2021年04月11日 (日) | Edit |
久し振りにカレンダーに予定が書かれていない日になった。
天気も上々なので、ジャガイモを植えることにした。
まずはミニ耕運機で土を耕した。
去年の12月に天地返ししてあった畑は先日一度ミニ耕運機で耕してあったので、今日は3往復して耕したが、かなり土が細かくなった。
種イモに使うキタアカリは、先月シェフナベさんに頼まれたときに一緒に買ったものだ。
3㎏入りの袋に入っていた。1個のイモが大きめだったので、半分にしたら全部で40個になった。
他に男爵イモは去年の食べ残りがあったので、ダメモトで植えた。
1列の畝に12個ずつ、全部で5列に植えた。
男爵イモは発芽しないものが出るかもしれないので、植える間隔を狭くしたら全部で22個になった。
去年、テントウムシダマシ対策で初めて殺虫剤を新芽が出そろった後1回だけ使ったら、全く捕殺せずに済み、収穫も多かった。
今年も殺虫剤を試してみようと思っている。
作業を終えたら12時を過ぎていた。
3月下旬から4月初めまで気温が高かったので、早くジャガイモを植えなければと、少し焦る気持ちもあったが、今の気温は平年並みか3月下旬の温度なので今にして思えばちょうどいい植え時になったと思う。
午後は、気温が上がり風も弱く絶好のウォーキング日和となった。
歩くコースに長女の家も入れて遠回りをしながら歩いた。
途中毎年同じ場所で咲くカキドオシが今年も咲いているのを見つけた。
今年も健気に咲いた雑草にホッとした。
長女の家の庭では、今年植樹した木をチェックした。
ほぼ全部ちゃんと根付いたようだ。水やりもしてあった。
長女たちは不在のようだったので声を掛けずに家に戻った。
ジイの歩数計は、午前中の畑仕事も加えて12,000歩台になっていた。
夕方、ジイ小屋で「凍てつく朝」の絵を仕上げた。
13日の作品研究会に間に合わせるため慌ただしく描いたので、前作より出来は良くない気がする。
その作品研究会がなくなったので、昨日は脱力感に見舞われたが、今日は意地で仕上げに取り掛かった感じだ。
副支部長から、作品研究会を1週間後の20日にやらないか、と電話があった。
ジイは予定が入っているので参加できないと返事をした。
1週間でコロナの状況が変わるわけはないのに、何をいまさらと思った。
凍てつく朝の絵を仕上げた後、畑に行くと夕陽に満開になったスイセンがきれいに並んでいた。
5種類のスイセンが全部そろって満開になっていると壮観だ。
寒冷紗を掛けて冬越ししたイチゴの苗にたくさん花が咲き始めていた。
去年初めて苗を植えたので、どう育てていいかわからないが、イチゴができたらうれしい。
品種はトチオトメだ。
タマネギも順調に育っている。
畑にいたら昨日から少し尖っていた気持ちが穏やかになった・・・。
2021年04月10日 (土) | Edit |
今日は彩明会の例会の日だが、いつもなら8時15分には出かけるのだが、今日は30分遅く家を出た。
当初、今の時期はアンズの花盛りなので、千曲市のアンズの里に写生に行く予定をしていたが、今年はアンズの開花が早まって満開が過ぎ、数日前の遅霜の影響も加わって、すべて落花したというネットからの情報があった。
そこで急遽予定を変更して、近くの信州国際音楽村のスイセンを描きに行くことになった。
9時半集合にしたのでゆっくり家を出ることができた。
昨日からまた上空に寒気団が張り出してきていて、少し肌寒くなった。
スイセン畑を鑑賞するのはいいが、それを絵にするのはとても難しい。
今まで何度も描きに来ているが、まだ1枚も満足のいく出来栄えになったことがない。
今日ははじめから2枚は描くつもりだった。
はじめにスイセンを描くのは避けて、根子岳や四阿山の風景を描くことにした。
ふもとに菅平のスキー場もある山だが、この時期にはまだ残雪があるはずなのにすっかり山肌が見えるようになっていた。
実際の風景とは違うが、春らしくサクラを入れて6号のサイズの紙に描いてみた。
11時過ぎまで描いて仕上げた後、スイセン畑のほうに移動した。
何年か前に描いた同じ場所から同じような構図で描いた。
今度はスケッチ画で描くことにした。
はじめに鉛筆でデッサンしたあと、その線に沿って油性のサインペンでなぞった後鉛筆を消した。
もっとしっかりデッサンをしたほうがいい絵になるかもしれないが、ジイの今のデッサン力ではここまでだ。
お昼をはさんで1時半まで描いた後、みんなが集まって、自分の絵の感想やほかの人の感想などを話し合った。
今日は先月の彩明会の会員展を見に来て、今度は一緒に描いてみたいという人が来ていて、その人も描いた絵を展示してもらった。
一緒にやっていけそうだ。
次回の例会も参加するように誘った。
午後2時過ぎに家に戻って、一息入れた後リハビリウォーキングに出かけた。
風が少し強くなっていたが、真冬の頃を思えばたいしたことない風と寒さだった。
気分がいいので1時間以上歩いて家に戻った。
家の庭がすっかり花で色づいていた。
家に戻った後夕食までジイ小屋で「凍てつく朝」の絵の続きを描いた。
完成まで80%ぐらいまで行ったか・・・。
13日の作品研究会には間に合わせなければ、という気持ちだ。
夕食の後支部長から電話があって、13日の作品研究会を中止する、とのことだった。
県内のコロナ感染者が40人台、30人台が続いていることは確かだが、みな病院や施設のクラスターが中心なので、マスクや消毒を徹底すれば研究会もできるのではないかと思っていたので意外だった。
上田支部の前回の日本水彩展の入選率は決して高くなかったので、今回こそしっかり作品研究会を行って作品のレベルを上げて出品したい、という思いがあったのだが・・・。
中止を決めた人達は無審査の日本水彩の会員の人たちだから、研究会がなくなってもさほど痛痒を感じないのかもしれないが、毎回出品のたびに入選か落選か気を揉む会員や会友ではない支部員にとっては、大きな機会を失った喪失感がある。
支部員の連絡網を使って連絡員の人たちに電話連絡したが、その後は脱力感に見舞われて何もやる気が起こらなかった。研究会の準備や事務連絡の印刷も今夜やる予定だったが・・・。
13日は雨の予報が出ているが、作品研究会が中止になったので、近くの川に渓流釣りに行くことにした。
2021年04月09日 (金) | Edit |
今朝はまた少し冷え込んで氷点下まで下がったようだ。
朝起きると室内が肌寒く感じた。
外は快晴で景色がすっきりと見えた。
午前中のリハビリウォーキングは、車で明神池まで行って歩いた。
池の周りのサクラが見ごろになっていた。
花びらはまだ散り始めていない。7分咲きと言ったところか。
ケヤキやカラマツなどの樹木も新芽が出始めていた。
池の周りだけではなく、周りの分譲地のほうまで足を伸ばした。
住宅の花壇には花がいっぱい咲いていた。
新しい家が多いので、みな花の咲く樹木や山野草を庭に植えて楽しんでいるようだ。
結構歩いたつもりだが、1時間までかからなかったので、6,000歩に届かなかった。
歩いているときに浅間山の噴煙が風向きのせいか、いつもより多く上がっていた。
先月23日に噴火警戒レベルが1から2に引き上げられたばかりなので、気になるところだ。
午後は接骨院に車で行った。コロナの影響で接骨院に来る人も減っているようで少し心配だ。
帰りに長女の家のガレージにあった板材を車に積んで帰った。
来週の上田支部の作品研究会の時に使うためのものだ。
夜は、明日の彩明会の準備と、先月の会員展にかかった費用の算出などをパソコンで整理した。
東御美術会の記念誌実行委員会の会議が12日にあるので、その準備もした。
なんだかんだとやることが多い。
政府は、福島第1原発からでる放射性物質トリチウムを含む処理水を海洋放出する方針を固めたようだ。
一昨日全漁連会長と会談し、強く反対の意思を示されたにもかかわらず、聞くだけのポーズで結局結論ありきだった。
もっと時間をかけて合意形成を図るべきだ。
漁業補償だけで済む問題ではない。
トリチウム汚染水の処理方法の検討もまだ不十分だ。
2021年04月08日 (木) | Edit |
今日も一日晴れだった。午後から少し雲が多くなって時々陽射しが遮られた。
午前中祢津公民館に行って、日本水彩展に向けた自主研修に参加した。
