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2019年12月31日 (火) | Edit |
1年の締めくくりの大晦日を迎えた。
若い時には、毎年当たり前のようにこの日を迎えていたが、70代にもなると、無事この一年も命を永らえたことを噛み締めるような気分になる。
マスコミに数多く顔を出していた人たちの訃報を聞く1年でもあった。
中には同年代やジイよりさらに若い世代の人もいた。
70代はかつては古稀といわれていたことを思えば、もういつ死んでもいい年ということでもある。
そこまで覚悟ができているわけではないが・・・。
今朝7時に起きてデッキの温度計を見ると、すでに10℃になっていた。
大晦日に長野でこんな気温になったことは初めてだと思う。
春先に吹くような南風が少し強く吹いていた。
カミちゃんが、9時にオープンするコメリに、駐車場の車止めを買いに行くというので、他にトラロープやペグを買う必要もあるので、一緒に買いに行くことにした。
8時半に家を出てカミちゃん家に行き、ジイの車で東部湯の丸インターの近くのコメリに行った。
道路が空いているので9時10分前に着いてしまった。
他にも早く来ているお客さんもいたので、5分前にはお店を開けてくれたので、車止め、トラロープ、ペグを買った後道をはさんで反対側の園芸コーナーに行って、白い玉石なども買った。
10時前から接骨院の玄関に敷くレンガ調の石板を敷き始めた。
はじめに昨日凍土のようになった土を剥がして穴が開いていたところに土を入れて平らにし、その上に砂を敷きならした。
暑いぐらいの気温なので、防寒着を脱いで作業した。
石板のレベルを合わせるのが簡単ではなく、何度もやり直した。
お昼までかかりそうだったので、途中で長女夫妻には年末の買い出しに行ってもらった。
12時までかかってなんとか8枚の石板を敷き終わった。
どうやっても完ぺきにはならなかったが、そこは素人なのだから仕方がない。長女夫妻にはこれで許してもらうしかない。
お昼になったので家に戻って昼食を取った。
お昼前から黒い雲が空を覆い始めて、少しずつ気温が下がってきていた。
午後1時前に家を出ると雨が落ち始めてきた。ときおり白いもの混ざっている。
午前中は異常な暖かさだったのに、午後は北風に変わってぐんぐん冷えてきた。
午後は木製の柵の植え込みをした。
買物から帰ってお昼を食べ終わった長女夫妻も手伝ってもらって、石板の周りや建物に近いスペースに砕石や玉砂利を敷いた。
玄関前の石板
そのあとは駐車場のトラロープの貼り付けと車止めの設置の作業をした。
当初5台が停められる計算をしていたが、実際には4台ぐらいしかスペースがなかった。
さらにフィットとN-boxを並べて置いてみると、車と車の間に余裕がなかった。結局余裕で置ける3台の駐車ができるようにした。
それで置けないほどお客さんが来るようなら、敷地が広いので他にも置ける場所はある。
駐車場
全部作業が終わったら4時になっていた。
途中から寒くなって顔や耳が赤くなるほどだった。
終わった後はすぐに家に戻った。バアが恒例のおせちづくりを終わらせていた。
あとはジイが担当の栗きんとんや松前漬けを作るのみだった。
一息入れてから早速栗きんとんと松前漬けを作った。
1時間ほどで完成した。松前漬けは味が染みるのに一晩かかる。
いつもの夕食の時間に、年越しそばとおせちの一部の煮物を、ワインを開けて飲みながら食べた。
年越しそば
この一年、3月の左足の静脈瘤の手術から始まり、6月には鼠経ヘルニアの手術で3日間入院した。
初めての入院と言っていいだろう。
8月には右ひざを痛め、整形外科で変形性膝関節症と診断された。
小康状態を保っていたが、1か月後の9月に写生に行っているときに下り坂でグキッと右膝を痛めてから、2か月以上整形外科に通ったが痛みが引かず、膝に水が溜まって、整形外科に行くたびにその水を抜いてもらった。
一向に痛みが引かないので整形外科を変えて、ステロイド注射を打ってもらったら2日もしないうちに痛みと腫れが引いた。
年末になってようやく健康と言える状態になった。
この一年はそういう意味で肉体的には大きく変化し、年相応の状態になったと言える。
年の割に若いと自負できなくなった。
来年は、亥年も終えて子年になるので、若さに暴走することなく、身体をいたわって無理をせず、好きなことをするように心がけよう。
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