2022年09月12日 (月) | Edit |
7時までぐっすり眠った。7時半に朝食会場に行った。
広い場所でゆったりと時間をかけて食事をした。
お腹の調子も戻って来た。従業員に断って、コーヒーを持って行ったボトルに入れた。
大船渡9時11分発のBRTで最初に陸前高田の奇跡の一本松まで行った。
BRTは越前高田の近くまで旧鉄道敷を走っていたが、途中から一般道に出た。
大船渡線の線路は震災前に走っていた陸前高田市内が壊滅的な打撃を受け、鉄道の復興をやめて、BRTに切り替えたのだろう。
一般道を大きく迂回して陸前高田に入った。
そこは復興後の新しく変わった景色のところだった。
奇跡の一本松の遺跡があるバス停は、道の駅と東日本大震災津波伝承館が一体となった高田松原津波復興祈念公園の中にあった。
道の駅にあったコインロッカーにスーツケースを預けた。
海側には海岸が見えないほどの高さの防潮堤が築かれていた。
奇跡の一本松は防潮堤の端にある気仙川に面する場所に建てられていた。
そのすぐそばには津波で壊れたユースホステルや、対岸には屋上まで津波が襲った中学校が震災遺構として残されていた。
防潮堤の上をしばらく歩いた後、津波伝承館に行って中を見学した。
予定していたバスより1台後のバスまで滞在することにして、道の駅でお昼を食べてから気仙沼に行くことにした。
ただお昼を食べるところが混んでいたし、食欲もあまりなかったので、昼食は気仙沼に行ってから食べることにした。
午後12時半前のバスに乗って気仙沼に向かった。
途中鉄道敷に戻る区間もあったが、また途中から一般道や自動車専用道の三陸道に入ってしばらく走った。
一般車も無料の区間だろうが、BRTが高速道路を走るなどと想像もしていなかった。
気仙沼駅には1時過ぎに到着した。
駅前で食事処を探したが何もなかった。
駅にキオスク風のお店があったが食べたいものは売ってなかった。
14時21分発の2両編成の列車に乗り、朝もしっかり食べたし、持っていたおやつなどを食べながら一関まで向かった。
この区間には渓流釣りの師匠の家がある。
家の近くには砂鉄川が流れていると聞いていたので、摺澤駅と柴宿駅の間を走る間目を凝らして風景を眺めた。
今度の旅については師匠には知らせていない。
一関駅は去年の秋のみちのく釣行できているので少し記憶に残っているが、新幹線の乗り継ぎに10分しかなかったので、急いで新幹線のホームまで行った。
待っている乗客がたくさんいたので、3列席の両端を指定でとったのがまた失敗したかと心配したが、大宮まで空いた席に来る乗客はいなかった。
大宮駅で往きと同様駅弁を買い、北陸新幹線の車内で昼兼夕食を食べた。
無事8時過ぎに帰宅した。
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