ジイも含めて3人が作品を持ち寄って、正副支部長から指導を受けた。
ジイの「凍てつく朝」のPとF50号の絵は並べてみると、後から描いた絵の、小屋の大きさや山の大きさがおかしいのがよくわかった。
遠近感がまるで違っていた。
ジイ小屋の狭いところで描いていると気が付かなかったが、離れてみるとよくわかった。
お昼までやったあと家に戻った。
午後は、丸子のツルヤとデーツーに買物に行った。
買物をする前に近くを流れる依田川沿いの土手をウォーキングした。
桜並木が満開を過ぎて散り始めていた。
この辺りはシーズンになるとアユの釣り場になるところだが、一昨年の台風で一部護岸が壊れて修復工事が行われていたが、今は一段落したのか水は濁っていなかった。
シェフナベさんからいつ釣りに行くのかと聞かれたが、なかなか行けない・・・。
1時間ほど歩いた後買物をした。
夜になって、ジイ小屋で背景の山の稜線や小屋の一部を消し、描き直した。
13日の作品研究会まで仕上げるつもりだが、今度の日本水彩展に出品するのは、去年実施されていたら出品するつもりだった「春近し白馬鑓」のほうにしようかという気持ちに傾いている。
2021年04月07日 (水) | Edit |
今朝は氷点下までは気温が下がらなかった。
朝までに雨が降ったのかデッキが少し濡れていた。
晴れていたが風が少し冷たく感じた。
昨日の夜ようやく3日ぶりにちゃんとした食事が取れたせいか、元気が出たので午前中ジイ小屋で「凍てつく朝」の絵の続きを描いた。
明日午前中、正副支部長と会うが作品を見てくれるというので、できる限り完成度を高くしておきたい。
午後は、佐久総合病院の補聴器外来の予約をしてあったので、バアも誘って一緒に2時前に着くように出かけた。
前回耳鼻科に行くとすぐ呼ばれたので、今度もすぐ呼ばれると思ったが、一足先に診察室に入った人が長引いて20分も待たされてしまった。
2週間試用させてもらった耳掛け式の補聴器は返却した。
対応する補聴器認定技能者が経営している補聴器専門店が上田市内にあるので、そこで耳穴式の補聴器を試用させてくれるか聞いたら、耳穴式は全てオーダーメイドなのでお店でも試用させてもらえないとのことだった。
カタログに、オーダーメードではない既製品の耳穴式のものも掲載されていたので、それでもいいから試用できないか聞いたら、ジイの聞こえにくい音域はカバーしていないものなので、ジイには合わない、と言われてしまった。
どうしてもお金のかかるオーダーメイドのものへ誘導されている感じがして少し嫌な感じがした。
ただ、特別貸し出してくれるものがあるので事前に電話で貸し出せる日程を確認してから、お店に行くよう言われた。
30分ほど駐車場で待っていたバアと合流し、開催中の佐久平の美術展を見に佐久近代美術館に行った。
2年前初出品したときに新人賞を受賞したが、今回受賞した作品を見ると、具象的なものより抽象的な作品が多かった。
二人の審査員の傾向によるものだろう。
前回はまぐれで受賞できたのだろう。
油彩画のほうが多いので、ジイのような透明水彩の絵は会場では地味に見える。
近代美術館を見終わったあと、天気がいいので公園の中を歩いていると、サクラが咲き出していたので、長野牧場まで歩いて行ってサクラ並木を見に行くことにした。
往復すればちょうど6,000歩にはなる。
長野牧場のサクラは五分咲きだった。
それでも先日まで3回ヤギを見に来た時はほとんど人影がなかったのに、今日は10人以上の人とすれ違った。
夜、ジイ小屋で2時間かけて午前中の続きを描いた。
まだ7割程度の完成度だが明日見てもらって、13日の作品研究会に間に合わせることにする。
それにしても全く同じ画題を、横幅は同じ、縦の長さだけ違うPからFに描き直したのは初めてのこと。
中景の畑を分割して広げてみたが、遠近の距離がだいぶ違って短くなってしまった。
同じ景色を望遠で撮った感じになった。
2021年04月06日 (火) | Edit |
今朝は氷点下まで気温が下がった。
立科町の観測所の最低気温は5時のマイナス6.3℃だった。
昨日までの暖かさが当たり前のように思い込んでしまったが、これが平年並みの気温なのだ。
家の入口のシデコブシも勘違いをしていたようで、今朝の寒さで今まで開いた花は全て霜のやられて茶色く変色していた。
先週からデッキに出していた花のポット苗のうち、マリーゴールドが全滅になってしまった。
ペチュニアは大丈夫だった。
今年こそ早めに苗を作ろうと、3月から家の中で育て、マリーゴールドは双葉から四葉に育ってきたので、そろそろ外気に当てたほうがいいだろうと外に出したのが間違いだった。
これでまた例年と同じタイミングでの苗作りになってしまった。
今日は午前10時に日本水彩上田支部の正副支部長と神川公民館で13日に作品研究会の打ち合わせをするため出かけた。
支部員たちが持ち寄った日本水彩展に出品する作品を、どのように掲げて講評をしてもらうか、載せる台や板に張り付ける方法などを協議した。
我が家に材料があるので、急ごしらえだが載せる台や留め具などを当日までに用意することにした。
コロナの影響で、公民館内では食事ができないので、当日長野から来る講師の先生方の食事場所の選定については正副支部長に任せた。
1時間ほどで打ち合わせが終わったので、上田市内にある画材屋さんに行って、日本水彩展に出品する作品の運搬方法などを打ち合わせした。
会場の上野にある東京都美術館まで運んでもらうのだが、その前に県内の出品者の作品のほとんどをこの画材屋さんが収集して運ぶことになっている。
上田地域、佐久地域の取りまとめは上田支部がやることになっている。
こちらも30分ほど打ち合わせをしたあと、上田駅に行った。
今年のみちのく釣行は車で行かないで、大人の休日パス東日本スペシャルの期間内に新幹線を利用していくことになった。
今後の状況によっては、首都圏にもまん延防止等重点措置が適用される可能性もある中、首都圏ナンバーの車でみちのくを走るのも気が引ける。
かといって昨年に引き続き釣行を諦めることができない。
この年になってくると、「次の年もある」とは言えなくなっている。
そこで、新幹線で行ってレンタカーを借りることにした。
昼過ぎに戻ったが、朝は白粥一杯、昼も鯛の入ったお粥一杯、もう味気ない食事はこりごりだ。
午後2時過ぎに、リハビリウォーキングを兼ねて歩いて接骨院に出かけた。
晴れて気温も10℃以上まで上がっていたが、東風が少し肌寒く感じた。
接骨院は先客がいたのでしばらく長女の家の庭を眺めて待った。
今年買ってきて植樹した樹木はほぼ根付いたようで、モモやサクラは花芽が膨らんできた。
ブルーベリーも3本とも新芽が噴き出した。
今日の霜にめげず育って欲しいものだ。
接骨院の帰りは一段と肌寒くなった。
家に戻った後デッキに出しておいた花のポット苗を家の中に入れた。
夕方1時間ほど「凍てつく朝」の絵の続きを描いた。
暖房も点けずに描いていたら、身体が冷え切ってしまったので、家に戻ってコタツで温まった。
バアが美味しい夕ご飯を用意してくれていた。
豚の生姜焼きやナスのそぼろ炒め、炊き立ての白いご飯もおいしかった。
野菜がたくさん入った味噌汁。
ぱりぱりと音を出してタクワンも齧った。
生きていることを実感する時間だった。
食べ終わってから写真を撮っていないことに気が付いた。
2021年04月05日 (月) | Edit |
今日は大腸の内視鏡検査の日。
いつものように朝7時に起き、着替えと洗顔だけして、朝食は抜きで7時半過ぎに家を出た。
飲み物も500ccの水だけしか飲めない。
クリニックに向かう途中も飲み続けたが、全部は飲み切れなかった。
夏の暑いときなら飲めたかもしれないが、外の気温は6℃、風が強くて肌寒い朝なので、水だけ飲むというのは難しかった。
クリニックには普段30分弱で行けるが、ちょうど通勤時間帯なので40分かかった。
ついてすぐに個室に入って、2リットルの下剤を10分おきに紙コップで飲み始めた。
今まではクリニックにきてから下剤を飲みだしたが、今回から家で前日から飲み始めるようになったので、クリニックで飲む量は減ったが、トイレに駆け込む苦しさは、2日間続くので、どちらがいいか?
