2021年08月06日 (金) | Edit |
広島に原爆が投下されてから76年となる日を迎えた。
今年もコロナの終息が見えない状況の中で、広島の平和記念公園で例年の1割ほどの規模で記念式典が行われていた。
式典の模様はNHKで午前8時前から放映されていたので、それを見ていた。
黙祷から始まり、献花、広島市長の「平和宣言」、こども代表による「平和への誓い」と格調高い言葉が並んだ。
松井市長は、いま全世界が人類の脅威となっているコロナに対し、一致協力して対策を講じているのと同じように、人類に凄惨な結末をもたらす脅威となっている核兵器を一致協力して廃絶すべきと訴えていた。
そして今年も日本政府に対し、核兵器禁止条約の締約国に一刻も早くなるよう促した。
こども代表の小学6年生の男女二人は、「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと。私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです。私たちは、悲惨な過去をくり返してはいけないのです。」と原稿を読まないでまっすぐ前を見て語った。
そのあとの菅総理のあいさつは、懐から原稿を取り出して、それを棒読みするだけだった。
事前に一度も読む練習をしなかったのか、国連総会での非核三原則に関する発言のくだりで、途中から字幕で出ていた原稿と違うことを読み始めた。
NHKが慌てて字幕を取り消し、数秒経ってようやく後追いするように菅首相の読んでいる原稿に合わせて字幕が出るようになった。
このあとやはり読み飛ばしだったことが分かってニュースになっていた。
式典後広島市長に誤っている映像がニュースで報じられていたが、あとでわかったが最もあいさつの核となる『唯一の被爆国として「核兵器のない世界」の実現に向けた努力を着実に積み重ねていく』、という言葉を飛ばしてしまったのだ。
安倍前首相も、松井市長が核兵器禁止条約の締約を迫っても、木で鼻をくくったような言葉でスルーし続けていたが、菅首相に至っては原稿の読み飛ばしまでやってのけてしまうのだから、被爆者や遺族はどんな思いでこういう政治家を見ているのだろう・・・。
76年前の広島がそうであったように、今日も朝から気温が上がって暑い一日になった。
午前中からエアコンを点けた。
午後3時前に接骨院に行った。
長女は今日から仕事だと思っていたら、今日も休みで家にいたので、施術のあとは家で冷たいコーヒーをご馳走になった。
午後から風が出てきていたので、空き地の片隅に積み上げてあった雑草や剪定した草木を火燃しした。
ここ数日雨が降らず積んであった枯草も乾燥していたし、風もあったので、焼却ブロックの中でよく燃えた。
1時間ほどで山になっていた枯草もほとんど無くなったので火を消した。
5時過ぎに家に戻った後歩くつもりだったが、畑の水やりだけしてリハビリウォーキングは休んだ。
宅配便で午後6時半に70周年記念誌のサンプル5冊が届いた。
冊子としての体裁は想定していた通りだった。
中の作品の写真の色もまずまずだった。
オンデマンド印刷でも悪くはない。
ひとまず試作品を見て安堵した。
今日も東京の感染者は4,000人台、全国でも15,000人台と、コロナが始まって以来最も高い数値の感染者が出ている。
ジイが住んでいる地域は上田地域の保健所管内だが、県の警戒レベル5となり、まん延防止措置に準ずる措置が取られるようになった。
公民館も使用中止となり、水彩画の会の例会も開けなくなった。
このまま9月まで同じような感染状況が続くと、会員展、支部展などが中止になりそうだ。
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