2020年04月08日 (水) | Edit |
今朝は6時に起床、外は明るく晴れ間も出ていた。
今日は長女夫妻と安曇野の光城山登山をするので、7時半に長女たちの家に行った。
光城山は登山道沿いにサクラが植えられていて、満開になるとサクラの花道を登山できるというので、長野県内では毎年そのころになるとテレビで現地から放映されるようなところだ。
ネットでは2,3日前から開花となっていたので、長女夫妻の休みに合わせて今日行くことになった。
バアはヤマちゃん夫妻と、ジイがみちのく釣行で出かけているころに一緒に二度ほど登山したことがあった。
ジイと長女夫妻は初めての登山となる。
別荘地を通り抜けた先に駐車場があった。ここまでは1時間15分で到着した。
登山靴に履き替えたが、この靴を履くのも久し振りだ。
里山同好会がある間は毎月履いていたものだが・・・。
バアはヘルニアの手術をしてからは初めての光城山登山なので少し不安に感じていたようだ。
今回は2本のステッキを使って登り始めたが、杖を使うことで足元の不安定感が薄くなって思っていた以上にスムーズに急な昇りや階段を上がっていた。

山頂の社のあるところまでは1時間強かかったが、誰の手助けも借りずに登り切って自信がついたことだろう。
駐車場ではサクラがかなり開花していたが、途中からはつぼみに変わった。
いくら今年が暖冬だからとはいえ、季節的には1週間から10日早過ぎたかもしれない。
本当の見ごろだったら、登山者が多くてゆっくりマイペースで歩けなかっただろうし、混雑もひどくてコロナ感染も怖かっただろうが、今日はまだ「濃厚接触」になる心配がない登山者数だった。
花も葉もない木の枝の隙間から安曇野の景色も、北アルプスの山並みも少し春霞がかかってはいたがよく見えた。
下りは45分で下山してきた。駐車場の一角で満開になったサクラの下で記念撮影をした。

このあと、グーグルで大王わさび農場を見たら営業中となっていたので、行ったことがないという長女夫妻を連れて行ったら、臨時休業になっていた。
急遽閉鎖したのだろうか?
仕方がないので松本市内のイオンに行った。
数年前の旧店舗時代はよく行っていたが、2年半前に大改築した新しい店舗になってからは、今日で二度目だった。
前回行ったときのおぼろげな記憶をもとにレストラン街のお店に行って昼食を食べた。
以前に来た時は大変な混みようだったが、さすがコロナ禍でお昼時なのにガラガラだった。

食事の後、上田や佐久のイオンとは比べようもない広い店舗のなか、食料品だけ買って家路に向かった。
途中、音楽村によってスイセン畑を見学したあと我が家に戻った。
レタスの苗がどういう形なのか見たことがないというので、カミチャンに先日植えたレタスの苗を見せた。
これから、結球し始めたころ、収穫するころ見せてやろうと思う。
家庭菜園に興味が湧いたら、家の余っている土地で畑をすればいい・・・。
夕食を一緒に食べた後、長女夫妻を家まで送った。
今日は長女夫妻と安曇野の光城山登山をするので、7時半に長女たちの家に行った。
光城山は登山道沿いにサクラが植えられていて、満開になるとサクラの花道を登山できるというので、長野県内では毎年そのころになるとテレビで現地から放映されるようなところだ。
ネットでは2,3日前から開花となっていたので、長女夫妻の休みに合わせて今日行くことになった。
バアはヤマちゃん夫妻と、ジイがみちのく釣行で出かけているころに一緒に二度ほど登山したことがあった。
ジイと長女夫妻は初めての登山となる。
別荘地を通り抜けた先に駐車場があった。ここまでは1時間15分で到着した。
登山靴に履き替えたが、この靴を履くのも久し振りだ。
里山同好会がある間は毎月履いていたものだが・・・。
バアはヘルニアの手術をしてからは初めての光城山登山なので少し不安に感じていたようだ。
今回は2本のステッキを使って登り始めたが、杖を使うことで足元の不安定感が薄くなって思っていた以上にスムーズに急な昇りや階段を上がっていた。