ジイとしては短期間のほうがいいと思うが、下剤を短時間に飲まなければならない苦しさを嫌う人のほうが多いのかもしれない。
このクリニックでは内視鏡検査に変えてCT検査もするようになったようだが、その検査なら下剤の飲む量が4分の1で済むし、カメラを挿入されないので抵抗感が少なくて済むようだ。
今日は1.7リットルまで飲んだところで腸がきれいになったということで、下剤を飲むのから放免された。
苦しい時間だったが、大リーグの大谷がピッチャーで2番を打つ歴史的な瞬間をテレビ放映していたので、それを見て気を紛らわすことができた。
午前中11時過ぎから検査の予定が、外来や手術があった関係で、ジイの検査は12時半になった。
検査で2個のポリープが見つかり、切除してもらった。
取ったポリープは後日検査した結果を教えてもらうことになったが、小さなもので悪性のものではないだろう、という説明があった。
検査の後帰りにスーパーでおいしいものを買って帰るつもりだったが、渡されたのは、これから明日の夜まで口にしていいレトルト食だった。
今日は一日スープ一杯だけだった。
午後1時半にクリニックを出て、隣の薬局で止血剤を処方してもらって、家には2時過ぎに戻った。
楽しみにしていた食事を制限されてしまったので、何もする気力も起きず、唯一のスープすら口にする気が起きなくて、5時ごろまでリビングでうつらうつらして過ごした。
食事をする楽しみを奪われたら、何もする気力が起きなくなる、ということを実感した。
将来、胃ろうをしなければならない事態になったら、断固拒否して死を選びたい、と思った。
2021年04月04日 (日) | Edit |
朝からどんよりとした曇り空になった。
午後から雨の予報が出ているので、9時過ぎにリハビリウォーキングに出かけた。
検査食2日目で、力の出る食事をしていないので、歩く足が重く感じた。
いつも歩くコースから一部外れて、毎年見事な花を咲かせるシダレザクラのところまで行った。
まだ三分咲きぐらいだが見ごたえがある。
晴れていれば青空にもっと映えてきれいに写ったのだろうが・・・。
途中でため池にツバメが2羽飛来しているのを見つけた。
慌ててシャッターを切ったのでゴマ粒ほどにサイズになってしまった。
ただ水面を叩いた後なので、水面が円形に波を打っているそばに飛んでいるのが見える。
今年初めてツバメを見た。
歩いているときに補聴器を付けているので、鳥の鳴き声がよく聞こえるようになった。
今日もウグイスが鳴いているのが聞こえた。
2週間ほど前から鳴くようになったが、今日のウグイスは鳴き方が上達していた。
午後からジイ小屋で「凍てつく朝」の絵の続きを描いた。
作品研究会まであと10日を切ってしまった。
何とか仕上げて持って行きたい。
3時間ほど描いて、ようやく全体の第一段階の彩色を終えることができた。
前回使わなかった赤系のオペラを霜の光の反射の色の一つとして使って見た。
畑の土の色との相性がどうなるか、これから第二段階で色落としをするかもしれないが・・・。
描き終えて外に出たら、雨が降り始めていた。
検査食は昼食までしかなく、夕食・夜食は一切なしのうえに、1.8リットルの下剤を午後6時過ぎから飲み始めた。
もう12時近くになるがまだトイレに行ったり来たりして眠れない・・・。
2021年04月03日 (土) | Edit |
今日は晴れて比較的風も弱かったので、裏庭に積み上げていたコナラの枝を燃やすことにした。
段ボールや、上田支部の書類の整理で出てきた不要の資料も併せて燃やす。
裏庭に積み上げてあった小枝の山は4個、一輪車で運ぶこと10回以上になった。
火は何か月か乾燥したあとの枝なので勢いよく燃えた。
一日がかりかと想定していたが、お昼前には消化の水を掛けるところまでいった。
途中風向きを考えずに枯れ枝をまとめてくべたら、炎を顔に浴びて眉毛やもみあげが焦げてほとんどなくなってしまった。
先日バアに髪を切ってもらったときに、眉毛が伸びすぎているから手入れしなさい、と言われていた矢先なのでちょうどよかったが、ここまで無くなるとちょっと格好悪い。
いつ燃やすかずっと気がかりだったので、ひとまず片付いてホッとした。
午後から天地返ししてあった畑をミニ耕運機で耕した。
そろそろ夏野菜を植える準備だ。
まずはジャガイモの種イモを植える作業が差し迫っている。
1時間ほど耕した後、長女が欲しがっていたコーヒーメーカーを車で届けに行った。
ジイは、午前中から動き回って目標の6,000歩を大きく上回っていたが、バアは歩いていなかったので、ジイが畑作業をしている間に長女の家まで一人で歩いて行っていた。
帰りはバアを車に乗せて家に戻った。
家のソメイヨシノが昨日3輪だけ咲いていたが、今日のうちに数えきれないほど咲いた。
首都圏では桜が散り始めた、とニュースで言っていたが。
こちらはようやく開花宣言だ。
一足早く咲いたシデコブシは、散り始めていた。
畑作業している脇でスイセンが一気に満開になっていた。
こんなにまとめて開花している姿を見るのは初めてだ。
庭のシバザクラも同じように一気に咲き始めた。
今日から、明後日の大腸の内視鏡検査のための食事制限が始まった。
朝からおかゆになった。
日中の火燃しや畑の耕しをしている間、空腹感に襲われたが、夜の入浴前に体重を計ったら500gしか減っていなかった。
日ごろの貯えが多過ぎるのか?
2021年04月02日 (金) | Edit |
今朝は曇っていたが気温は高めだった。
午前中上田の画材屋さんに東京展の搬入のことで打ち合わせに行ったが、お店が閉まっていて用が済まなかった。
その後グリーンファームに野菜の苗を買いに行ったが、まだ早過ぎたのか店頭に苗が並んでいなかった。
思い返せば夏野菜はゴールデンウィークが終わるころに植えていた。
まだ早すぎたようだ。
近くの畑で、ブロッコリーの苗が植えられているのを見て、そろそろ野菜苗を買っておこうかと思ったのだが・・・。
このところの異常な暖かさで焦ってしまったようだ。
同じ敷地にあるAコープで食料品を買って家に戻った。
わざわざコロナ禍の中出かけたのに二つも用が済まなかった。
午後は、リハビリウォーキングを兼ねて接骨院に行って施術を受けた。
風が東風で、季節の変わったことを感じた。
冬の間は、北か西からの風がほとんどだ。
歩くには、少々の風でも寒さを感じなくなってきたので、歩くコースも変えてもいいかもしれない。
桜も咲き始めているので、楽しく歩ける。
接骨院に入る前に長女の庭に今年植えた苗木が定着したか1本1本確認した。
ハナミズキはまだ変化がないが、サクラやハナモモ、レッドロビン、ブルーベリーは新芽や花芽が膨らんできたのを確認できた。
植え替えたモッコウバラも新芽が吹いて来た。
施術の後、長女は仕事で不在なので、家には寄らずに歩いて自宅に戻った。
家の入口近くにあるソメイヨシノが3輪咲いた。
開花宣言に必要な5輪になっていないので開花宣言は明日になりそうだ。
夜、ジイ小屋で「凍てつく朝」の絵をFの50号に描き替える作業を始めた。
デッサンを終え、彩色に取り掛かった。
今月13日の作品研究会までに仕上げなければならない。
自信はないがやるしかない・・・。
2021年04月01日 (木) | Edit |
春眠暁を覚えず、というが7時の目覚ましで起きたがまだ眠い。
もっと寝ていたいが今日は東御美術会の例会の日、眠い目をこすって起きた。
8時半に家を出て、途中コンビニでお昼の食事を買ってから祢津公民館に行った。
公民館の隣にある保育所が、いつもなら送迎の時間で駐車場が混み合っているのに、今日は閑散としていた。
東御市内の保育所の職員と園児が集団感染し休園しているとのことだが、もしかしたらこの保育所か?
