2018年11月28日 (水) | Edit |
昨夜は酔っていたので、11時前には寝入ったものと思われる。
午前5時過ぎに目を覚ました後もう寝付けなくなってしまった。6時半に温泉に入りに行った。
烏の行水だがさっぱりしたところで、朝食を食べに行った。
バイキング形式だが、さすが富山のホテルだけあって、魚介類が豊富に用意されていた。
イクラとサーモン、カニをシラウオの混ぜご飯の上に載せて食べた。
お茶碗一膳では足りない気がしたが他にも焼き魚や、練り物などがあったので一通り食べたら満腹になってしまった。
部屋に戻って朝ドラなどを見ていたら、眠くなってしまった。
天気予報では日中曇り夕方から雨の予報だったが、9時にチェックアウトして外に出ると青空が見えた。
大きな荷物を駐車場に止めてある車に置いて、ホテルのシャトルバスで富山駅まで送ってもらった。
富山駅の反対側(北口)から徒歩圏内にある「富岩運河環水公園」に行った。
近くを流れる神通川から引き込んだ運河で、富岩水上ラインという運河クルーズで、途中運河の2.5mの水位の段差を解消する閘門を渡る体験もできる船の乗り場ある。
船乗り場に行ってみると、すでにクルーズは来年3月まで運休となっていた。
仕方がないので公園になっている運河の周りを一回りした。途中野鳥観察小屋があったので覗いてみると、大型の望遠レンズの付いたカメラを構えている人がいた。
その先を見たら、カワセミが枯れ木の枝にとまって魚を狙っていた。
川に飛び込んで魚をくわえて枝に戻るところまで目撃することができた。
船に乗ることはできなかったが、滅多に見られないものを見ることができた。

富山駅まで戻って、駅から市電に乗って車を停めてあるホテルの隣の駐車場まで戻った。
ちょうどバアが乗ってみたいと言っていた新型の洒落た形のトラムに乗ることができた。

車に乗って、富岩水上ラインの終着点になっている富山湾に近い岩瀬地区まで車で行った。
車で行っても20分以上かかるところだった。
最初に国指定文化財になっている北前船廻船問屋森家を見学した。
明治11年に建設された建物で全国から寄せ集めた材木をぜいたくに使っていた。
140年も経ているので骨組みはしっかりしていた。
玄関から建物の裏まで通じる土間通りには、小豆島から運んだ幅1間、長さ15mにも及ぶ平らに石が敷かれていた。
裏手は神通川の船着き場になっていて、荷物の出し入れに硬くて平らな石がよかったのだろう。
土蔵の鏝絵など贅をつくしたものだった。
倉敷の大原美術館を建てた倉敷レーヨンの創業者大原お氏が、富山湾岸に作った製造工場のための社宅として一時期所有していたという。
明治以降の交通、運輸の大きな変化で海運業も大きく変わり没落してしまったのだろう。
見学者に一組ずつ、丁寧に家の中をガイドしてくれた。

近くの富山湾展望台に行ったが、バリアフリーにはなっておらず、昇るのは断念した。
そのあとクルーズ船の終着点になっている岩瀬カナル会館に行ってみたが、船が運航していないせいか閑散としていた。あまり見るものもなかったので今日泊まる氷見市に行くことにした。
途中普通の昼食をとった後、氷見漁港に行った。
氷見の中心街が道路沿いに長いアーケード街がつながっていたが、シャッターの降りているお店が目立った。
あとで聞いてみたら水曜日の今日は定休日になっているとのこと、ただそれでもだいぶさびれていることは確からしい。
氷見番屋街という氷見漁港場外市場にも行った。
まだ新しい施設で、市場のアウトレットモールという感じ、明日帰る前に自家用のお土産を買いにもう一度寄ることにして、予約してある宿に向かった。
昔ながらの旅館で和室の12帖の広い部屋だった。
食事も部屋食ということで、畳に座って食べられるか心配だったので、事前に電話しておいたら椅子を用意しておいてくれた。
3時半にチェックインしたので夕食まではたっぷり時間があった。
昨日のホテルの温泉は、バアは不安があったので入りに行かず、部屋の温泉の出る浴槽で済ませたが、今日は大浴場に挑戦した。
段差を小さくした手すりが付いていて、問題なく入れたようだ。
夕食は食べきれないほどのご馳走が出た。
中でも鮮度のいいプリプリのお刺身の船盛は最高だった。
カレイの唐揚げやブリ大根など記憶に残る味だった。富山旅行をしてよかった。
バアは、畳に敷いた布団にも何とか横になることができた。
旅行に出る前から心配していたことだが、みなクリアできた。