山頂の社のあるところまでは1時間強かかったが、誰の手助けも借りずに登り切って自信がついたことだろう。
駐車場ではサクラがかなり開花していたが、途中からはつぼみに変わった。
いくら今年が暖冬だからとはいえ、季節的には1週間から10日早過ぎたかもしれない。
本当の見ごろだったら、登山者が多くてゆっくりマイペースで歩けなかっただろうし、混雑もひどくてコロナ感染も怖かっただろうが、今日はまだ「濃厚接触」になる心配がない登山者数だった。
花も葉もない木の枝の隙間から安曇野の景色も、北アルプスの山並みも少し春霞がかかってはいたがよく見えた。
下りは45分で下山してきた。駐車場の一角で満開になったサクラの下で記念撮影をした。


このあと、グーグルで大王わさび農場を見たら営業中となっていたので、行ったことがないという長女夫妻を連れて行ったら、臨時休業になっていた。
急遽閉鎖したのだろうか?
仕方がないので松本市内のイオンに行った。
数年前の旧店舗時代はよく行っていたが、2年半前に大改築した新しい店舗になってからは、今日で二度目だった。
前回行ったときのおぼろげな記憶をもとにレストラン街のお店に行って昼食を食べた。
以前に来た時は大変な混みようだったが、さすがコロナ禍でお昼時なのにガラガラだった。

食事の後、上田や佐久のイオンとは比べようもない広い店舗のなか、食料品だけ買って家路に向かった。
途中、音楽村によってスイセン畑を見学したあと我が家に戻った。
レタスの苗がどういう形なのか見たことがないというので、カミチャンに先日植えたレタスの苗を見せた。
これから、結球し始めたころ、収穫するころ見せてやろうと思う。
家庭菜園に興味が湧いたら、家の余っている土地で畑をすればいい・・・。
夕食を一緒に食べた後、長女夫妻を家まで送った。
2018年11月21日 (水) | Edit |
午前8時45分に、先日大腸検査をした日比クリニックでポリープを取ったので、その病理検査の結果を聞くため予約してあった。
いつもより少し早く起きて朝食を食べ、8時に家を出た。
通勤時間帯なので早めに出たが、意外と道路が空いていて8時半前に着いた。
すでに10台ぐらい駐車場に車が止まっていたので待たされるかと思ったが、5分も待たずに診察室に呼ばれた。
検査結果は、癌化する可能性のあるポリープとの診断だった。
長く放置すると癌化する、というだけで問題がないことが分かったので、また1年後検査するということで終わった。
予約時間前の8時40分にはクリニックを出ることができた。
9時過ぎに家に戻ったので、バアがあまりの早さに驚いていた。
早く帰れたので、リハビリウォーキングに出かけることにした。
朝は今季最低のマイナス6℃まで下がっていたが、ウォーキングに出かけるころには10℃まで上がっていて、風もなく寒さよりもポカポカした感じで歩くことができた。
歩いていても気持ちがいいので、中八重原の先まで足を伸ばした。
途中一望千里のモニュメントのあるところで一休みしてお茶を飲んだ。
浅間連峰がくっきりと見えた。
結局1時間半近く歩いたので、1万歩になった。

