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2017年05月30日 (火) | Edit |
4時過ぎに電話の音で目が覚めた。彩明会の人からの電話だった。
きっとお祝いの電話だろうが、電話を受けると高い料金がかけているほうにも受けるほうにもかかるので、電話を取らなかった。
2度ほどかかってきたのでマナーモードにした。
そのあとさらに二度も受信していたが呼び出し音は聞こえなくなった。
この電話音でバアは目が覚めてその後ほとんど眠れなかったようだ。
ジイは6時前に起きて身支度をした。
6時半から始まる朝食会場に合わせて朝食を食べに行った。
別の日本人の団体客が早い出発なのか大勢来ていた。
7時に朝食を済ませた後部屋に戻らずにホテル周辺の散策をした。
ホテルはプロヴディフの中心街に建っている。
泊ったホテル
ホテルが面している広場から、日本でいえば銀座通りのようなところを歩いた。
日本でも見られるH&Mやマクドナルドのお店の看板もあった。
後で現地ガイドから聞いた話では、マックはブルガリア第1号店らしい。
ローマ時代の競技場の跡に沿って通りが延びていて、競技場の貴賓席のある観覧席まで歩いた後、銀座通りの裏の道を通って戻った。
銀座通り① ブルガリア1号店のマクドナルド「 円形競技場の貴賓席
大通りを一歩出て裏道に入ると傷んだビルがたくさん目についた。
ホテルの近くまで戻ってくるとローマの遺跡がたくさん残っていた。
その遺跡がかなり無造作に置かれているのは、再建する財政的な基盤がないことを想像させる。
無造作に置かれているローマ遺跡
8時前にホテルに戻りスーツケースの荷造りして部屋を出た。
8時半にホテルを出て、徒歩で周辺の観光をした。
朝食の後歩いたところが最初をの観光コースだったので、下見したようなものだった。
そのときは途中で戻ってしまったが、観光ではさらに坂道を上がって13世紀ごろから築かれた旧市街を見学して歩いたが、ここにもローマ時代の遺跡が残っていた。
トルコに征服されていた時代のものやその後19世紀になってトルコから独立したあとに再建されたブルガリア正教の教会群なども見て回った。
トルコに征服されていた時代にはモスクより高い建築ができなかったので、独立後に建てられた鐘楼の部分に建築年が刻まれていた。
モスク内部 市内観光① 市内観光②「 市内観光③ 市内観光④ 市内観光⑤
2時間近く徒歩で見学した後バスを待っているとホテルから現地ガイドに添乗員の部屋にスマホが忘れているという連絡があった。迎えに来たバスでホテルに戻ったので、おかげでホテルのきれいなトイレを使うことができた。
禍転じて福となすだ。添乗員さんは冷や汗をかいてしきりに謝っていたが・・・。
10時45分にホテルを出発して一路ブルガリアの首都ソフィアに向かった。
バスは、今までずっと後ろのほうの席だったが、今日は一番前の席しか空いていなかったので、添乗員さんのすぐ後ろの席になった。
前の景色がよく見えた。今日も快晴で気持ちがいい。
バスの中でブログを書いている途中いつの間にか眠ってしまった。
ソフィアに午後1時に着いて、昼食となった。
食事はタマネギやニンジン、キュウリなど生野菜のサラダの前菜。
日本から持ってきた胡麻ドレッシングを同じテーブルの人たちにふるまったら使い切った。
メインはカヴァルマという煮込み料理で、普通のカヴァブよりたくさんタマネギを入れて煮込んであるので、タマネギの甘みが加わって美味しく煮込まれていて完食した。
昼食の後はソフィアの中心市街地から旧市街地を徒歩観光した。
快晴で太陽が照り付ける中の観光で、みなビルの陰や木陰を選んで歩いた。
アレクサンドル・ネフスキー寺院を皮切りに、聖ニコライ・ロシア教会、国立美術館、市民庭園を通り抜けて、大統領官邸へ、ここでは3時の衛兵交代の模様を見学してから、大統領官邸の中庭のような場所に建つ聖ゲオルグ教会を見た。
