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2013年03月30日 (土) | Edit |
昨日までの暖かさはなくなって、少しまた寒くなった。
こちらではまだ桜も咲いていないので同じようには言えないが、首都圏ではこの寒さを花冷えと表現していた。
いかにも日本的な言い方だ。
今日は北御牧公民館主催の「西行法師遺跡巡り」に参加した。
寡聞ながら、西行が信濃に足跡を残していたなどついぞ知らなかったので、公報に募集案内が出ていたのですぐに応募した。
隣のヤマちゃん夫妻も応募していたので一緒に出かけた。
バアは残念ながら予約を取り消して、家で留守番となった。
市役所の駐車場に8時半集合、時間には全員集まり、すぐに出発となった。
最初の見学地は、牛に引かれて善光寺参りの伝承のある地、布引観音のある釈尊寺に行った。
今までに何度か行ったことがあるが、いつも山の麓からの急な階段のある登山口から登っていたが、今回はマイクロバスで車道を使ってお寺の入口まで行った。
車でも行ける、とは聞いていたが車がすれ違いできないほどの狭い林道を、マイクロバスがやっとの思いで通る冷や汗をかくような道だった。
釈尊寺の境内は、両側を断崖に囲まれた中にある。
その崖の一部に雨露をしのぐには十分な窪みがあり、そこで西行が諸国遊歴の途中に立ち寄り、「三年杖を留められし」という。
今は入り口を竹藪が覆い、近寄ることもできなくなっている。
西行が詠んだという「みとせへて折々さらす布引をけふたちそめていつかきて見む」が、ここに西行が庵を編んだという伝承の根拠になっているようだ。
しかし、現在のお寺の関係者は、これを持って大々的に参詣者、観光客を呼び込むのには消極的なようだ。
庵跡周辺は立ち入り禁止にして、手入れもされていなかった。
おそらくお寺自体がここに西行が来て庵を編んだという民間伝承を信じていないのだろう。
実はこのお寺への登山道周辺は、貴重な植物の宝庫で、植物観察でも毎年のように来ていた場所なので、観光客が大挙してやって来て踏み荒らされない方がいい。
釈尊時内の西行が庵を編んだ崖のくぼみ 釈尊寺の遠景
釈尊寺の次は、千曲川をはさんで対岸の滋野・赤岩地区へ行った。
最初に、西行とは直接関係ないが、幕末から明治初期の廃刀令が出るまで、刀鍛冶として活躍した山浦真雄、清麿兄弟の生誕地を見学、今は直系ではないが山浦家の末裔が住んでいるという。
現在の八十二銀行の頭取もその末裔の一人とのこと。
幕末の刀匠山浦真雄、清麿兄弟の生誕地
その生地から歩いて数分のところに、西行住居跡というのがあるのでそこを見学した。
千曲川に落ち込む段丘の端に位置するそこは、今は何の変哲もない畑、墓標や案内板すらもない。
明治初期まで生存した近在の人がここを住居にしていた西行に会ったと伝えられているから、これは明らかに別人の「西行」だろう。
NHKの大河ドラマ「平清盛」の同時代人として登場した西行が、江戸から明治にかけて生きていたはずがない。
ここまで見学をしてきたところで、東御市内に伝承されてきた西行の足跡は、実在の西行のそれではなく、諸国を遍歴した西行のような出家僧の生活歴や、西行にあやかって建物や場所を権威づけようとした、後世の創作の遺物なのだろうという結論に至った。
赤岩の西行住居跡?
赤岩の西行住居跡の次は、市内田中に伝わる西行と髪の美しい女性との托鉢の時の米問答では、西行が田中地内で托鉢をした際、米を恵んでくれたお礼に女性の髪の美しさをほめると、そんなに「カミ」が気に入ったなら、仏を捨てて、禰宜(=神職)になりなさい、と女性が答えたという話だが、こうした問答が行われた場所も、今や特定できないとのことだった。
ジイの想像では、おそらくこうした話が作られる背景には、西行の名を借りて、米を巡って寺と神社との力関係の綱引きがあったことを思わせる。
田中を車で通り過ぎてから、上田の塩田平にある塩田自治センターでお昼を食べた。
午後からは、塩田平中野地区に残る信州西行塚を見学した。
こちらは、石造の7段の多層塔が建てられていて、西行が庵を編んだ場所だということだが、この塔も壊れて一部だけ地中に埋まって残っていた塔の一部も含めて昭和30年代に再建されたものだという。
西行の足跡を伝える古文書の中に、長野県内に1か所西行がかつて住んだ場所があると記されていたところから、好事家が残っていた塔の一部がそれを示すものとして、この場所こそ西行が住んでいたところと勝手に?決めたらしい。
ここは案内板も墓誌も建てられていた。
塩田平の信州西行塚
次に訪れたのは、塩田平から別所温泉に向かう途中の山田峠。
ここでは、西行がこの地を踏み入れた時に、別所に入る手前の橋で引き返した「戻り橋」伝説のあった場所に行った。
この戻り橋の場所も、別所温泉の近くにもう一つ観光協会が推す場所があり、どちらの説が正しいか、伝承の世界の話なので甲乙つけがたい。
いずれにしても西行がこの辺りを訪れたという史実は確認できなさそうだ。
2か所の戻り橋を見たところで、今日の西行の足跡をたどる講座は終了した。
山田峠にて 山田峠近くの二つ目の「戻り橋」 別所温泉近くの一つ目の「戻り橋」
予定の午後3時東御市役所での解散より早めに市役所に帰着し、家にも早く帰れたので、留守番をしていたバアと上田のイオンに買い物に出直した。