年度切り替えで新年度の準備のための休園かもしれないからフェークニュースにならないよう気を付けなければ・・・。
一昔前なら個人情報保護より先に情報が拡散して保育所名が明らかになってしまったものだが、今はどこの保育所かはわからない。
東御市にも連日コロナ感染者が複数出ているせいか出席者が少なかった。
今日はいくつか画題が用意されていたが、ジイだけブンタンやキュウイの画題を選んだ。
ブンタンの皮を剝いた姿が新鮮で面白く感じた。
描き始める前に、上田支部の正副支部長が来ていたので30分ほど今月13日の東京展に向けた準備の打ち合わせなどをしたので、描き始めが遅くなった。
デッサンに掛ける時間が少なかったので、少し荒っぽい描き方になってしまった。
昼食をはさんで午後1時過ぎまで描いた。
あとでもう少し手直しをしたい。
講評が終わった後、70周年記念誌に載せる会員の作品の撮影のリハーサルをAさんとやった。
当初中央公民館で撮影をする計画だったが、祢津公民館の講堂を使ったほうが撮影しやすいのではないか、ということで、照明器具やカメラ、三脚なども用意して実際に50号と10号の絵で撮影をしてみた。
照明器具は、公民館のステージ用の照明器具のほうが撮影には向いていて、用意した器具よりそちらを使ったほうがいいことが分かった。
6月に撮影会を半日でやるように準備することになった。
3時に終わったので、帰りにイエローハットに寄った。
ドライブレコーダーの電源が入らなくなったので見てもらったが、電源プラグを入れ直して電源を入れたら問題なく録画できるようになった。
4時前に帰宅できたので、バアとリハビリウォーキングに出かけた。
黄砂も薄くなって、山の景色もはっきり見えるようになっていた。
これからは日中の暖かい時間をねらわなくても、都合のいい時間に歩ける気候になってきた。
1時間ほど歩いて帰宅したが、まだ外は明るいし、暑くも寒くもない。歩いているときに早咲きのヒガンザクラが咲いているのが見られた。
我が家のソメイヨシノやシダレザクラの開花には、あと2、3日かかりそうだが、だいぶ蕾が膨らんできている。
2021年03月31日 (水) | Edit |
令和2年度も今日で終わり。
仕事をしているころは、3月末が一区切りの日だったが、退職して10年以上ともなると、ただの月末にしか過ぎないと感じる。
とはいっても今年は3月の終わりには関東以西では桜が満開を過ぎて散り始めている。
我が家のサクラはまだ開花まで行っていないが・・・。
畑の道路際のスイセンが咲き出した。
密集して花が重そうにお辞儀をしている。
今日は9時半過ぎに、立科町のツルヤに食料品の買い出しに行った。
最近は上田のアリオやイオンには行かないようにしている。
上田地域も長野市に次いでコロナの感染者が多い。
東御市も毎日感染者が出ているが、上田で感染した人の濃厚接触者ばかりだ。
今日もその一人がクラスターになって市の保育所職員に広がっている。
ツルヤの買物を終えて戻ってきてから、リハビリウォーキングに出かけた。
今日も、雲一つない快晴なのに周囲の景色は黄砂の影響で霞んで見えた。
コープの宅配の日なので、歩くコースを一部ショートカットして50分で切り上げた。
先週からコープの配達員が変わって、先週は12時過ぎにやってきた。
今までは11時30分から遅くとも45分までには来ていた。
はじめだから仕方がないと思ったが、今日も12時10分にやってきた。
配達員に確認すると今後も12時前後になる、という。
配達日の行動パターンを考え直さなければならないか。
コープにクレームしたいところだが、バアに止められた。
午後、バアに髪を切ってもらった。
耳掛け式の補聴器と髪が干渉し合って気がかりだった。
お返しにバアの髪も切ってやった。
この後ジイ小屋で「凍てつく朝」の50号の絵を、新たにFサイズで描き直す作業に入った。
1時間だけだったが・・・。来月13日の作品研究会に間に合わないかもしれない・・・。
明日には、大阪府に「まん延防止等重点措置」を初適用させるようだ。
菅政権のコロナ対策の失敗を象徴している。
次は東京間違いなしになるだろう。
無能な政治家たちに、国民の命を託したくない・・・。
2021年03月30日 (火) | Edit |
今日も異様に暖かい日になった。
晴れているが空は霞がかかっていた。どうやら黄砂で霞んでいるようだ。
今日は10時に小諸高原美術館に行った。
家からナビでは30分となっていたので、早めに家を出たら23分で着いた。
9月に佐久平水彩画研究会のメンバー4人で、小諸高原美術館で4人展をやることになった。
その打合せと会場となる展示室を確認するために4人が集まった。
この美術館は、小諸市立のもので、市街地から離れた丘の上に建てられている。
上信越道の小諸インターの近くまで行くとその建物が車窓から見える。
毎年公募展もやっているがジイは応募したことがない。
一日3,200円で利用できるというので狭いスペース化と思っていたが、実際に見てみると壁面が全体で40m、1人当たり10m使える。
さらに壁面をずらせば20mは広げられる展示室だった。
4人展なので一人10点を目安に作品を展示することになった。
手持ちの額では足りないので、誰かに借りなければならないが、それよりも出せる作品がそれほどないのが頭痛の種だ・・・。
今後の準備などについて話し合った。
ハガキの印刷や目録、キャプション(画題札)の作成などは、ジイが引き受けることにした。
報道機関への展示会記事の掲載依頼などもジイが担当することになった。
他の人は、個人展の経験がある人ばかりのようだが、ジイにとっては初めてのことなので戸惑うことも多い。
ただこんな経験がこれからの水彩画制作の力になることだけは間違いないだろう。
打ち合わせに時間がかかって、家に戻ったら12時になっていた。
昼食の後、イチジクやキンモクセイの冬囲いを外した。
この異常な暖かさに藁や寒冷紗をいつまでもかけておくわけにはいかない。
どちらも新芽が膨らみかけていた。
その後は、家の入口のシデコブシに掛けてあった防鳥網を取り除いた。
網の小さな穴からいくつも頭を出して咲いている花があったので、ハサミで網の目を切って広げてから網を外したりしていたので、外すのに時間がかかってしまった。
こちらも網を外したら、ほぼ満開になっているのがよく見えた。
苗木を買ってきて植えてからまだ10年も経っていないと思うが、これだけの花を咲かせたのは初めてだ。
もっと背丈が伸びると我が家のシンボルツリーになれそうだ。
作業に手間取ってリハビリウォーキングにいく時間が無くなったので、リハビリを兼ねて歩いて接骨院まで行った。
施術を受ける前に、長女の家に庭に植樹した苗木を点検した。
寒い時期に植えたので根付いたかどうか心配だが、花芽が膨らんでき始めたものもあった。
施術を終えた後は長女の家でコーヒーをご馳走になってから、また歩いて家に戻った。
目標の歩数は優に超えて、10,000歩に達していた。
2021年03月29日 (月) | Edit |
朝起きたらデッキの温度計が10℃になっていた。
3月とは思えない朝の気温だ。
日中には25℃ぐらいになっていたから、まさに異常気象だ。
今日は、上田市内のクリニックに行き、来週やってもらう大腸の内視鏡検査のための採血と、検査2日前からの食事制限用のレトルト食品や下剤を受け取り、医師から検査の内容と事故率などの説明を受けた。
医師からは1年ごとに検査を受けるよう勧められているが、今回は2年半ぶりなので、ポリープの一つや二つは見つかるのではないかと覚悟している。
ポリープぐらいならいいものだが・・・。
30分ほどで終わったので午前11時過ぎには家に戻ることができた。
午後から佐久に行く用事があったので、家に戻ってすぐにリハビリウォーキングに出かけた。
軽めのウィンドブレーカーを着て歩き始めたが、暑苦しいのですぐに脱いで腰に巻いた。
それでも冬用の下着を着ていたので、背中が汗でじっとりした。
浅間山の頂上付近が白いベレー帽をかぶっているように見える積雪があった。
昨日の夜降った雨が山頂では雪になったようだ。
最近の暖かさで山頂には全く雪がなかったのに・・・。
午後の佐久へは引っ越しの手伝いで出かけた。
4階建てのアパートの3階だったので、荷物を持ちながら何度も階段を往復したので、汗が噴き出した。
折り畳みのベッドを二人掛かりで運んだ時は、さすがに途中で息が切れた。
額にかいた汗が目に入るなんて、いつ以来かだいぶ昔に遡らなければならないほどのことだ。
もう1回別の日に運ぶものがあるらしいが、ジイの手伝いは今日だけにさせてもらった。
2021年03月28日 (日) | Edit |
今日は最低気温が6℃だった。
空は朝から雲の覆われているので、昨日の暖気が残っていたのだろう。
太陽が出ていないから寒い、という固定観念がふり払われる陽気となった。
今日は恒例の町内会の春の道普請ということで、7時に集まって道路のごみ拾いを実施した。
雨が降ってこないか心配だったが、作業中は雨が落ちてこなかった。
約20分で終わって解散となった。
たばこの吸い殻以外は、空き缶1個と新聞紙やビニールしか落ちていなかった。
毎日のように歩いているところで、普段でもほとんどごみが落ちていないエリアだ。
朝食の後、早く起きた時間分取り戻すように居眠りした。
11時近くになってもまだ雨は降ってこなかったので、念のため傘を持ってリハビリウォーキングに出かけた。
今の時期は、ヒバリが高い空に舞い上がって賑やかに鳴いている。
スマホのカメラで撮ったが、写っていなかった。
補聴器を付けているので、鳴き声のするほうに視線を向けてすぐに見つけられるようになった。
今日は朝装着するときにハウリング音がした。
電池がなくなると音で知らせる、というので電池切れかもしれないと思って取り換えた。
その後は音がしなくなった。
まだ使い始めて5日目、電池切れが早い気がする。
今日も1時間歩いて家に戻った。
家の前まで来たらポツポツ雨が落ちてきたが、通り雨だったようで、雨が降り始めたのは外が暗くなってからだった。
ロウバイが咲くようになって、春一番に花を咲かせていたサンシュユが二番目になり、注目度が弱くなってしまったが、いつの間にかすっかり満開になっていた。
そばに行くとミツバチの羽音がうるさいようだ。
畑のアンズは昨日開花宣言したが、もう10個以上開花していた。
去年消毒したせいか今年は花の数が去年より多い。
2021年03月27日 (土) | Edit |
