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2015年09月30日 (水) | Edit |
今朝もぐっすり眠った後、6時15分前に目が覚めた。ようやく時差ボケも解消してきたようだ。
6時半からレストランが開くというので6時40分ごろ行くと、もう10人以上が食事を始めていた。
朝食のカロリーがかなり高いので、今日は少し控えめにしたつもりだが、食事を食べ終わって見るとかなりお腹が窮屈になっていた。
出発が9時ということで2時間近く時間があったのでホテルの周辺を歩いた。
ホテルの建っている場所が思いのほかカウナスの中心地にあることが分かった。
ホテルの前が路線バスの停留所になっていて多くの人が乗り降りしていた。
ホテルの部屋からの眺め ホテルの前は停留所
名前はわからないが大きな教会があった(後で調べたら聖ミカエル教会)。
菩提樹の並木が、参道のように連なっていたが、教会の近くは改修工事でシートで覆われていて味も素っ気もなかった。
歩いていると同じツアーに参加している2組の夫婦とすれ違った。
ホテルの部屋からライトアップされた教会が見えたそうだ。ジイとバアの部屋からは全然見えなかったが・・・。
聖ミカエル教会と菩提樹の並木 聖ミカエル教会正面
出発の15分前には全員がバスに乗り込んだが、現地ガイドがまだ来ていなかったので、5分前まで出発はできなかった。
最初の市内観光は、二つの川が合流するところに建てられているカウナス城にいった。
今朝は氷点下まで冷えたらしく、川の近くは濃い霧に包まれていたので、城の姿が霧の中にぼんやり見えていて幻想的だった。
現地ガイドさんでも滅多に見たことのない風景だと言っていた。
もともと4つの塔があったらしいが、ドイツ騎士団によって破壊されほとんどその痕跡は残っていなかったが、3年前にようやくいま見えているような形で一つの塔だけが復元されたそうだ。
霧の中のカウナス城
その後は、歩いて市庁舎や市場があった広場に行った。市庁舎は今は結婚式場として使われているとのこと。
カウナス旧市庁舎
ここからさらに歩いて15世紀に建築されたビタウタス大公教会に行った。
ゴシック様式の赤レンガ造りの重厚な外観の教会だった。
川沿いに立っていて、川霧が少しずつ晴れて来て、釣りをしている人たちの姿が見えた。
霧に浮かぶ橋と川面が幻想的だった。
ビタウナス大公教会 釣り人の姿 霧がかかった川
さらに歩いてベルクーナスの家に行った。
15世紀にハンザ同盟の商人によって建造され、その後16世紀になってイエズス会の教会として使われた赤煉瓦造りのゴシック様式の建物だ。
ここには昔、キリスト教以前の地元で信仰されていた雷神ペルクーナスの神殿があったとされているが、現在は図書館として使われている。
ベルク-ナスの家
さらに歩いて聖ペテロ・パウロ教会を入場観光した。
外観はごつい感じだったが、教会内部は豪華な装飾になっていた。
聖ペテロ・パウロ教会の外観 教会内部① 教会内部②
教会の向かいにある麻糸を使った刺繍や衣料品などを売っているお店でトイレを借りた。ここでナベ敷きなどを買った。
バスに戻って、予定にはなかったカウナスの町が一望できる高台の展望台まで行った。
もうこの時には霧もすっかり晴れて市内がよく見えた。
今まで歩いた場所のほか川のそばに建っていたビタウナス大公教会や、朝食後に行った聖ミカエル教会の丸いドームの屋根も見ることができた。
カウナスの街並み 展望台からビタウタス大公教会
展望台からバスで今回のリトアニア・カウナス観光のハイライトである杉原千畝記念館に行った。
第二次世界大戦中、外交官であった杉原千畝氏が領事としての任務にあたっていた旧日本領事館で、当時杉原領事はナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、生命の危機にさらされたポーランドに住むユダヤ人のシベリア鉄道経由での亡命を手助けするために、日本政府の意に反して「命のビザ」とも呼ばれた日本通過ビザの発給をした。
大勢のユダヤ人を救った杉原氏は「日本のシンドラー」とも呼ばれ、日本人として唯一イスラエルから「諸国民の中の正義の人」として表彰されている。
領事館といっても住宅を兼ねた建物なので、思いのほか小じんまりした建物だった。
杉原氏が使っていた机?で記念写真。自分が彼の立場だったらビザを発給しただろうか?
おそらくそこまで決断できなかっただろう。
旧日本領事館 杉原千畝が使った事務机
見学を終えバスに乗ろうとすると、歩道にビニール袋に入れられた日本円1万5千円が落ちていたので、我々のツアーの誰かが落としたのだろうと、添乗員さんに渡した。
全員がバスに乗り込んだところで落とし主を探したが誰も申し出る人はいなかった。
その後新市街まで戻ってきて、昼食となった。
お店の名前はなぜか『ポンペイ』で、最初のスープは、ボルシチ風味で今までのスープの中ではピカイチの味だった。
メインのグリルチキンもまずまずで、旅行社のリサーチの成功例だろう。
ポンペイという名の昼食レストラン ポンペイのスープ ポンペイのグリルチキン
食後は、ポーランドの首都ワルシャワに向けて約400㎞の長い道のりとなる。
バスの中で、お金の落とし主が、同じ昼食レストランにいた別のツアーの人だったことが分かり、無事落とし主にお金が戻ったことが報告された。拾い主のジイとしては胸をなでおろした。
途中リトアニアとポーランドの国境を過ぎた先の建物で、ポーランドの通貨に両替した。
ポーランドではまだユーロは原則使われていないそうだ。勉強不足で知らなかった。
さらに時差がバルト三国から1時間遅れて、一般のヨーロッパの時差に戻った。
午後1時40分にリトアニアのカウナスを出て、ワルシャワのホテルには、20時15分に着いたが、1時間の時差があるので、実際には7時間35分かかって着いたことになる。
ホテルに着いてすぐ、バイキングの夕食を取ってから、部屋に入った。
(バスの移動時間が長かったのでブログまで長くなってしまった?)