昨日届くかと思ったプリンターのインクは今日も届かなかった。
昨日のメールで東京三鷹の郵便の集配センターに届いた記録が追跡できたので、今日は間違いなく届くと思ったのだが・・・。
北御牧郵便局に問合せしたが午後5時の最終便でも局まで届かなかったとのことだった。
急いで東御のコメリまでインクを買いに行った。
午後6時半から、里山同好会があるので、その時に配りたい書類もあるので5時に家を出たインクを買いに行った。
途中通勤ラッシュにあっていつもより倍の時間がかかったが、コメリからの帰りは道路も空いていて5時40分に家に戻れた。
大急ぎで資料を印刷してから、里山同好会の納会の会場に行った。
休会中だった人も含めて、11人が集まった。それぞれ思い出に残った山歩きについて順番に話してもらった。こ
れからは、同好会としてではなく、個人的なつながりで続けることにした。
同じ汗を流してきた人たちにつながりなので、これで終わりということではなく、お互いに都合のつくときに声を掛け合いましょう、ということで会を閉じた。
9時に家に戻ってきてから、明日からの上田支部会員展(小品展)の目録や画題札の印刷に取り掛かった。
目録は400枚を両面印刷しなければならないが、またインクがなくなるといけないので、とりあえず200枚だけ印刷して、明日注文したインクが届けば、残りの200枚を印刷することにした。
いつもより少し早く起きて朝食を食べ、8時に家を出た。
通勤時間帯なので早めに出たが、意外と道路が空いていて8時半前に着いた。
すでに10台ぐらい駐車場に車が止まっていたので待たされるかと思ったが、5分も待たずに診察室に呼ばれた。
検査結果は、癌化する可能性のあるポリープとの診断だった。
長く放置すると癌化する、というだけで問題がないことが分かったので、また1年後検査するということで終わった。
予約時間前の8時40分にはクリニックを出ることができた。
9時過ぎに家に戻ったので、バアがあまりの早さに驚いていた。
早く帰れたので、リハビリウォーキングに出かけることにした。
朝は今季最低のマイナス6℃まで下がっていたが、ウォーキングに出かけるころには10℃まで上がっていて、風もなく寒さよりもポカポカした感じで歩くことができた。
歩いていても気持ちがいいので、中八重原の先まで足を伸ばした。
途中一望千里のモニュメントのあるところで一休みしてお茶を飲んだ。
浅間連峰がくっきりと見えた。
結局1時間半近く歩いたので、1万歩になった。


昨日届くかと思ったプリンターのインクは今日も届かなかった。
昨日のメールで東京三鷹の郵便の集配センターに届いた記録が追跡できたので、今日は間違いなく届くと思ったのだが・・・。
北御牧郵便局に問合せしたが午後5時の最終便でも局まで届かなかったとのことだった。
急いで東御のコメリまでインクを買いに行った。
午後6時半から、里山同好会があるので、その時に配りたい書類もあるので5時に家を出たインクを買いに行った。
途中通勤ラッシュにあっていつもより倍の時間がかかったが、コメリからの帰りは道路も空いていて5時40分に家に戻れた。
大急ぎで資料を印刷してから、里山同好会の納会の会場に行った。
休会中だった人も含めて、11人が集まった。それぞれ思い出に残った山歩きについて順番に話してもらった。こ
れからは、同好会としてではなく、個人的なつながりで続けることにした。
同じ汗を流してきた人たちにつながりなので、これで終わりということではなく、お互いに都合のつくときに声を掛け合いましょう、ということで会を閉じた。
9時に家に戻ってきてから、明日からの上田支部会員展(小品展)の目録や画題札の印刷に取り掛かった。
目録は400枚を両面印刷しなければならないが、またインクがなくなるといけないので、とりあえず200枚だけ印刷して、明日注文したインクが届けば、残りの200枚を印刷することにした。
2018年11月03日 (土) | Edit |
今朝はいつもより30分早く起きた。
先週の土曜日に実施する予定だった里山同好会が、雨予報のため翌日ではなく1週間遅らせて今日実施することになった。
今日は朝からいい天気で絶好の山登りの天候だ。
バアがお弁当を作ってくれるので、出かける前の慌ただしさがなくなった。
8時に家に出て集合場所の中央公園に行った。
今日は最後ということもあって、7人全員が参加となった。
今日の行き先は、国土地理院の調査で、海から一番遠い地点と指定された箇所がある佐久市臼田の榊山だ。
佐久市内に住む会員を家の近くで拾って総勢7人で登山口まで行った。
登山スタートは9時半過ぎ、初めは沢に沿ってなだらかな林道を歩いた。
これならバアでも歩けるかも知れない、と思いながら歩いた。
陽のあたる山筋の紅葉がきれいだった。

林道は落ち葉の絨毯が敷き詰められていた。
全行程2.3㎞の残り1㎞のところまで来たところで林道が終わり、そこからは流量の少ない沢に沿って登った。
そこからは勾配がきつくなった。
板状節理の石が欠けて小さな石ころになって登山道に転がっていて、歩きづらくなった。
まだしっかり踏ん張れないバアには無理なコースになってきた。
海から一番遠い地点には11時に到着した。
ここまでほかに登山者もおらず、完全に貸し切り状態だ。

