FC2ブログ
2015年10月01日 (木) | Edit |
昨夜の寝る時間が遅かったので、ゆっくり寝ていたかったが、目覚ましの時間を直しておかなかったので6時にまた起されてしまった。
寝ていた夜中にも、日本から4回も電話が入ったのでその度に起こされ、朝は少々寝不足状態だ。
7時に朝食会場に行くと大きなホテルなのでいろいろな国のお客で混み合っていた。
朝食の後、まちの中に繰り出した。
ホテルは、ワルシャワの中心街にあるので、午前8時前後は通勤の人たちが行き交ってゆっくり歩けないような感じだった。
広い交差点には横断歩道がなく地下通路を使わなければならないので、迷子にならないか心配したが、一歩外へ出れば泊っているノボテルホテルの背の高い建物がひと目で見つけることができた。
ホテルの前の広い交差点の向こうには、スターリンがポーランドに贈り物として建てたという文化科学宮殿がその威容を誇っていた。
贈り物といわれてもポーランド人にとっては旧ソ連の支配力の誇示にしか見えなかったようだ。
文化科学宮殿
スーパーマーケットを探して歩いて大きなビルの中の地下にあることが分かったが、買い物をしている時間はなかったので、午前8時から午後10時まで開いていることを確認し、ホテルに戻った。
9時にバスに乗ってホテルを出発し、ショパンの生家と博物館のあるシェラソヴァ・ヴォラという村へ向かった。
ホテルを出てから約1時間、畑が広がる田園地帯の先にショパンの生家があった。
ショパンの父が没落した貴族の子弟の家庭教師として勤めていた小さな館だった。
何度も壊された後に復元されているので、ほとんどショパン家やその雇い主の貴族が使っていた家具や調度品などは、その当時に広く使われていた別のものを展示していた。
ジイが学んだ小学校の音楽室に飾られていたショパンの肖像画と同じものが、飾られていた。
生家といっても、ショパンが生まれて数カ月で一家は生計のためワルシャワへ出て行ってしまったというから、ショパンそのものの生きた痕跡が残っているわけではなかった。
20歳の時祖国ポーランドを出てウィーンを経てパリに移り住んだショパンは二度と祖国に戻ることはなく、39歳の時にパリで亡くなっているので、このワルシャワ郊外のシェラソヴァ・ヴォラで生まれたことがどれほど彼の音楽性に影響を与えたかわからない。ジイだって、戸籍上は横浜の磯子で生まれたことになっているが、記憶に残っているのは金沢区で育った幼少期以降だ。
ショパンの生家 ショパンの肖像画
バスで再びワルシャワに戻って、市の中心部東側にあるワジェンキ公園に行き、公園の中にあるショパンの像を見学した。
風に吹かれて折れ曲がったネコヤナギの巨木とショパンが一体となった銅像で、見るものに想像をかき立てるものだった。
才能に満ち溢れながら、39歳の若さで肺結核で亡くなったショパンを惜しむように銅像が立っていた。
ワジェンキ公園のショパン像 ネコヤナギを抱えたショパン像
この公園の見学をした後は、旧市街の一角にあるこじんまりしたレストランで昼食を食べた。
今日も最初のスープはボルシチだったが、昨日食べたものとは全く違う料理だった。
スープの中に赤く浮かぶものがあったので、ボルシチの材料の赤カブが浮いているのかと思ったら、先日食べた水餃子のようなものだった。
スープ味は甘酸っぱくて全部食べ切れなかった。メインは、郷土料理でビゴスという煮込み料理だった。
水餃子が浮かぶボルシチ ビゴス
昼食後は、ジグムント3世の像が高い塔が立つ王宮広場と、戦後1971年から‘88年までかけて復元された旧王宮を眺めた後、旧市街の広場まで行った。
王宮広場
広場を取り囲む建物は、ナチスドイツの占領後90%近く破壊されてしまったが、今も破壊される前の姿を取り戻そうと修復が続けられていた。
旧市街の建物① 旧市街の建物②
この広場で一時解散となり、旧市街の近くを流れるヴィスワ川を見に行ったり、広場の一角のお土産売り場を覗いたりして歩いた。再集合した後は、旧市街の周りを囲むようにしてあったバルバカンと呼ばれる16世紀に造られたバロック様式の要塞を見学した。
馬蹄形の要塞はヨーロッパでも珍しく、ここを含めて3か所しかないらしい。
ちょうど砦の内側で結婚したカップルの記念撮影が行われていた。
バルバカン① バルバカン② バルバカン③
バルバカンを出て新市街にあるノーベル物理学賞を受賞したキューリー夫人の博物館まで歩いた。
道路を挟んで向かい側にある生家は修理中で見学できなかったが、生家に展示されているものは博物館に移されていて見ることができた。
工事中の生家 見学した生家の向かいの博物館 キューリー夫妻の肖像
その後はそれほど遠くない距離をバスに乗って、聖十字架教会に行って入場観光した。
この教会には、パリで客死したショパンの心臓が、遺言により姉の手でパリから運ばれて教会の中の柱の中に埋葬されていた。
聖十字架教会外観 聖十字架教会内部 ショパンの心臓が埋められている柱
ワルシャワ歴史地区の見学を終えて、ホテルに戻ったら午後5時を過ぎていた。
夕食は外のレストランということで、集合まで1時間ほど時間があったので、朝のウォーキングで見つけておいたスーパーマーケットまで行って、お土産になりそうなものを買った。
夕食は、バスでホテルからさほど遠くないところまで行って食べた。
スーパーでビールも買っておいたのでレストランではアルコールは頼まずオレンジジュースを飲み、ホテルに戻って部屋でビールを飲んだ。
二晩目のワルシャワになるが、ワルシャワの最後になるレストランはちょっと隠れ家的な雰囲気のレストランだった。
夕食レストラン内部 夕食のポークカツ 夕食デザート
明日はクラクフに移動するが、移動先のホテルは、事前調査ではインターネットの環境が整備されていないようので、この後のブログのアップは帰国後になるかもしれない。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック