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2011年12月31日 (土) | Edit |
2011年もいよいよ最後の大晦日までやってきた。
3月11日の東日本大震災の自然の脅威と、福島第一原発のメルトダウンによる目に見ない放射能の恐怖を経験したことによって、今年ほどあらためて人の生と死について考えさせられた年はなかったといっていい。
大震災の地震と津波によって命を奪われた人の数は、15,843人、行方不明者3,369人、負傷者5,890人を入れて合計で25,202人という。
全壊した建物、126,318戸、半壊227,339戸、一部破損643,038戸(12月22日現在)。
想像を絶する被害だが、それをただただテレビの画面を眺めるだけで、何もできない無力感を感じる自分がいた。
家族との絆を一瞬にして切り裂かれて、残された人の悲しみ・苦しみ、住まいとともにすべての思い出の品々を失った被災者の喪失感に思いをはせても、その本当の苦しみは理解することも共有することもできないだろう。
そんな自分が、どうして「頑張ろう」などと軽々しく被災者に言えるだろうか。
ただ「安かれ」と祈るしかない。
まずは、自分自身が「生きる」ことの意味を見直すところから始めるしかない。
巨大地震と津波に比べて、福島の原発事故は、人間が作り出した「もの」が原因だけに、自分もそれに加担してきたのではないか、という後悔がある。
日常の生活の中で当たり前のように電力を消費し、CO2削減のためには、原発もやむを得ないかと、政府や電力会社のキャンペーンにすっかり乗せられて、無意識に原発を容認していたような気がする。
今一度原点に帰って、反原発の運動の中に身を置くべきだと考えている。
今年の8月に長女の夫が、6年の研修を経て、接骨院を赤羽で開業した。
大きな団地の一角で開業したが、高齢化、少子化の中で、順風満帆の未来があるとは言えないだろうが、何とか生活していければいいと願っている。
二女の家庭では昨年暮れに第三子が生まれ、まだまだ子育ての奮戦が続きそうだ。
健康に恵まれて、みな健やかに育つことを望む。
3人の子どもとも名前に夢の一字が付けられている。
夢のある生き方を進めて欲しい。
さて翻ってジイ自身のこの1年はどうだっただろう?
冬の間は、スキーを楽しんだ。大震災の日も滑っていた。
水彩画は、3年間続けて、今年は公民館の水彩画教室の講座の学級長に指名された。
教室の先生から、先生が主宰する彩明会という水彩画会に、来年から参加することになった。
これは少し本気でステップアップする努力をしなければ、と思っている。
今年最後の作品を大晦日に完成させた
去年まで2年参加した滋野公民館の里山を歩く教室が終了になったので、参加者有志で同好会を作り、幹事役を引き受けた。
教室の先生が会長になってくれた。
幹事として、会報を4回発行した。
こういうものを作るのは昔から嫌いではなかったので、結構自分の趣味で構成し、発行した。
また来年も同じスタッフで同好会を運営することになっている。
生涯学習関係では、今年は家庭菜園の講座に参加し、野菜作りの基本を学んだ。
講座は1年限りだが、来年は受講生を中心に「東御アグリ会」という勉強会で、引き続き実践を学ぶ予定だ。
生涯学習の講座に参加して、地域でいろいろな人とのつながりができてきたのはありがたいことだと思っている。
写真教室は、実質的にほとんど開催されなくなってきているし、水彩画に本腰を入れると、二足のわらじは履けそうもないので、そろそろ引退かな、と思っている。
渓流釣りは、仲間とみちのく、信州の2回のほか、個人的に近くの川に、十分とは言えないが、何度か行くことができ、そこそこに釣果も上げることができた。
先月の釣り仲間との納会の席では、75歳まで釣るぞ、と全員で宣言しあったが・・・。
今のところ少し太り気味(72kg)以外、どこも悪いところがない。
去年から春まで悩まされた五十肩も、整形外科に通って完治した。
かなり忘れっぽくなって、認知症が心配だが、釣りにはまだ大丈夫のようだ。
大震災を目の当たりにして、自分の最後の終わり方も意識せざるを得なくなった。
いかにして散るらん?