記念の写真を撮った後、さらに先に榊山山頂があるというのでそこを目指した。
海から一番遠い地点まではそれなりに整備されていたが、そこから先の頂上までは、赤いテープの目印だけが頼りで、落ち葉に埋まって登山道も消えて分かりづらかった。
途中に1か所三角点があったのでそこが山頂かと思われたが、国土地理院の地図を持っていた人によると、もっと先が山頂になっているというので、さらに先を目指して、ようやく山頂に着いた。
山頂と確認できたのは、4等三角点と木に掛けられた表札でだった。
木の葉が落ちていなければ、眺望もなかっただろう。
木の枝越しに荒船山の断崖が見えた。

山頂でお昼を食べた後、記念の写真を撮ってから下山した。
上りは2時間半近く費やしたが、下りは1時間と少々で午後2時には登山口まで戻ってきた。
下っている途中で、上ってくるそれぞれ二人の登山者二組に出会った。
帰りに臼田支所に寄って、当直していた職員に海から一番遠い地点到着証明書の発行をお願いした。
後日書類ができたら佐久市に住む会員が受け取りに行くことになった。
佐久市内でその会員を下ろし、途中佐久南インターの近くにできた道の駅に寄った後、中央公園に4時に戻ってきた。
これで10年続けた里山同好会の山歩きも最後かと思うと感慨ひとしおだ。
今月21日に納会をして会を解散することになった。
先週の土曜日に実施する予定だった里山同好会が、雨予報のため翌日ではなく1週間遅らせて今日実施することになった。
今日は朝からいい天気で絶好の山登りの天候だ。
バアがお弁当を作ってくれるので、出かける前の慌ただしさがなくなった。
8時に家に出て集合場所の中央公園に行った。
今日は最後ということもあって、7人全員が参加となった。
今日の行き先は、国土地理院の調査で、海から一番遠い地点と指定された箇所がある佐久市臼田の榊山だ。
佐久市内に住む会員を家の近くで拾って総勢7人で登山口まで行った。
登山スタートは9時半過ぎ、初めは沢に沿ってなだらかな林道を歩いた。
これならバアでも歩けるかも知れない、と思いながら歩いた。
陽のあたる山筋の紅葉がきれいだった。

林道は落ち葉の絨毯が敷き詰められていた。
全行程2.3㎞の残り1㎞のところまで来たところで林道が終わり、そこからは流量の少ない沢に沿って登った。
そこからは勾配がきつくなった。
板状節理の石が欠けて小さな石ころになって登山道に転がっていて、歩きづらくなった。
まだしっかり踏ん張れないバアには無理なコースになってきた。
海から一番遠い地点には11時に到着した。
ここまでほかに登山者もおらず、完全に貸し切り状態だ。

記念の写真を撮った後、さらに先に榊山山頂があるというのでそこを目指した。
海から一番遠い地点まではそれなりに整備されていたが、そこから先の頂上までは、赤いテープの目印だけが頼りで、落ち葉に埋まって登山道も消えて分かりづらかった。
途中に1か所三角点があったのでそこが山頂かと思われたが、国土地理院の地図を持っていた人によると、もっと先が山頂になっているというので、さらに先を目指して、ようやく山頂に着いた。
山頂と確認できたのは、4等三角点と木に掛けられた表札でだった。
木の葉が落ちていなければ、眺望もなかっただろう。
木の枝越しに荒船山の断崖が見えた。

山頂でお昼を食べた後、記念の写真を撮ってから下山した。
上りは2時間半近く費やしたが、下りは1時間と少々で午後2時には登山口まで戻ってきた。
下っている途中で、上ってくるそれぞれ二人の登山者二組に出会った。
帰りに臼田支所に寄って、当直していた職員に海から一番遠い地点到着証明書の発行をお願いした。
後日書類ができたら佐久市に住む会員が受け取りに行くことになった。
佐久市内でその会員を下ろし、途中佐久南インターの近くにできた道の駅に寄った後、中央公園に4時に戻ってきた。
これで10年続けた里山同好会の山歩きも最後かと思うと感慨ひとしおだ。
今月21日に納会をして会を解散することになった。
2018年10月22日 (月) | Edit |
今日も一日晴れの予報が出ていたので、白樺湖に行く予定をしていた。
朝起きると霧に覆われていて景色が見えない状態で山に行けるのか心配した。
朝食を食べ、出かける支度をしている間に霧が晴れて青空が出てきた。
立科町のツルヤが開店する9時半に合わせて家を出た。
朝食に使うレタスが傷んでいて足りなくなったので、それを買うのと、白樺湖で食べるお昼の弁当などを買うためだ。
クーラーボックスを持って行ったので、他にもいろいろ食料品を買った。
これでしばらく買物をしなくて済むだろう。
ツルヤから白樺湖に向かう途中で、白樺湖よりも車山に登山することになった。
白樺湖の周回道路を歩くことで回復ぶりを測るつもりだったが、それより石がゴロゴロした山道を歩けるかどうか、バアはそちらを試したかったようだ。
車山肩の駐車場に車を停め、1時間かけて車山山頂の測候所のドームまで登った。
小石を敷き詰めた登山道は歩きにくかったが、ほとんど休憩なしに登り切った。
富士山を始め、南アルプス、中央アルプス、北アルプスの峰々が見渡せた。
足元の石が気になって、下を向きながら歩くことが多かったが、時折立ち止まって雄大な景色を見入った。

