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2015年06月19日 (金) | Edit |
明け方近くから雨が降り出したらしく、朝起きるとまだ雨が降っていた。
新聞を取りに玄関の外に出るとひんやりした空気で、温度計は14℃だった。肌寒く感じるわけだ。雨は9時前には一時止んだ。
午前中、石飛幸三著『「平穏」のすすめ』(講談社文庫)を読んだ。
著者は、長年東京都済生会中央病院に勤務し、血管外科医として先進医療の第一線で活躍したあと、世田谷区立の特養「芦花ホーム」の常勤配置医として働いている人だ。
特養での勤務を通じて、高齢者の医療現場で日常的に行われている「胃ろう」などの行き過ぎた延命治療を目の当たりにし、その問題点に警鐘を鳴らしている。
ジイやバアもちかごろよく唾や飲み物を誤嚥して、むせることが多くなった。
お互い年を取ったことの証のように、むせかえった涙目を見ながら確認し合うことが多くなった。
まだ誤嚥から肺炎にまで至ることはないが、これから先体力が落ち、判断力も鈍って認知症にでもなれば、自力で食べることもできなくなったり、ましてや気管に入った異物を吐き出すこともできなくなるだろう。
今の医療技術では、誤嚥性肺炎を防ぐため、胃ろうや経鼻胃管など口から食べるのではなく、管を使って必要な栄養を補給する技術が普通に行われるようになってきた。
しかし、体力が落ちてしまった人によっては、胃に直接入れられたものが食道を逆流して気管に入ってしまうことのあるようだ。
そこまでして延命することが、その人にとって「生きる」意味がるのか、何度も老人の死を看取った医師として問わざるを得なかったのだろう。
生から死へ、それが一つのものとして自然に迎えようとしているのに、それをあえて医療によって、生と死を画然と切り離そうとすることが(生かそうとすることが)、本当に正しいことなのか、医療の現場で必死に生命を守ろうとした医師が到達した見解は、傾聴に値するだろう。
どんな死に方になるのか自分では選びようもないが、胃ろうや経管栄養に頼らず、自然に枯れるように死を迎えたいものだ。
いったん止んだ雨がお昼頃からまた降り出した。
午後2時にバアが上田駅前の美容室に予約をしてあったので、運転手として一緒に乗せて行った後、上田アリオに行き、セブンコーヒーなどを飲みながら、バアの終わるのを待った。
晴れていれば駅からアリオまで歩いてくるはずだったがまだ雨が降っているので、駅まで迎えに行き、もう一度アリオに買物するために戻った。
帰りに、丸子のデーツーに寄って、キュウリの苗を買った。
今植えてあるキュウリがそろそろ本格的な収穫シーズンに入るが、ひと月もすれば採れなくなるので、その後のためだ。
去年はこうした時間差栽培で少し長く自家製キュウリを食べることができた。
夕方里山同好会の会長さんから電話があって、明日例会で行く予定の鍋倉山周辺のピンポイント天気予報では、雨となっているとのことで、翌日の天気もあまりスッキリしないようなので、今回は中止することにした
。土曜日は梅雨の間の晴れ間になると期待していたのだが残念だ。
夜、錦織選手のテニスの試合を観ていたら、日付けをまたいでしまった。
ブログは、明日の朝書くことにして寝ることにした。
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