、次第に春めく季節を表現してきた。
田舎暮らしをしているとそれを肌で感じることができる。
午前中、スーツケースを羽田空港に届けてもらうために、立科町のクロネコヤマトに行った。
クロネコメンバーカードが威力を発揮した。
伝票を手書きする必要もなく、タッチパネルに名前などを入力するだけで、往復の伝票がプリントアウトされた。
スーツケースを営業所に持ち込んだのでそれも割引の対象になり、空港宅配サービスの一般的な料金より割安で依頼することができた。
これで出発日は機内持ち込み手荷物だけの身軽な形で羽田まで行ける。
スーツケース
お昼になっても空は曇りがちで、気温も5,6℃までしか上がらなかった。
少し寒かったが、昨日は強風で外歩きができなかったので、午後1時過ぎにリハビリウォーキングに出かけた。
真冬の寒さに比べればそれほど寒くないはずだが、暖かくなり始めて身体がそれに順応してきてしまっているので、数字以上に寒さを感じてしまうのだろう。
それでも風の弱いコースを選んで1時間ほど歩いて家に戻った。
浅間山もここ数日で雪がだいぶ融けて、「心」という雪形が分かるようになってきていた。
リハビリウォーキング 浅間山
午後3時過ぎ添乗員から挨拶と旅行についての注意事項などの説明があった。
ツアーの人数は21人とのことであまり多過ぎずよかった。
2019年03月22日 (金) | Edit |
今朝起きてデッキの温度計を見たら、まだ7時だというのに10℃になっていた。
昨日の暖かい空気が残っていたようだ。
ただ、風が昨日の午後リハビリウォーキングで歩いたときよりさらに強くなっていた。
この風が一日中吹き続けていたので、今日のリハビリウォーキングは中止したが・・・。
バアは室内でしっかり電動ウォーカーで歩いていたが・・・。
風が強くて、キンモクセイ、ギンモクセイに掛けている寒冷紗が飛ばされそうになっていたので、外すことにした。
まだ遅霜もあるかも知れないが、他の木々はもう春の息吹を感じるようになっているので、過保護もよくないだろう。
畑のイチジクの木の寒冷紗と稲わらも外してやった。
昨日の気温などイチジクもきっと暑苦しく感じていたに違いない。
イチジクの寒冷紗 イチジク
家の入口の芝生のところに植えてあるシデコブシの花芽が、覆われていた毛皮が裂けて、赤い花芽が顔を出し始めていた。
コンパクトカメラでは風に揺れてピンボケになってしまうので、一眼レフで撮った。
サクラの花芽も膨らみ始めた。
昨日は東京で開花したが、こちらでは4月にならないと開花しないだろう。
シデコブシ サクラの花芽
庭のサンシュユやツバキも咲き出した。
ツバキは、長野のマイスターの古民家の庭から苗木をもらってきて植えたものだ。3本もらってきて七二会三兄弟と銘打って植えたが、育ったのはこの1本だけだった。
今年は数えきれないほどつぼみが付いているので、切り花にして飾ろうか。
スケッチしてもいいかも・・・。
サンシュユ ツバキ
午後になっても、台所シンクの蛇口の業者から連絡がないので、どうなっているのか問合せをした。
夕方になって電話が来て、修理に来られるのは25日の午前中になるとのことだった。
水道を使うたびに、シンク下に水がたまるので早く来て修理してもらいたいのだが、相手はのんびりだ。
昔なら怒鳴りつけてしまうところだが、相手のペースに合わせるしかないと達観できるようになった?
シンクの下に溜まる水を受け止めるように、ジップロックの袋を取り付けたらそれに溜まるようになって、水が床にあふれてこなくなった。
あと三日それで我慢するつもりだ。