測候所のドームのそばの風の少ない場所で、お昼のお弁当を食べた。
元気な時は、車山山頂から登ってきた方向とは反対の、蝶々深山のほうへ歩いて行くことが多かったが、今日は来た道を戻った。
一気に無理をしてもいけない。
下山中は余裕もできて、登山道の脇で咲くマツムシソウも発見した。

帰りは、途中長門牧場に寄って、車山登山のご褒美でソフトクリームを食べた。
そろそろソフトを食べる季節ではなくなりかけているのだが、この牧場に来ればソフトを食べるのが定番になっている。
ジイがスケッチしている間、バアは車山登山だけでは1万歩に達していなかったので、牧場の中を歩いて1万歩越えをさせていた。
ジイは、牧場のレストランのテラスから、蓼科山を背景に牧場を描いた。
短時間で素早く描こうと、少し乱暴な描き方になってしまった。
バアも1年ぶりに山に登れたうれしさを娘たちにLINEで伝えていた。

朝起きると霧に覆われていて景色が見えない状態で山に行けるのか心配した。
朝食を食べ、出かける支度をしている間に霧が晴れて青空が出てきた。
立科町のツルヤが開店する9時半に合わせて家を出た。
朝食に使うレタスが傷んでいて足りなくなったので、それを買うのと、白樺湖で食べるお昼の弁当などを買うためだ。
クーラーボックスを持って行ったので、他にもいろいろ食料品を買った。
これでしばらく買物をしなくて済むだろう。
ツルヤから白樺湖に向かう途中で、白樺湖よりも車山に登山することになった。
白樺湖の周回道路を歩くことで回復ぶりを測るつもりだったが、それより石がゴロゴロした山道を歩けるかどうか、バアはそちらを試したかったようだ。
車山肩の駐車場に車を停め、1時間かけて車山山頂の測候所のドームまで登った。
小石を敷き詰めた登山道は歩きにくかったが、ほとんど休憩なしに登り切った。
富士山を始め、南アルプス、中央アルプス、北アルプスの峰々が見渡せた。
足元の石が気になって、下を向きながら歩くことが多かったが、時折立ち止まって雄大な景色を見入った。


測候所のドームのそばの風の少ない場所で、お昼のお弁当を食べた。
元気な時は、車山山頂から登ってきた方向とは反対の、蝶々深山のほうへ歩いて行くことが多かったが、今日は来た道を戻った。
一気に無理をしてもいけない。
下山中は余裕もできて、登山道の脇で咲くマツムシソウも発見した。

帰りは、途中長門牧場に寄って、車山登山のご褒美でソフトクリームを食べた。
そろそろソフトを食べる季節ではなくなりかけているのだが、この牧場に来ればソフトを食べるのが定番になっている。
ジイがスケッチしている間、バアは車山登山だけでは1万歩に達していなかったので、牧場の中を歩いて1万歩越えをさせていた。
ジイは、牧場のレストランのテラスから、蓼科山を背景に牧場を描いた。
短時間で素早く描こうと、少し乱暴な描き方になってしまった。
バアも1年ぶりに山に登れたうれしさを娘たちにLINEで伝えていた。


