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2015年11月25日 (水) | Edit |
昨日は午後11時過ぎには就寝したが、2時間ほど眠ったあと目が覚めてしまった。
その後は、兄のことや今日の出棺の際の遺族親族を代表する挨拶のことなどを考えていたら、神経が昂ぶってしまったのか、5時ごろまで眠れなくなってしまった。
その後何とか眠りに着くことができ7時半に目覚ましで起きたが、完全に寝不足状態だった。
朝食はホテルのバイキング形式の食事を取った。
10時までにチェックアウトしなければならないので、9時半にチェックアウトし葬祭場に行った。
11時からの告別式までにはまださすがに早過ぎたようでしばらく控室も使えなかったので、式場の椅子に腰かけてしばらく休んだ。昨日はだいぶ暖かく感じたが、今日はこちらでも少し肌寒く感じた。
10時半には来る予定だった娘たちが、式が始まる10分前になっても来ないのでやきもきしたが、5分前にようやく到着してホッとした。
電車が遅れたようだ。
昨夜の通夜に引き続き、告別式と初七日は、父や母が眠る静岡の曹洞宗のお寺の僧侶が導師となって執り行われた。
葬儀の時にいつも感じるのだが、どの宗派のお坊さんでも唱えるお経は、現代に生きる人間には言葉の意味が全く理解できなくて、ただただ何を言っているのか少しでもその意味を汲み取ろうと努力するのだが、徒労に終わってしまう。
やはりお経も現代語訳して唱えるべきではないかとつくづく思う。
意味は分からないが、何となく有難いもの…などという時代ではないはず。
告別式が終わり、出棺に先だって遺族・親族を代表として挨拶をすることになった。
思い返せば、母の時も父の時も、そして今度は兄の時も全部ジイがあいさつすることになってしまった。
中でも今日の挨拶が一番精神的に厳しかった。
昨日のブログでも書いたが、セレモニーホールで参考としてくれたあいさつ例文では、何も遺族の気持ちや思いも込められていない気がしたので、最初と最後だけ例文から援用させてもらったが、間は自分の言葉で語ろうと準備したもので話した。
その内容は、おおよそ以下のものだった。
実際には少し緊張して違う言葉で表現してしまったものもあるがおおむねは以下の通り。
「ただ今ご紹介にあずかりました弟のジイでございます。本日は足もとの悪い中、ご多用にもかかわらずご会葬賜りありがとうございました。また、霊前に過分な御厚志をいただき、心より感謝申し上げます。本日御会葬いただきました皆さまも同じ思いをなさられていると存じますが、このたびのあまりにも急な思いがけない兄の死を目の前にして、これをどのように受け止めたらいいのか、いまだ心の整理ができていないのが今の正直な気持ちでございます。弟の目から見ますと、兄は幼いころから『よくできた子』で、両親の期待の星、希望の光でございました。この両親の期待に一心にこたえる親孝行な息子でもございました。成人したのち社会人としては、銀行マンを一筋にその職責を全うし、定年後は地元で民生委員・児童委員として地域に貢献する働きをしておりましたので、まだまだこれからも様々な場面で活躍してくれるものと思っておりました。そんな兄を、先に天国に行った父や母が呼び寄せてしまったのでしょうか?引き止める間もなく、最後の親孝行を果たすかのように天国にかけ上がって逝ってしまいました。残された私どもの悲しみは尽きることがありませんが、きっと兄がもっともっと生きたかった年齢まで、いや生きて欲しかった年齢まで、残された私どもが兄に代わって生き抜く覚悟をしておりますので、生前の兄に賜りましたご厚情と同様、残された遺族にも賜りますよう、これからも見守り支えてくださいますようお願いして挨拶とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました」。
出棺の後、大和斎場まで行って焼骨し、収骨の儀を済ませて海老名の斎場に戻った。
告別式の始まる前に降り出した雨は、この時には止んでいた。
義姉や甥、姪家族に挨拶し斎場を出たのが午後4時だった。
途中横川のサービスエリアで休憩を取ったが、家には無事7時過ぎに戻ってくることができた。
寝不足だったので途中睡魔に襲われるのではないかと心配したが、上信越道に入ったころからまた雨が降り出し、緊張の連続となったせいかそれほど眠くならずに帰ることができた。