今日は佐久市内を歩いた。はじめに佐久総合病院の周辺を歩いた。
病院の周辺は一二度歩いたことがあるが、旧臼田町の中心街は歩いたことがなかった。
奥まったところには佐久総合病院の看護学校があったり、看護師寮があったりした。
通院で病院までの道路周辺はわかっていたつもりが、一歩入ったところは何も知らなかった。
次に小海線の臼田駅に行った。レトロな感じの駅舎がある。
ここは初めてというわけではないが、ここから電車に乗ったことはない。
小海線自体ほとんど乗ったことがない。
それでも野辺山や清里など沿線の駅には何度も行ったことがある。
今度始発の小諸から終点の小淵沢までのんびり電車に揺られてみたい。
臼田駅から車で佐久医療センターの最寄り駅である北中込駅まで行った。
医療センターまで徒歩5分の距離だ。
佐久市役所まで歩いたら10分ほどで着いた。
それよりもう少し行くと、ポチが生きているときに通院したゆりかご動物病院がある。
車だと数分だが歩くと20分以上になる。
歩いて車の置いてある北中込駅近くのスーパーの駐車場まで戻ったら12時を過ぎていた。
リハビリウォーキングというわけではなかったが、7,000歩以上歩いた。
目の前にホットモットがあったので、お弁当を買ってから家に戻った。
家に戻ったら午後1時を過ぎていた。
お腹が減っていたのでお弁当が美味しかった。ご飯がまだ温かかった。
朝こそ少し寒かったが、日中は20℃近くまで気温が上がった。
畑のアンズが開花した。
来月10日の彩明会の例会は、千曲市のアンズの里に写生に行くことになっているが、そのころには花は終わってしまっているのではないか心配だ。
2021年03月26日 (金) | Edit |
朝5時半に固定電話が鳴りだした。
なかなか切れないので起き上がったら切れた。
なんでこんな時間に電話がかかるのかいろいろ考えていたら眠れなくなった。
6時過ぎまでは眠れずに、ベッドの中で悶々としていたが、その後は7時の目覚ましで起こされた。
せっかく昨夜は早めに就寝したのにあまり意味がなくなった。
スマホのように発信、受信の記録が残らないので、どこからかかってきたのかわからいのはあとあと気にかかってしまう。
いっそ固定電話をやめてしまおうかという気持ちになる。
絵の仲間の間などではまだまだファックスが情報伝達手段として幅を利かせているので、急に止めてしまうわけにもいかないのだが・・・。
今日も天気も良く暖かな陽気になったので午前中リハビリウォーキングに出かけた。
昨日長野市に出かけて歩いていないので、歩き始めは足が重い感じがした。
補聴器を付けて歩くのは初めてだが、マスクを掛け帽子をかぶって歩くと、髪が補聴器に触れてカサカサ音がして気になって仕方がなかった。
どうも耳掛け式の補聴器は合いそうもない。
マスクを外すときに一緒に補聴器も外れてしまう。
コロナの終息が見通せない今、マスク無しでは考えられない。
オーダーメイドの補聴器は今のジイのお小遣いの2年分ぐらいになりそうなので、補聴器選びは慎重にならざるを得ない。今日は少し多めに1時間以上歩いた。
歩いている途中で、新築している1軒の家を見て驚いた。
ジイたちが移住する前に同じ埼玉から移住してきた家の隣に新築していた家にはどんな家族が加わるのか、とウォーキングの途中で想像を巡らしていた。
いよいよ今月中旬完成したようだった。
荷物も入れ始めたように見えたが、今日見たら今までの家の解体が始まっていた。
どうやら新しい家は住み替えのためだったようだ。
我が家は今の家が終の棲家と思って住んでいるが、どういう事情化は伺い知れないが、世の中にはいろいろな生き方、暮らし方があるものだと思った。
午後は接骨院で施術を受けた後、ミニ耕運機を長女の家から我が家まで運んだ。
先日コメリで買ったアルミブリッジを使って、耕運機をN-boxに乗せて運んだ。
アルミブリッジは、助手席を倒さないと車に乗らなかった。
これでいつでも畑仕事に使える。そろそろ家庭菜園の準備をしなければ・・・。
長野県もコロナが長野市を中心に感染拡大している。
上田市も2番目に多く、長野市の基準で警戒レベルが3から4に引き上げられ、特別警報1が発出された。
県内の感染者は37人で、二日連続30人台となった。
1週間以上二桁の数だ。
また公民館の利用に規制がかかりそうだ。
2021年03月25日 (木) | Edit |
今日はいつもより30分早く起きて長野に出かけた。
午前中で用事を済ませるつもりだったが、相手のあること、午後2時半までかかってしまった。
帰りは上田インターで高速を降りて、ガソリンを給油してから家に帰った。
会員価格で、店頭表示価格より7円も安いはずなのに、それでも1ℓ当たり150円だった。
内陸部の長野県は他県に比べてガソリン単価が高い。
コロナで需要が減っているので安くなってもいいはずなのに、世界的にはワクチン接種が始まって需要が高まる予想から値が上がっている、という分析のようだが、末端の消費者としてはそんな解析に納得感が微塵も感じられない。
今日も日中曇ってはいたが気温は高かった。
帰りの車の中はオートエアコンが冷房になった。
家に戻ってくると、入口のシデコブシに赤いものが見えた。
早速見に行くと、シデコブシの花が開花していた。
今年は防鳥網をしたので無事つぼみが開いた。
網の目をかいくぐって網の上にも花が開いていた。
ヒヨドリ対策で張った網だが、花が咲けばヒヨドリも蕾をかじらないだろう。
しかし網を外したいところだが、網を外すと網の外に咲いた花を落としかねない。
網を掛けたまま花を観賞するほうがいいか、網の外の花を犠牲にして花を観賞したほうがいいか悩んでいる。
ソメイヨシノのつぼみも膨らんできたシダレザクラのつぼみも赤くなって花芽が分かれてきた
。4月の初めにはどちらも開花しそうだ。
東京ではすでに満開となっているようだが・・・。
2021年03月24日 (水) | Edit |
今日は朝から雲一つない晴天となった。
風もほとんどなかった。今日はいろいろ予定があるので、9時過ぎにリハビリウォーキングに出かけた。
まだ気温が上がっていない時間帯なので防寒着を着て家を出たが、歩いている途中から暑くなって脱いだ。
1時間歩いた後、立科町のツルヤに買物に出かけた。
今日はコープ長野の宅配の日で、通常11時30分ごろに来るが、今日から配達する人が交代するので、早めの待機しておこうと、11時までにはツルヤの買物から戻るように出かけた。
慌ただしく買い物をして10時45分ごろには家に戻った。
コープが来るまで、畑のイチゴに掛けてあった寒冷紗を外した。
イチゴの苗と一緒にオオイヌノフグリやタンポポが花を咲かせていたので全部抜いた。
近くのアンズの花がほころびかけていた。
コープ長野の配達は、想定とは逆に遅れて12時過ぎになった。
お昼を食べ始めたのが12時半になった。
午後2時に佐久総合病院の補聴器外来の予約をしていたので、急いでお昼を食べて午後1時過ぎに家を出た。
通常40分ぐらいで病院まで行けるが、国道2か所で工事のための片側交互通行をしていて、50分近くかかってしまった。
ただ、耳鼻科へ行くと、待合室には10人以上が待っていたが、ジイはすぐに呼ばれた。
補聴器外来の患者は医師ではなく認定補聴器技能者が診るので、予約通りに呼ばれたようだ。
先日の診断で軽度の難聴ということだったが、具体的なデータは画面上で見せてもらっただけで資料として受け取っていなかった。
今日はすぐに資料のコピーをもらった。
左右とも30~40デシベルの範囲で、軽度の領域だった。
今日は実際に試聴用の補聴器を調整してもらって両耳に付けた。
補聴器も性能や形、難聴の程度によっていろいろあるが、そのうちの補聴器技能者が薦める耳掛け式の補聴器だった。
イヤホン式のものは試聴器として提供していないとのことだった。
メーカーの名前は、かつて障碍者のケースワーカーをしていたバアも知っていたメーカーだった。
前回の検査データをもとに音質をパソコンで調整してもらった。
音量は、補聴器で4段階自分でも調整できるようになっていた。
とりあえず普通にしてもらった。
2週間後に再度補聴器外来で相談する予約をし、補聴器を付けたまま家まで帰った。
車に乗って運転するときにマスクを外したら一緒に補聴器が取れてしまった。
壊れるのは保険で直せるが、失くしたら弁償しなければならないらしい。気を付けなければ・・・。
ジイのように髪を長くしていると、顔を動かすたびに補聴器と髪がこすれてカサカサ音がするので、耳掛け式は合いそうもないが、それ以外はバアとの会話を始め、テレビの音も大きくしなくてもよく聞こえるようになった。
ジイの話す声も小さくなった、とバアが言っていた。
これから2週間いろんな場面で補聴器を試してみるつもりだ。
2021年03月23日 (火) | Edit |
今朝は冷えたようで朝布団から出るとぶるっと震えが来た。
室温が15℃まで下がっていた。外の最低気温はマイナス4℃だった。
最近は暖房を点けていないので、外が氷点下になると室内もそれなりに下がってしまう。
二日間留守にしていたのも室温に影響があったのだろう。
そんな外気温が日が昇るにしたがってぐんぐん上昇した。
3月とは思えない暖かさになった。
今日は用事で佐久に出かけた。
出かけたついでにまた長野支場の子ヤギたちに会ってきた。
今月に入って3度目、子ヤギたちには2度目だが、眺めているだけでほのぼのとしてくる。
走り回ったりじゃれ付いたりする姿は屈託がない。
そんな子ヤギは将来どうなるか心配で家畜改良センター茨城牧場長野支場のホームページを見たら、多くはヤギの乳製品を製造販売する生産者に引き渡されていることが分かった。
見ている子ヤギはザーネン種という種類で搾乳に適した種類らしい。
ペット用や草刈り用としては配布していないらしい。
オスはどうしているのかは書かれていない。
子ヤギを眺めた後は、駒場公園まで車を移動して、佐久創造館周辺をウォーキングした。
その後は佐久のカインズでジャガイモの種イモを買った。
シェフナベさんから埼玉のほうでは種イモが店頭から消えているという電話があったので、シェフナベさんから頼まれた分も購入した。
お昼を佐久市内の和食レストランで食べた後、帰宅した。
シェフナベさんに送る種イモを箱詰めして立科町のクロネコヤマトから発送した。
明日には配達できるというから、日本の物流の力には驚くばかりだ。
その後は、接骨院に行って施術を受けてきた。
昨日は15,000歩以上歩いたせいか筋肉が凝っているといわれた。
過ぎたるは何とかか?