2018年09月23日 (日) | Edit |
今朝は5時半に起きた。地元の秋の道路清掃と草刈りの一斉活動の日だ。
各組によって開始時間は自由だが、この組では移住してきた10年以上前からずっと6時から行われてきているので、ジイが組長の時だけ変更するわけにはいかない。
現役の長い間、遅寝遅起きの生活習慣だったジイには、田舎暮らしをするようになってからも、その生活習慣は変えられていないので、朝早いのは辛い。
4時半には寝坊したかと一度目が覚めた。
またすぐに眠れて、5時半の目覚ましで起きたが・・・。
6時10分前に集合場所に行ったが、隣のヤマちゃんはもう来ていた。
同じ勤め人なのにヤマちゃんは現役の時から早起きだ。
6時から草刈りを開始した。
すでに事前にかなりの区域を刈っていてくれた人がいたので、45分ほどで組が請け負っているエリアは全部刈り終えることができた。
家に戻るとバアが朝食の支度を全部してくれていて、ジイはコーヒーをセットするだけだった。
朝食を食べた後、出かける支度をして8時に家を出た。
今度は里山同好会の例会だ。今日は小布施の雁田山(759m)に登る。
今回の参加はジイを含めて4人だけだったので、ジイの車で出発した。
カーナビでは、高速を利用するコースが最初出たが、一般道優先でコース変更した。
菅平、須坂経由で行くと、登山口に近い美術館の駐車場に到着するのに、1時間強で済んだ。

一番近い登山口は、最後に下ってくるところにして、そこから20分ほど整備された遊歩道を歩いて、葛飾北斎の描いた天井画で有名な岩松院の脇からの登山口から登り始めた。
山頂が低い割に一周4時間のコースタイムというので、不思議に思ったがその理由がすぐに分かった。
登り始めてすぐに急登が続いた。
天気も良く気温も高めだったので、一気に汗が噴き出した。
急登なうえに植物観察をしながらなので、あとから登ってきた人たちに次から次と追い越されていった。

同行した一人は、植物にはまり関心がなく山登りだけが目的のような人なので、途中からしびれを切らして先に行ってしまった。
山頂に近い分岐点から電話がかかってきて、先に山頂まで行っているというので、ジイたちはマイペースで登って行った。
山頂と思われるところまで行くと先行した人はそこにいなかった。
登山のガイドブックによると、分岐点から反対方向に昔の山城跡があると書いてあったので、そちらに行って待っているかもしれない、と電話を掛けたが呼び出しているが電話に出なかった。
心配になり、ジイが荷物を置いて、引き返し城跡まで行ったが誰もいなかった。
いくつもあるアップダウンを繰り返して30分以上かけて山頂と思われるところまで戻った。
戻る途中で電話があって、先行していた人はさらに先まで行っていたようだ。
1時を過ぎて戻ってお昼を食べた。20分休んで下山を開始した。
ガイドブックに書かれている地図をよく見ると下山途中に雁田山山頂の表記があった。
山の最高地点ではなく、三角点のあるところが山頂なのだからそれもそうかも知れないが、先行者との後行者のそれぞれの思い込みがあってすれ違いが起きてしまった。
途中でジイや会長の足がつり始めた。
下りも登りと違うコースだが同じように急坂だ。
筋肉痛に即効性のあるメンソレータムの「ラブ」を持っていたので、それを塗ったらジイはつらなくなった。
会長も効果があったようだ。
結局先行者とは登山口の先、駐車場の手前で落ち合うことができた。
集団で行動する山登りでは、脚力に差があったら一番遅い人に合わせなければならないのが鉄則だ。
里山同好会に途中から参加してきた人なので、まだ関係性が十分できていないが、里山同好会もあと1回の例会が終われば解散するつもりなので、そう強くは注意しなかった。
ジイは体の疲れ以上に精神的に疲れてしまった。
3時半に駐車場を後にしてどこにも寄らず、東御市中央公園の駐車場にはちょうど1時間で無事戻ってくることができた。
解散したあと、山歩き中に電話がかかってきた日本水彩上田支部の庶務の人の家に寄って、11月の会員展小品展の案内原稿を受け取ってから家に戻った。
5時過ぎに戻るとバアが玄関の外で待っていた。
グーグルナビで現在地確認できたので帰ってくるのが分かったらしい。便
利な世の中になったものだが、隠し事もできなくなった?
各組によって開始時間は自由だが、この組では移住してきた10年以上前からずっと6時から行われてきているので、ジイが組長の時だけ変更するわけにはいかない。
現役の長い間、遅寝遅起きの生活習慣だったジイには、田舎暮らしをするようになってからも、その生活習慣は変えられていないので、朝早いのは辛い。
4時半には寝坊したかと一度目が覚めた。
またすぐに眠れて、5時半の目覚ましで起きたが・・・。
6時10分前に集合場所に行ったが、隣のヤマちゃんはもう来ていた。
同じ勤め人なのにヤマちゃんは現役の時から早起きだ。
6時から草刈りを開始した。
すでに事前にかなりの区域を刈っていてくれた人がいたので、45分ほどで組が請け負っているエリアは全部刈り終えることができた。
家に戻るとバアが朝食の支度を全部してくれていて、ジイはコーヒーをセットするだけだった。
朝食を食べた後、出かける支度をして8時に家を出た。
今度は里山同好会の例会だ。今日は小布施の雁田山(759m)に登る。
今回の参加はジイを含めて4人だけだったので、ジイの車で出発した。
カーナビでは、高速を利用するコースが最初出たが、一般道優先でコース変更した。
菅平、須坂経由で行くと、登山口に近い美術館の駐車場に到着するのに、1時間強で済んだ。

