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2015年09月28日 (月) | Edit |
昨日は、寝るのが11時過ぎになってしまったので、目覚ましをセットした6時までゆっくり寝ていたかったが、5時には雨の音で完全に目が覚めてしまった。
ホテルの最上階の10階の部屋だったせいなのか、初めは何の音だろうと耳を澄ませて聞いているうちに、屋根に打ち付ける雨の音だとわかりすっかり覚醒してしまった。
リガのホテル
仕方なく起きて出かける支度をした。このホテルは、1泊だけなので荷造りもある。
6時半から朝食が食べられるというのでレストランに行くともう同じツアーの人たちが10人以上きていた。
我々より年配と思われる人も多く、朝早く目が覚めてしまうのだろうか?
朝食を食べ終え、外に出て見るともう雨は止んでいた。
8時半出発、ということで5分前には全員バスに乗り込み出発することができた。
今日は、バルト三国の三つ目の国リトアニアに向かう途中ラトビア国内にあるルンダーレ宮殿に行って入場観光した。
ロシアの女帝アンナに愛され、貧しい貴族からクールランド大公にまで昇格したビロン公の夏の宮殿として建てられたものだ。
狩猟を目的に建てられたので、森と草原の中にポツンと建てられている。
それでも建物の外観はバロック様式の豪華さを、建物内部はその後の時代のロココ調の優雅な装飾、デザインが施されている。庭園も典型的なフランス庭園の様式で左右対称の幾何学的な模様で造園されていた。
建物の屋根の上にコウノトリの巣があった。
ルンダーレ宮殿の概観ズ ルンダーレ宮殿正面 宮殿の中庭 屋根の上のコウノトリ
現地ガイドは、昨日リガの歴史地区を案内してくれた女性がホテルからバスに同行して案内してくれたので、車中でもラトビアの文化や経済状況なども説明してくれたので、参考になった。
いまEUでが、シリア難民の問題が大きな問題となっているが、彼女の話ではラトビアでは現在失業率が18%にも上っており、これで難民が流入してきたらさらに失業率が上がってしまうだろうと心配していた。
同じユウロ圏でも経済的な格差が大きく、必ずしもEUが歓迎されているわけではないことが想像できる。
ルンダーレ宮殿の中で、現地ガイドさんがいろいろ説明してくれたが、この宮殿を使っていた人たちの歴史的な背景や関係が分からないので、説明を聞いてもよく理解できなかった。
バルトのベルサイユと言われるだけあって、豪華さと優雅さを兼ね備えた建物だった。
こういう建物の内部は普通撮影禁止が多いのだが、ここはフラッシュさえつけなければ自由に撮影できた。
贅を尽くした宮殿内部の一部を紹介しよう。
宮殿内の装飾① 宮殿内の装飾② 宮殿内の装飾③ 宮殿内の装飾④
天井のフレスコ画もよく保存されていて色がくすんでいなかった。
天井画① 天井画②
宮殿内を見学した後30分ほど自由時間があったので、庭園を歩いた。
よく手入れされていると思ったら、働いている人の姿が目に入った。
庭園① 庭園② 庭園③
1時間半ほど見学した後、バスで移動してリトアニアに入国した後「十字架の丘」に行った。
1831年当時の帝政ロシアの圧政に蜂起した人たちが処刑されたことを悼んで建てられた十字架が、いつしか権力への抵抗のシンボルになっていった。
ソビエト連邦支配時代に何度か撤去を試みたようだが、民衆の抵抗で守られたという。
十字架の丘① 十字架の丘② 十字架の丘③
30分ほど見学したが途中で雨が降ってきて慌ててバスに戻った。
その後は、この丘からバスで10分ほど行ったリトアニアの北部の中心都市で昼食を食べた。
メインディッシュは、ジャガイモ団子と言っていたが、マッシュポテトと小麦粉を混ぜてルンダーレ宮殿お餅状にし、形はラグビーボールに似ていて中に豚のひき肉をはさんで固めたものだった。
2個ほどお皿に乗って出てきたが、とても全部は食べ切れなかった。
デザートはアップルパイにアイスクリームが添えてあった。
昼食のツェペリナイ 甘いランチのデザート
食事を終えてお店を出るときにはもう3時近くになっていた。
この後は一路リトアニアの首都ビリニュスに向けて約200㎞走った。
午後6時にホテルに到着。部屋は今までと違って広く快適で、たった一泊ではもったいないようなホテルだ。
温泉スパの設備もあるホテルのようだ。
ホテルの広い部屋
7時からホテル内のレストランで夕食、6人掛けのテーブルで3組の夫婦で話が弾んだ。
メインの料理はおいしいポークだった。
夕食はポーク料理