午前5時過ぎに目を覚ました後もう寝付けなくなってしまった。6時半に温泉に入りに行った。
烏の行水だがさっぱりしたところで、朝食を食べに行った。
バイキング形式だが、さすが富山のホテルだけあって、魚介類が豊富に用意されていた。
イクラとサーモン、カニをシラウオの混ぜご飯の上に載せて食べた。
お茶碗一膳では足りない気がしたが他にも焼き魚や、練り物などがあったので一通り食べたら満腹になってしまった。
部屋に戻って朝ドラなどを見ていたら、眠くなってしまった。
天気予報では日中曇り夕方から雨の予報だったが、9時にチェックアウトして外に出ると青空が見えた。
大きな荷物を駐車場に止めてある車に置いて、ホテルのシャトルバスで富山駅まで送ってもらった。
富山駅の反対側(北口)から徒歩圏内にある「富岩運河環水公園」に行った。
近くを流れる神通川から引き込んだ運河で、富岩水上ラインという運河クルーズで、途中運河の2.5mの水位の段差を解消する閘門を渡る体験もできる船の乗り場ある。
船乗り場に行ってみると、すでにクルーズは来年3月まで運休となっていた。
仕方がないので公園になっている運河の周りを一回りした。途中野鳥観察小屋があったので覗いてみると、大型の望遠レンズの付いたカメラを構えている人がいた。
その先を見たら、カワセミが枯れ木の枝にとまって魚を狙っていた。
川に飛び込んで魚をくわえて枝に戻るところまで目撃することができた。
船に乗ることはできなかったが、滅多に見られないものを見ることができた。


富山駅まで戻って、駅から市電に乗って車を停めてあるホテルの隣の駐車場まで戻った。
ちょうどバアが乗ってみたいと言っていた新型の洒落た形のトラムに乗ることができた。

車に乗って、富岩水上ラインの終着点になっている富山湾に近い岩瀬地区まで車で行った。
車で行っても20分以上かかるところだった。
最初に国指定文化財になっている北前船廻船問屋森家を見学した。
明治11年に建設された建物で全国から寄せ集めた材木をぜいたくに使っていた。
140年も経ているので骨組みはしっかりしていた。
玄関から建物の裏まで通じる土間通りには、小豆島から運んだ幅1間、長さ15mにも及ぶ平らに石が敷かれていた。
裏手は神通川の船着き場になっていて、荷物の出し入れに硬くて平らな石がよかったのだろう。
土蔵の鏝絵など贅をつくしたものだった。
倉敷の大原美術館を建てた倉敷レーヨンの創業者大原お氏が、富山湾岸に作った製造工場のための社宅として一時期所有していたという。
明治以降の交通、運輸の大きな変化で海運業も大きく変わり没落してしまったのだろう。
見学者に一組ずつ、丁寧に家の中をガイドしてくれた。

近くの富山湾展望台に行ったが、バリアフリーにはなっておらず、昇るのは断念した。
そのあとクルーズ船の終着点になっている岩瀬カナル会館に行ってみたが、船が運航していないせいか閑散としていた。あまり見るものもなかったので今日泊まる氷見市に行くことにした。
途中普通の昼食をとった後、氷見漁港に行った。
氷見の中心街が道路沿いに長いアーケード街がつながっていたが、シャッターの降りているお店が目立った。
あとで聞いてみたら水曜日の今日は定休日になっているとのこと、ただそれでもだいぶさびれていることは確からしい。
氷見番屋街という氷見漁港場外市場にも行った。
まだ新しい施設で、市場のアウトレットモールという感じ、明日帰る前に自家用のお土産を買いにもう一度寄ることにして、予約してある宿に向かった。
昔ながらの旅館で和室の12帖の広い部屋だった。
食事も部屋食ということで、畳に座って食べられるか心配だったので、事前に電話しておいたら椅子を用意しておいてくれた。
3時半にチェックインしたので夕食まではたっぷり時間があった。
昨日のホテルの温泉は、バアは不安があったので入りに行かず、部屋の温泉の出る浴槽で済ませたが、今日は大浴場に挑戦した。
段差を小さくした手すりが付いていて、問題なく入れたようだ。
夕食は食べきれないほどのご馳走が出た。
中でも鮮度のいいプリプリのお刺身の船盛は最高だった。
カレイの唐揚げやブリ大根など記憶に残る味だった。富山旅行をしてよかった。
バアは、畳に敷いた布団にも何とか横になることができた。
旅行に出る前から心配していたことだが、みなクリアできた。



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