元の教会は6世紀ごろまで遡る古い教会で、すぐわきにはそれより古いローマの遺跡も残っていた。
アレクサンドル・ネフスキー寺院① アレクサンドル・ネフスキー寺院② 聖ニコライ・ロシア教会「 国立美術館 市民庭園 大統領官邸 大統領官邸の衛兵交代式
その後旧共産党本部や首相官邸などの建物を眺めながら地下鉄セルディカ駅に行った。
旧共産党本部「 首相官邸「
そこには、地下鉄を建設するため地下を掘っているときに見つかった、ローマの遺跡が残っていた。
地下鉄駅に向かう通路と遺跡が同席している不思議な光景だ。
ローマ時代の焼き物でできた水道管まで残っていた。
地下鉄の通路に一角に別の掘削場所から見つかって移築保存された16世紀の教会の一部も展示されていた。
断片的なフレスコ画の壁画が残されていた。
地下鉄の中のローマ遺跡② 地下鉄の中のローマ遺跡① 地下鉄の中のローマ遺跡③
地下鉄と地上をつなぐ半地下のところには聖ペトカ地下教会が最後の見学となった。
数えていないがいくつも教会を見て記憶の中で区別がつかなくなるのも時間の問題だ。
聖ペトカ地下教会
後にセントラル・ハリという市場に行って1時間のフリータイムとなった。
生鮮食品が中心の市場だが見学しても買うものもなく、ここは見学しただけで外へ出た。
あまりの暑さにアイスクリーム屋さんでアイスを買って木陰で涼みながらアイスを食べた。
市場
事前にスーパーの場所を聞いていたのでそこへ行くとツアーの半数ぐらいの人が買物をしていた。
もうお土産は目いっぱいのはずだが、ブルガリアだけで採れるマブルートというブドウで造った赤ワインを買った。
小分けできないチョコレート菓子など水彩の会の例会の時にでも配れるよう買った。
機内持ち込みの手荷物にして持って帰るようになるかも?
5時半過ぎにホテルに着いた。黒川紀章の設計で建てられたホテルオークラが前身のホテルで、今はブルガリア資本の会社が経営しているそうだ。
ロビーも広くて格式がありそうだが、早速各部屋に入る鍵がうまく開けられなくて苦労している人たちがいた。
ジイとバアの部屋は簡単に開いたので、近くで苦労している人の部屋を開けるのを手伝ってやったが、かなりの力のいる仕事だった。
ここにもブルガリアらしさが出ていた。
今のところ我々の部屋は何も問題がなさそうだが、まだ入浴などした時にどうなるか不安だ。
オプションのフォークロアショー集合時間の午後7時半まで時間があったので、これまでの一日の観光のブログをまとめた。
7時半前にホテルのロビーに行くと、外が喧噪状態で大勢の若者が大騒ぎしていた。
二つのグループで片方は結婚式の集まりでもう一方は高校の卒業祝いだった。
高校卒業のほうはアルコールの瓶をラッパ飲みして、車の窓から体を乗り出して騒いでいた。
この年で飲酒は解禁されているのか?
高校生の大騒ぎ
おかげで迎えのバスがホテルの駐車場に入ってこれず、バスまで歩く羽目になった。
バスに乗った後も道路は渋滞してなかなかフォークロアショーの会場まで行きつけず8時近くになってしまった。
ショーが始まったのは8時半からで、30分間民族歌謡をデュエットで休みなく歌いっぱなしだった。
言葉の意味が分からないので、ジイには壊れたレコードが同じところを何回も回っているようにしか聞こえなかった。
音楽と歌の騒音で隣の人とのおしゃべりもほとんど聞き取れなかった。
年を取って耳が遠くなっているが、特に喧騒の中では人の話し声が聞き取れない。
人いきれとビールの酔いで暑くてたまらず、そのあとの民族舞踊ではほとんどボーっとしていた。
食べるものだけは一通り食べたが・・・。
フォークロワショー① フォークロアショー② 夕食前菜 夕食のメイン 夕食のデザート 夕食のビール
まだまだ続くフォークロアショーだったが、10時に退席しバスに乗ってホテルに戻った。
帰りは10分とかからなかった。明日は9時出発なので少しゆっくり寝れそうだが・・・。
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