2022年06月28日 (火) | Edit |
昨日は日本水彩展や都心の街中歩きで疲れたのか、11時前には就寝し、ぐっすり眠れた。
前回新宿のホテルに泊まった時は、線路際に建っているホテルで、朝早くから電車の音で目を覚ますことがあったが、今度のホテルは今年4月オープンのホテルで設備も新しくアメニティも行き届いていて、ゆっくりできた。
7時に起き、着替えて近くのモーニングをやっていそうなところ探したが、適当なところが見つからず、コンビニで買ったものをホテルに持ち帰って部屋で食べた。
9時半にチェックアウトし、地下鉄を使って築地まで行った。
最初に築地本願寺を見学した。
この建物は普通のお寺とは全く違う建築様式なので、築地に行ったことがる人なら大抵目にしていることだろう。
お寺には縁がないジイとバアなので、築地には何度も行ったことがあるが、遠目に眺めるだけで一度も境内に足を踏み入れたことがなかったが、特に信者でもなく、縁もゆかりもない人でも自由に見学ができる、と聞いたので今日は中に入ってみることにした。
すでに炎天下で外気温は真夏並みになっていたが、広い堂内は涼しくなっていた。
武蔵野大学付属の高校生の行事が行われていたので、控えめに見学した。式典の中でパイプオルガンが演奏されていた。
メロディーやハーモニーはまるで讃美歌のようだった。
パイプオルガンイコール教会音楽という先入観のせいかもしれないが・・・。
建物の外観ももっと見学したかったが、陽射しが強すぎてゆっくり見て回ることもできないので、早々にお寺を後にして、佃島に向かった。
佃島は、徳川家康が大阪の住吉神社の関係者を呼び寄せて住まわせたと言われている。
その際に職人たちも一緒に移住して当時の佃煮の技術を生かした産業を興したと言われている。
築地本願寺から佃大橋を渡ってすぐ、と地図にあったが、実際に炎天下を歩いてみると、30分以上かかった。
途中何度も給水した。
途中の佃大橋からの眺め。
はじめに江戸時代から営む佃煮のお店でお土産に佃煮を買った。
こじんまりしたお店で、周りにも本家とか元祖とかを看板に掲げているお店もあったが、ネットで調べてあたりを付けておいたお店にだけ行った。
店主との話ですぐ近くにある住吉神社を教えてもらったので、そこまで歩いた。
昭和の時代を代表する舗装路地のある住宅がひしめき合った場所もあれば、その先には高層マンションも建ち並んでいて400年ほどの歴史が景色の中に詰め込まれているような感じがした。
木陰で絵を描いている人もいた。
以前にもんじゃ焼きを食べに行ったことのある月島まで歩き、そこから都バスに乗って東京駅まで戻った。
バスは八重洲口に着いたので、八重洲の地下道で丸の内口まで行こうとしたが、どうして連絡道が見つからず地上に出たら、消防車やパトカー、見物人がたくさん出ていた。
ビルの中程でガラス磨きのゴンドラが止まり、そこにはしご車が伸びて行くところだった。
あとのニュースで知ったが、ゴンドラが故障して救助されたらしい。
作業員の一人は熱中症で病院に運ばれたらしい。
やっと丸の内口まで遠回りをしてたどり着いたが、お昼は迷った挙げ句、結局新しくできたヤエチカの一角で冷たいさぬきうどんを食べた。
このまま家に帰るにはまだ早過ぎるので、水族館で涼んで行こうと思いつき、葛西臨海水族園に行くことにした。京葉線で行けば15分で行ける、はずだったが、東京駅の京葉線は地図上では改札まで600mと書いてあったが、それ以上ジイとバアの足では20分位かかったと思う。
やっとの思いで電車に乗ることができた。
葛西臨海公園駅で降りてから水族園までまた炎天下の歩き、さらにチケット購入してから建物までさらに数分歩き、館内に入ったら座って一息つかなければならなかった。
ただ大きな水槽をグルグル泳ぎ回るマグロやカツオなどを眺め、小さめの水槽に色とりどりの魚を眺めて疲れを癒された。
とても水彩画では表現できない原色の色や模様には驚かされた。
小さな子どもだけではなくジイやバアと同じような年ごろの人まで、きれいな魚の前で歓声を上げる姿はとても微笑ましかった。
今のウクライナの戦況を一瞬忘れてしまうような世界だった。
最後に屋外のペンギンたちの給餌イベントの終わりを見て見学を終了、熱くなった体を冷やすべくレストランでかき氷を食べた。
こちらも人工的な着色料たっぷりの鮮やかな色のかき氷だった。
東京駅まで戻り新幹線に乗ろうとしたが、目の前でドアが閉まってしまったので、帰りの新幹線は5時半の出発となった。
入線まちの先頭に並んだので、自由席は安心して座れたが・・・。
7時過ぎに無事帰宅した。
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