一番近い登山口は、最後に下ってくるところにして、そこから20分ほど整備された遊歩道を歩いて、葛飾北斎の描いた天井画で有名な岩松院の脇からの登山口から登り始めた。
山頂が低い割に一周4時間のコースタイムというので、不思議に思ったがその理由がすぐに分かった。
登り始めてすぐに急登が続いた。
天気も良く気温も高めだったので、一気に汗が噴き出した。
急登なうえに植物観察をしながらなので、あとから登ってきた人たちに次から次と追い越されていった。


同行した一人は、植物にはまり関心がなく山登りだけが目的のような人なので、途中からしびれを切らして先に行ってしまった。
山頂に近い分岐点から電話がかかってきて、先に山頂まで行っているというので、ジイたちはマイペースで登って行った。
山頂と思われるところまで行くと先行した人はそこにいなかった。
登山のガイドブックによると、分岐点から反対方向に昔の山城跡があると書いてあったので、そちらに行って待っているかもしれない、と電話を掛けたが呼び出しているが電話に出なかった。
心配になり、ジイが荷物を置いて、引き返し城跡まで行ったが誰もいなかった。
いくつもあるアップダウンを繰り返して30分以上かけて山頂と思われるところまで戻った。
戻る途中で電話があって、先行していた人はさらに先まで行っていたようだ。
1時を過ぎて戻ってお昼を食べた。20分休んで下山を開始した。
ガイドブックに書かれている地図をよく見ると下山途中に雁田山山頂の表記があった。
山の最高地点ではなく、三角点のあるところが山頂なのだからそれもそうかも知れないが、先行者との後行者のそれぞれの思い込みがあってすれ違いが起きてしまった。
途中でジイや会長の足がつり始めた。
下りも登りと違うコースだが同じように急坂だ。
筋肉痛に即効性のあるメンソレータムの「ラブ」を持っていたので、それを塗ったらジイはつらなくなった。
会長も効果があったようだ。
結局先行者とは登山口の先、駐車場の手前で落ち合うことができた。
集団で行動する山登りでは、脚力に差があったら一番遅い人に合わせなければならないのが鉄則だ。
里山同好会に途中から参加してきた人なので、まだ関係性が十分できていないが、里山同好会もあと1回の例会が終われば解散するつもりなので、そう強くは注意しなかった。
ジイは体の疲れ以上に精神的に疲れてしまった。
3時半に駐車場を後にしてどこにも寄らず、東御市中央公園の駐車場にはちょうど1時間で無事戻ってくることができた。
解散したあと、山歩き中に電話がかかってきた日本水彩上田支部の庶務の人の家に寄って、11月の会員展小品展の案内原稿を受け取ってから家に戻った。
5時過ぎに戻るとバアが玄関の外で待っていた。
グーグルナビで現在地確認できたので帰ってくるのが分かったらしい。便
利な世の中になったものだが、隠し事もできなくなった?