2021年12月24日 (金) | Edit |
朝9時前にホテルをチェックアウトして、南新宿のカフェで朝食をとった。
昨夜の食べ過ぎ飲み過ぎで、胃のほうがお疲れさんで食欲がないと思ったが、食べ始めたら結構食べられた。
朝食の後、山手線で上野まで行った。
昨日はスイカのカードを持って行くのを忘れ、切符を現金でいちいち買ったが、大人の休日俱楽部用にビューカードを持っていたのを思い出し、駅員さんに聞いたらビューカードに付いているスイカをチャージすれば使えると教えてもらったので、1,000円チャージしてそれを使って乗り降りをした。
上野に行ったのは、旧岩崎邸庭園を見学に行くためだ。
地下鉄で湯島まで行く方法もあるが、上野駅から不忍の池を通って行くことにした。
上野公園は結婚前のデートコースの一つだった。
西郷隆盛像を眺めてから、不忍池の縁を通って岩崎邸まで歩いた。
ジイは一度行ったことがあるがバアは初めてだった。
ここは、スケッチ画のお手本でよく描かれているので、写真に撮ってスケッチ画の練習に使おうとするつもりだったが、残念なことに庭園の改修工事中で、遠景で建物を撮ることができなかった。
建物は三菱財閥の三代目岩崎久彌が明治29年(1896)が財力に物を言わせて作ったもので、洋館の部分は、現在の東京大学工学部建築学科の前身となる工部大学校の教師だったイギリス人ジョサイア・コンドルの設計によるものだそうだ。
パンフレットによれば鹿鳴館や上野博物館、ニコライ堂なども設計した人らしい。
東京駅の設計で有名な辰野金吾もこの建築家の門下生という。
重厚な建築の洋館に比べ、日常の生活を送った和館のほうで残っているのは3棟だけのようだが、そちらのほうが日本人としては見学していても心が落ち着く感じだ。
残念なことに、横山大観や下村観山、河合玉堂、菱田春草なども師事した橋本雅邦が描いたという障壁画が、色褪せてしまっていた。
岩崎邸を後にして次に時代劇に出てくる湯島天神(湯島天満宮)に行った。
合格祈願と思われる若者がたくさん来ていた。
映画か何かの撮影もしていた。
別に神頼みするような信仰もないので見学だけした。
上野まで戻る途中和食のお店があったので、お昼を食べに入った。
ジイは昨夜に続き魚で西京焼きを選んだが、バアはローストビーフで元気モリモリだった。
昼食の後、上野広小路から銀座線で銀座まで行き、教文館に行った。
地下鉄から外に出たところにあった三越のシンボルのライオン像のライオンの口にマスクが掛けられていた。
教文館の昔の入口の回転ドアが使われずに残っていた。
3階の書籍コーナーをぐるっと見て回った。
もう手に取ってみることもなかったが、著者名で何人か心当たりの名前もあった。
4階のグッズ売り場はクリスマスイブともあって賑わっていた。
懐かしの讃美歌集のCDを1枚買って帰った。
自分たちの葬儀が行われるときには、BGMで流してもらうようになるかも、とバアと話した。
銀座線で上野駅に戻り、上野から宇都宮線で大宮まで行って新幹線に乗った。
長野止まりの新幹線なら空いているだろうと、指定席を取らないで自由席にしたら、座る席を探すほど混んでいた。
何とかバラバラに空席を見つけて座ったが、次の熊谷駅でかなりの人が降りたので、二人席に並んで座ることができた。
4時半過ぎに無事帰宅できた。
昨夜ホテルに戻るときに、今までつったこともない左足の付け根辺りをつったのをはじめ、この二日間で両足とも筋や関節が痛くなった。
とにかく東京は階段が多い。
階段の上り下りに苦労するバアを補助するため久し振りに手をつないで歩くことが多かった。
車を必要としないほど交通網が整備されている大都会だが、元気な人には都合がよくても、足腰の弱った人には暮らしにくい。
バリアフリーは限られたところだけで、いまだに地上も地下も階段が多過ぎる。
足腰の弱った年寄りが家にこもりがちになるのがよくわかった。
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