ようやく我が家の庭の早咲きのスイセンが咲き出した。
ジイたちが植えたものではなく、先住の人が植えた種類だ。
茎が短くて背が低いが、まとめて花が咲く。
2021年03月22日 (月) | Edit |
昨夜は早く寝てしまったので、6時半には目が覚めた。
朝食は2交代制で、遅いほうの8時からの予約だったので、それまで朝のウォーキングをすることにした。
長女も誘って3人で昨日行った大出公園まで往復した。
風花が舞ってきていたが、寒さはあまり感じず八重原より暖かいのではないかと思わせる気温の高さだった。
途中の民家の庭でスイセンも咲いていた。
フクジュソウはもう終わりに近かった。
ホテルから坂を下りてきたところに姫川に架かる橋があるが、橋のたもとの芦原がきれいに刈り取られて、景色がすっかり変わっていた。
夏場はラフティングのスタート地点になるところなので、整備してしまったようだ。
以前はよく釣れたところだったのだが・・・。
朝食の後出かける支度をしているころには、白馬三山を覆っていた霧雲が晴れてきて、山腹がよく見えるようになってきた。
今回の白馬行きのメインは岩岳山頂テラスでコーヒーを飲みながら雪山を眺めることだったので、早速チェックアウトしたあとは岩岳ロープウェイ乗り場に行った。
今の時期、長野県民割りでロープウェイには通常の半額以下の1,000円で往復できる。
乗る前に車に積んで行ったブーツに履き替えた。
まだスキーシーズンは終わっていない。
ゴンドラリフト待ちにはスノーボードを持った若者が前に並んでいた。
リフトを降りたその先はまさにスキー場のゲレンデだった。
ブーツに履き替えておいて大正解だった。
それでも一部アイスバーンになっていて、滑って転ばないよう恐る恐る歩いた。
テラスからの眺めは、八方尾根や白馬三山の山頂こそ雲に隠れていたが、眼前に広がる山肌は十分眺めるのに足りる迫力があった。
風がないのが幸いし、寒さに震えることもなくたっぷり椅子に座って景色を満喫することができた。
ただ、今度夏場に彩明会で写生に来ようかと考えていたが、風景が雄大過ぎて写生には適さないことが分かった。
部分的に切り取って描けるような景色ではなかった。
1時間ほど滞在したあと、今度は青鬼集落に行った。
ここも何度も写生に来たり写真を撮りに来たりしているところだ。
まだ残雪があると期待してきたが、ほとんど雪が残っていなかった。
次に青木湖、木崎湖をめぐって、木崎湖の近くのレストランに入った。
ここは以前にバアと食べたことがあるイタリアンのお店だ。
飛び込みで入って食べたところ、とてもおいしかったので、次の年に東御美術会の下見で大町を訪れた時に、旅行委員の人に案内したこともある。
その時に食べたカルボナーラに味が忘れられなかった。
今度も3人で違うものを注文して、それぞれ分け合って味わった。
大町から美麻高原を経て長野インターに至る帰路を考えていたが、予定変更して安曇野経由で三才山トンネルから帰ることにした。
途中、長女が大王わさび農場に行ったことがないというのでわさび農場に寄った。
そういえば去年の4月に長女夫妻を連れて光城山のサクラを見に来たついでに大王わさび農場に行ったら、その日からコロナ対策で閉園になっていたことを思い出した。
わさび農場のわさびが花盛りになっていた。
今までこの時期に来たことはなく、ワサビの上には日よけの黒い網が被せられていることが多かったが、今は網が巻き上げられていて、植えられたわさびの畝がよく見えた。
長女がお土産に生わさびを買っていた。
ジイも水車小屋などを写真に収めた。
スケッチ道具は車に積んであったが、それは持ち歩かなかったので、今度また写真を見ながら絵にしてみよう。
園内はシーズンに備えて工事中で半分も回って歩けなかった。
5時前に無事帰宅した。
2021年03月21日 (日) | Edit |
今日でジイとバアの結婚50年となった。
大きな節目なので、一泊の白馬旅行に出かけた。
長女が付き添いで一緒に行くことになった。
あいにく天気予報は一日雨の予報だったが、出かけるときには昨夜から降り始めた雨は上がっていて、傘要らずの出発となった。
長女の新しい車で出かけた。
運転はジイがしたが、高速道路の走行も、今のジイの車に比べて安全運転機能が向上しているので運転しやすかった。
途中旧中条村の道の駅などで休憩もして、ゆっくりのんびり走った。
白馬村に入って山は雲に隠れていると思っていたのが、眼前に五竜岳が迫ってくるように見えて感激した。
渓流釣りの時によく留める駐車帯に車を停め、山を眺めたり姫川の流れを見たりした。
姫川は雪代で増水していたが、源流に近いところなので濁りは少なかった。
竿を出せば釣れそうな雰囲気だったが、今回は釣りを封印して出かけてきた・・・。
まだ雨も降ってこなかったので、雪の白馬鑓を描いた場所まで行った。
雪がほとんど融け、白馬鑓も雲に隠れていた。
次に新潟県境に近いところにある小谷村の道の駅に行った。
長いトンネルを越えて道の駅に近づいたらポツポツと雨が落ちてきた。
何度も小谷村まで釣りに来ているが、この道の駅まで来たことはなかった。
日帰り温泉も隣接していて、集客力があるのか、お土産類も充実していた。
白馬に戻る途中、よく釣りに入った姫川の支流をバアたちに案内した。
濁った水が激流になっていたので、こんな危ないところで釣っているのかとやぶ蛇になってしまった。
次第に雨も本降りになってきたので、軽い昼食でも食べようかと、白馬駅から八方スキー場に向かうメインストリートの途中にできた建築家隈研吾が設計した「スノーピークランドステーション」に行ったが、満席で1時間以上の待ち時間ということで諦め、お蕎麦屋さんに入っておそばを食べた。
下調べもしたわけではないがとてもおいしいおそばだった。
おそばを食べた後は、大出公園に行き傘を差しながら周辺を散策した。
姫川沿いに歩いていたら、対岸の山側の景色に見覚えがあると思ったら、一度藪の中を苦労して釣り歩いたところだった。
反対側なら傘を差しても歩けるような道があったのに・・・。
チェックインできる時間になったので、車に戻って予約したホテルに行った。
大出公園からは車で5分もかからない。
早くホテルに着いたので、夕食まで温泉に入ったり、窓から見える大糸線の白馬駅に入線する列車などを眺めて過ごした。
午前中見えた山は、わずかに八方尾根の裾の部分が見えるだけになっていた。
夕食はバイキング方式で、混雑を回避するため3交替制になっていて、2番目の6時15分から始まる時間帯にした。
マスクは当然のことながら、食事をとるときは備え付けのビニール手袋を使うようになっていた。
お酒を飲みながら、途中で食事を取りに行ったら、うっかりマスクを付けるのを忘れて、従業員に注意されてしまった。結婚して50年、老いたわけだ・・・。
2021年03月20日 (土) | Edit |
今朝は2℃だった気温がぐんぐん上昇して9時には10℃近くになった。
晴れて風も穏やかそうだったので、珍しく早く9時にリハビリウォーキングに出かけた。
昨日は佐久に出かけていたので歩いていない。
バアだけ一人で長女の家まで往復して目標歩数は達していた。
歩き始めは風もなかったが、途中からいつもとは違う東のほうから風が吹いてくるようになった。
浅間連山が春霞で霞んで見えた。
蓼科山はほとんど見えなくなっていた。
2,3日前まで黄砂が話題になっていたが・・・。
気分よく歩いたら1時間を10分も越えていた。
家に戻って庭や畑を観察。クロッカスの株が増えているように思う。
去年花の苞が開いて赤い花芽が見えだしたころヒヨドリに摘み落とされてしまったシデコブシのつぼみが開き始めた。
今年は防鳥網に守られて咲いてくれるだろう。
開花したら見苦しい網を外してあげよう。
畑の道路際のスイセンもつぼみが出てきたので数日中に開花しそうだ。
畑のはずれのフキノトウも10個ほど出てきたので収穫し、お隣さんに差し上げた。
