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2010年09月28日 (火) | Edit |
昨夜は眠くて、日記も書かずに午後11時には就寝して、すぐに眠りに落ちたが、午前3時前にバアのトイレへ行く音で目が覚めたのをきっかけに、その後は全く寝入ることができず、朝までまんじりともせずにベッドで横になっていた。
少しは寝たかもしれないが寝入りばなの自分のいびきでまた目を覚ましてしまったりもした。
こういうのがいわゆる時差ぼけというやつなのだろう。
若い時はあまり感じなかったはずだが・・・。
バアも何度か目を覚ましていて、結局6時前に二人して起きてしまった。
ジイは、昨日書き損ねた日記を書いて、インターネットに接続してブログとしてアップしようとしたが、無線ランが繋がらずアップできなかった。
そうこうしているうちに7時を過ぎたので、荷物を片付け、着替えをして、朝食会場に7時20分ごろ行くと、同じツアーの人たちはもうほとんどの人が食事中で、ジイとバアが食事を終えるころに食堂に残っていたのは我々と添乗員さんだけだった。
第1日目のホテル
バイキングなのでいろいろ食べたらお腹がいっぱいになった。
7時40分に部屋に戻ってスーツケースを整理して、それを8時前に廊下に出した。
9時の出発なので、時間があるので最初の観光になるブレッド湖まで散歩に出た。
ホテルから近いと聞いていたが、数分かけていくつかの階段を降りたところに湖があった。
湖の周りの山にかかっていた霧が晴れてきて、湖に浮かぶ教会が幻想的に見えた。
ブレッド湖の風景
時間にして20分ほど湖畔をそぞろ歩きした後ホテルに戻り、出かける支度をして最後のチェックをしているときに、テレビの裏にインターネットの接続ケーブル用のジャックが付いているのを発見したが、すでにパソコンはスーツケースに入れて出した後だったので、残念ながらあとの祭りだった。
9時にホテルを出発して5分ほど走ったところに、我々をブレッド湖の中央に浮かぶ小島に建つ聖マリア教会まで運んでくれる手漕ぎボートのはしけがあった。
ブレッド湖聖マリア教会
ツアーの総勢20人に現地ガイド1人を乗せ、たった独りの漕ぎ手がボートを操って島まで漕いだ。
手漕ぎボート
約15分で島に到着するまでの間に、すでに教会を見学した別のボートが2台ほど戻って行ったが、どれも日本人ツアーが乗船していた。
さらに、島に向かうボートが他にも1漕いてそれも日本人、さらに島に上がって100の階段を登った先にある教会に着くと、そこには先客のツアーがいて、それも日本人だった。
さらに我々のあとからボートで来るツアーも日本人・・・。
この島は、完全に日本人ツアーで独占されていた。
ハプスブルグ家の支配する時代からの温泉保養地として栄えた町とは言え、そんなに日本人が大挙して訪れるような日本人に有名な観光地だったとは、ここまで来るまで知らなかった。
確かに山に囲まれた風光明美な場所で、山の上にはブレッド城が建っていて、街の中心には聖マルティン教会があり、湖に浮かぶ島には聖マリア教会がある、というヨーロッパの代表的なロケーションではあるが、キリスト教信仰に縁の薄い日本人であふれている、というのは何とも奇異な感じがした。
10時20分に島から戻り、予定になかった聖マルティン教会も見学した。
教会の近くのレストランに11時で昼食の予約が入っていて、島から直行では早過ぎるので寄り道をしたらしい。
この教会も18世紀に再建されたネオゴシック建築の様式の教会で今もこの町の主教会として礼拝が守られているそうだ。
昼食はポークのサラミに山盛りのキャベツのコールスローだったが、キャベツはジイの苦手なワインビネガーがかかっていてほとんど食べられなかった。
朝食から時間も経っておらず、お腹も空いていなかったので、美味しく感じなかったのが残念。
昼食後は、次の観光地、ポストイナの鍾乳洞へ行った。ブレッドからバスで約1時間30分で到着した。
ここも予定より早く着き過ぎたようで、洞窟内に入るまで周辺のお土産屋などで45分ほど時間をつぶした後に入った。初めにトロッコ電車で洞窟内の約2キロ進んでから、トロッコ電車を降り、徒歩で約1キロ歩いた後、再びトロッコ電車に乗って出口に向かうというコースだが、その間圧倒されるような鍾乳石、石筍の連続だった。
日本の各地にある鍾乳洞の比ではない圧倒的なボリュームだった。
見学できるコースは、5.2キロほどだが全長では21キロもあるそうだ。
これだけのものがなぜ世界遺産にならないのか、添乗員さんの話では、見学コースがあまりにも人間の手が加えられ過ぎているからだろう、とのことだった。
トロッコ電車 ボストイナ鍾乳洞
午後3時45分鍾乳洞を後にして、一路クロアチアの保養地、アドリア海に面するオパティアに向かった。
途中スロベニアの国境検問所、続いてクロアチアの検問所を何のトラブルもなく通過した。
クロアチアの検問所の先に両替所があり、そこでクロアチアの通貨クーナに両替した。
午後5時過ぎにオパティアのホテルに到着した。
ホテルのネット環境は、インターネットが有料で、デスクトップ型のパソコンがロビーの一角に4台置かれていた。
添乗員さんの話では、英語仕様のパソコンだというので、ネットを使うのはやめた。
部屋でパソコンを使っていると無線ランが使える環境になっていたが、接続するためのパスワードが必要になっていたので、接続できなかった。
7時にホテルを出て、歩いて5分ほどのメインストリートに面したなぜか「モーツワルト」という名前のホテルレストランで夕食を取った。
前菜はイワシのマリネ、主食はマグロのグリル、デザートはアップルパイだった。
白のワインを飲んだ。
ヨーロッパでは、水が出てこないので、水も一緒に頼んで、食後に飲んだ。
部屋に戻った時は9時になっていた。
近くに小さなスーパーがあると聞いて行こうとしたが、この時間では開いてないというので、行くのは諦めた。