午後から接骨院に行って施術をしてもらった。
昨日行けなかったので今日になった。
施術をしてもらいながらの地域情報では、今日は彼岸の中日なので地元女性陣は、公民館で午後から念仏講とのこと。
まだそういう慣習が残っているようだ。
ジイも子供の頃両親の実家に行っているときに、お年寄りが車座になって、大きな数珠球を回しながら念仏を唱えている姿を見て不思議に思った光景を記憶している。
2021年03月19日 (金) | Edit |
昨夜は12時前に寝たので朝の目覚めはすっきりしていた。
可燃ごみを出しにステーションまで歩いて行ったが、防寒用の毛糸の帽子も手袋なしでも寒さを感じなかった。
風もない穏やかな朝だった。
8時15分に家を出て佐久市の創錬センターに行った。
センターの近くのコンビニに寄ってお昼のお弁当も買ったりしたので到着は9時ちょうどだった。
始まりが9時ということだが、割と緩やかで、きっちりのスタートではないのが、愚図なジイには助かる。
講師の先生が10時過ぎになってしまったので、その間上田支部の日本水彩展に向けた作品研究会や東京都美術館の運搬する方法など準備している内容をお知らせした。
10時半ごろから講師によるグリザイユ技法や基本的な水彩画法について資料をもとに説明があった。
あらためて基本に立ち返って描かなければいけない、と気付かされた。
他の人たちは持ち寄った画題で二つのグループに分かれて描いたが、ジイは昨日準備した白馬の朝焼けの写真をもとに描いた。
あらかじめおおまかなデッサンをしておいたので、スタートが遅くなったが、何とか最後の講評までにあらかた描き終えることができた。
今回は特に朝日を浴びた山肌の襞の明暗を、グリザイユ技法で描く技術を試してみることに留意した。
50号で描いた時は暗いところを強い色で描いては消し、描いては消しを繰り返して苦労したが、今回は暗いところを赤系と青系の絵具を混色したものと、セピアと赤系を混色した2種類を使って予め彩色した。
影でも明るい影と暗い影があるので・・・。
乾いてから全体をオレンジと肌色のジョーンブリアンを混色で彩色すると、イメージに近い陰影になった。
今回はF8号の画用紙だったが、大きい画用紙では簡単にはいかないだろうが・・・。
あとで講評してもらったが、もっとしっかり色を付けなければダメとのことだった。
帰りは3時半近くになってしまったので、家には4時過ぎに着いた。
今日は早く帰れたら接骨院に行く予定だったが、遅くなってしまい、疲れてもいたのでお休みした。
長野県でもこのところコロナ感染者の二ケタ台が続いている。
大きな要因は400人規模の会社の集団感染だが、それ以外で東御市でもチラホラ発生しているので油断禁物だ。
2021年03月18日 (木) | Edit |
今朝は起きてすぐにプラごみを出しに上八重原公民館まで車で行った。
車の温度計は0℃になっていた。
我が家のデッキの温度計は、7時には晴れていれば朝日が当たるので、地表の温度より高めになる。
間もなく春分だがまだ氷点下まで冷えることがある。
午前中久し振りに上田のアリオまで買物に行った。
また上田市内でもコロナ感染者が出始めているのであまり行きたくなかったのだが、アリオにしか売っていないものもあるので仕方がない。
アリオのあとは丸子のツルヤに寄って、食料品などを買った。
隣接するマツキヨや百円ショップにも寄ったので、入店、出店のたびに消毒液を掛けていたら、手がカサカサになった。
買物のハシゴをしたのでだいぶ歩いたつもりだが、まだ歩数計は4,000歩にしかなっていなかった。
午後気温も上がって暖かそうだったので、家から県道まで往復した。
時間にして4,50分だった。歩数計は8,000歩台に達していた。
歩き終わって一息入れた後、今度は東部湯の丸インター入口にあるベイシアとコメリで買物をした。
バアがベイシアで買い物をしている間に、ジイはコメリでアルミブリッジを買った。
ミニ耕運機を車の荷室に積み込むときに使う。
今まで家にある板切れを使っていたが、長女の家まで運んだ時はまた別の板切れがないと下ろせない。
耕運機を乗せた後一緒に乗せて行けるアルミブリッジが欲しかった。
買ったアルミブリッジを長女の家に置いてから家に戻った。
近いうちに耕運機を車に乗せて家に運ぶ。
そろそろ野菜作りの前の土づくりをしなければいけない。
夕方から、明日の佐久平水彩画研究会の例会の準備をした。
明日は講師を呼んでグリザイユ画法を学ぶことになっている。
白馬の朝焼けを描いた50号の絵の下敷きにした写真をもとに、F8号の紙にグリザイユ画法で描いてみることにした。
朝日で明暗がはっきりしているので、陰の部分をどのようにはじめに描き込むか、勉強したいと思う。
事前に大まかなデッサンだけ描いた。
2021年03月17日 (水) | Edit |
昨夜は氷点下まで気温が下がらず、朝の気温も2℃だった。
ただ相変わらず強風は吹いていた。
午前中はとてもリハビリウォーキングに出かける気分になれなかった。
一昨日やり残した上田支部の書類の整理をした。
午前中には終わらせるつもりだったが終わらなかった。
お昼を食べた後、午後1時から強風をおしてリハビリウォーキングに出かけた。
行けるときに行っておかないと、さぼる口実を作ってなかなか行けなくなってしまう。
70年以上も生きていると、自分のいい加減さは自覚できる・・・。
いきなり向かい風にならないよう追い風に押されながら中八重原から立科町の町道に向かうコースを歩いた。
時々風が強いときにまずは立科町の町道に下っていくコースの逆を行った。
強風は自宅の周辺だけではないかと思うほど、風の強さを感じなかった。
その証拠に自宅が見えるところまで戻ってきたら途端に風が強くなった。
ちょうど1時間歩いた。途中日当たりのいい土手にタチツボスミレが咲いていた。
今年初めて見るスミレだ。
写真には撮らなかったが、ヒメオドリコソウも咲き出した。こ
れからこうした雑草との闘いが始まる。
ウォーキングから戻った後、夕食までの間書類の整理をしてようやく完了した。
百均で10冊のクリアファイルを買ってきてあったが、それを全部使い切った。
夜にファイルの背表紙にタイトルを貼るため、長女から借りてきたテプラでタイトルを打ち込もうとしたが電源が入らずテプラの使用を断念し、シールで代用した。
夜10時近くまでかかってようやく作業が終わった。
何とか整理は終わったが、クリアファイルに入っている書類の目録作りを後日しなければならない。
あと何年庶務の仕事ができるかわからないが、早く庶務の後継者を決めておかなければ・・・。
今夜菅総理が7時過ぎに緊急事態宣言の解除をする予定を総理官邸のぶら下がり記者会見で言っていた。
専門家の意見を聞いて最終的な判断をするといいながら、すでに答えありきだ。
すでに予断を持っていながら何をいまさら諮問委員会の意見を聞くようなポーズをとるのか、この人の政治姿勢ははた目には独断が強すぎる。
感染のリバウンドは間違いなくやってくる。
こういう人に一国の総理大臣を任せるわけにはいかない。
彼の肝いりで据えられた武田総務大臣、野党の追及をかわす禅問答のような答弁には、その場しのぎの対応で済ませようとする全く真摯な態度が見られない。
馬鹿にされているようで許せない気分だ。
こういう国会での答弁姿勢の風土は安倍政権が作り出した悪しき慣習だ。
今度の衆院選で権力の交代を望むだが・・・。
昨日あたりから先日植えた花のポット苗が芽を出し始めた。
さすが家の中は暖かいのか、これなら4月中にプランターなどに移植できそうだ。
2021年03月16日 (火) | Edit |
昨夜はマイナス3℃ぐらいまで冷えたようで、朝起きた時室内が肌寒く感じた。
このところ冷え込まなくなってきたので、深夜に点ける暖房も省エネで点けなくなっている。
我慢できない寒さではないので、よしとしよう。
朝のうちだけ晴れの予報だったが、10時に出かけるころはまだ青空で、気温も急上昇していた。
北御牧郵便局で用事を済ませたあと、明神池にそばに建つ梅野美術館に行った。
企画展で寄贈を受けた倉沢コレクションの特別展があったのと、知り合いが参加しているみまき絵画会の作品展が開催されていたので、それを見に行った。
作品展のほうは一人5,6点の出品で見ごたえがあった。
何年かこの会の人たちの作品を見させてもらっているが、今回の作品は今までのものよりさらに進化しているように感じた。
倉沢コレクションも、信州にゆかりのある画家、特に草創期の日本水彩画会の丸山晩霞や石井柏亭、小山周次、倉田白羊などの初めて見る作品が陳列されていた。
上田城跡公園内に記念館がある山本鼎の作品も数点あった。
最近は展覧会で絵画、作品を見る見方が変わってきたと自分でも思うようになった。
構図や色調、筆遣いなど自分だったらどう描くだろうか、と思いながら見るようになった。
絵画鑑賞の後は、陽気がいいのでバアと明神池を二周した。
あまりの暖かさで上着を脱いで歩いた。
二周目の途中から陽が陰って風が吹き始めた。
家に帰ってきたころには、突風が吹き始め黒い雲が広がってきた。
午後3時前に接骨院に行って施術を受けた。
バアは先週金曜日以来だが、ジイは1週間ぶりになる。
施術をしてもらった後、長女の家の空き地をミニ耕運機で耕した。
そろそろ我が家の畑も耕さなければならないので、空き地を耕すのはこれが最後で、ミニ耕運機を運んで帰らなければならない。
2021年03月15日 (月) | Edit |
朝のうち空が雲で覆われていたが、次第に青空が見えるようになった。
10時半ごろリハビリウォーキングに出かけるころにはすっかり青空になっていた。
風が昨日よりさらに強く吹いていたが、気温が高いので寒さは感じなかった。
昨夜作ったリンゴジャムをお裾分けするため、今日も長女の家を通るコースにした。
ジャムは朝食で早速パンに付けて食べてみたら、かなり甘かった。
ジイは甘いのが好きなので文句はないが長女夫妻にはどうかな?
昨日庭木の様子を見に行ったのに写真を取り忘れたので、今日撮った。
植えた翌日にしっかり雨が降ってくれたので、今のところしっかり定着しているように見える。
1時間ほど歩いて家に戻った後、今度は我が家の庭の観察だ。
サンシュユが開花していた。
数年前まで庭で一番先に開花する樹木だったのに、この2年ほどロウバイに先を越されるようになった。
花咲きの一番を譲っても庭での存在感はまだ一番だ。
畑ではタマネギの苗が太くなってきた。
寒さに耐えてきた苗なので、大きなタマネギができそうだ。
庭先を白いものが飛んでいると思ったら、今年初めてのモンシロチョウだった。
隣家の水路の土手まで飛んで行ったのを見届けて、後を追って写真に撮った。
羽がきれいなので越冬した蝶ではなさそうだ。
午後から、日本水彩上田支部の庶務を引き継いで1年を過ぎ、受け取った段ボールに入った書類の整理をした。
10年ほど前からの書類が、封筒やビニール袋に整理されずに押し込まれていた。
百円ショップで買ってきたクリアファイルを使って、年度別、テーマ別に分類整理しながら片付けた。
夕食をはさんで夜10時半まで整理し続けたが、終わらなかった。
かつて職場にファイリングシステムを導入する旗振り役として3年間担当していた時期を思い出してしまった。
引き継いだ書類の半分ほどは、重複したり不要なものだったので廃棄して、最低限将来必要となる書類だけ残してクリアファイルに収納した。
平成30年度に実施した長野県展兼上田支部展の書類一式だけ未整理で残った。
この時はジイも庶務補として事業にかかわったので、紙の書類のほかデータでもジイのパソコンに保存されているので、紙ベースの資料は最小限に残して後は廃棄するつもりだ。
2021年03月14日 (日) | Edit |
今朝7時のデッキの温度計は5℃になっていた。
もう昨夜から暖房も点けていなかったが室温は20℃近い。
昨日は雨で歩けなかったので、11時前からリハビリウォーキングに出かけた。
快晴だったが少し風が強かった。
浅間連山にまた雪が降ったようで、黒くなり始めていた山の地肌がまたうっすらと白くなっていた(夕方の写真)。
強い風も冷たさを感じないので、歩いていても苦にならなかった。
途中3か所でヒバリが高いそらで鳴いていた。
先週から鳴き始めたとバアが言っていたが、ジイが空で鳴くヒバリを見たのは今日が初めてだ。
いよいよ春の訪れを感じるようになってきた。
歩いている途中で、一昨日植えた苗木の様子を見たくなったので長女の家の庭に立ち寄った。
昨日の雨がいいお湿りになったようだ。
支柱も建ててあるので、倒れたり傾いたりはしていなかった。
出かけて留守のようなので声を掛けずに家に戻った。
午後はジイ小屋で過ごした
。最初にロール紙から切っておいたF50号の紙を型枠に水張りした。
特厚の紙なので、かなり水分を含ませて張り付けたが、中に空気が入って歪みが出てしまった。
まだ経験が浅いので完璧に仕上がったためしがない・・・。
そのあとは、先日の上田支部の例会の時に講評、指導してもらった絵の手直しをした。
手前の柿の木の幹の太さを太くして、枝先も上に突き抜けるようにした
。中景の林の幅を広げたり、林の影が水面の映り込みのように見えてしまっていたので、それも修正した。
空の色も冬の朝の色は違うのではないか、との指摘で違う混色で塗り直してみたが、あまり変わらなかった。
最後に昨日の野菜の絵の手直しをした。
これ以上いじくると絵が壊れてしまいそうだ。
東京も記録的な速さでサクラの開花宣言をしたが、我が家のサクラのつぼみはまだ硬いままだ。
ヒヨドリにつついて落とされないようシデコブシを防鳥網で囲ったが、そのつぼみが膨らんで割れ始めた。
今月中には開花しそうだ。
夜、冷蔵庫に残っていたリンゴのフジ6個を使ってジャムを作った。
2021年03月13日 (土) | Edit |
昨夜降りだした雨が今朝も降り続けていた。
それほど強い雨ではないが、畑や庭、道路もたっぷり水が溜まっていた。
今日は彩明会の例会なので、出かける前にバタバタと準備して家を出た。
家を出るときには雨が本降りになっていて、車に乗るまでにだいぶ濡れてしまった。
途中コンビニでお昼のお弁当を買って行ったりしたので祢津公民館に着いたら、最後だった。
もうすっかり準備ができていた。
早速はじめに先週の彩明会の会員展の反省会を行った。
コロナ禍の中思った以上に大勢の来場者があったことにみんなで感謝した。
いろいろ来場者から感想を言ってくれる人もあって、これからの作品の制作の励みになったことなどが披露された。
1時間ほど話し合った後、画題で用意された野菜と果物で静物画を描き始めた。
今日は午後から文化協会のスタッフが、絵を描いている様子などを取材に来ることになっていたので、みな集中して取り掛かっているように見えた。
ジイは、果物を描こうと思ったが、今朝採ってきたと言うカブやネギを見たらそちらを描きたくなって急遽変更した。
あまりおしゃべりもせず夢中で描いていたら、お昼までにあらかた描き終えた。
12時半ごろ撮影に来たので、そこからまた最後の仕上げをした。
いつものことだが、1時半からみんなの作品を並べて感想などを述べ合った。
その様子も撮影していた。
午後2時には掃除、片付けを終えて解散となった。
ビデオの編集などをしてユウチューブにアップするのは半月後ぐらいとのこと、そのときは連絡をくれるそうだ。
家に戻った後、立科町のツルヤに食料品を買いに行った。
明日の朝の食材が切れているものもあって、どうしても今日中に買物に行く必要があった。
帰りには雨が止んで西の空に青空も見えるようになった。
首都圏のコロナ感染者がまた増加の傾向を見せ始めているが、長野県でも先日まで感染者ゼロが続いたのもつかの間、昨日は10人、今日は8人発生している。
緊急事態宣言の解除は遠のくばかりだ。