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2015年08月14日 (金) | Edit |
昨夜は午前2時ごろまで、二女夫婦と話しこんでしまった。
家づくりのこと、孫たちが抱えている問題など、話は尽きなかったが、さすがに午前様になると疲れてしまった。
朝は6時半ごろムー君、ノム君が起きてきて、起こされた。
昨日の夕食で、最近トマトが大好きになり、いっぱい食べたい、といっていたので、朝一番で畑のトマトを採りに行く約束をしていた。
トマトは残念ながらいっぱいはなかったが、2人に収穫体験はさせることができた。
昨日の雨で、畑の土がぬかるんでいて、靴が泥だらけになってしまったので、洗ってやった。
いい天気とはいえないが天気予報では一日曇りということだったので、11時頃長門牧場に行くため、みんなで家を出た。
二女たちがまだ納車されて間もない7人乗りの新車で来ていたので、それに乗せてもらって1台で出かけた。
途中コンビニに寄ってお昼のお弁当、デザート、飲み物などを調達した。
長門牧場まで自分で運転しないでひとの車に乗せてもらって行く、などというのは初めてのことかもしれない。
長門牧場は今年4回目となるが、今までで一番混んでいた。
アルパカや羊、ヤギなどを見た後、木陰の牧草地に座ってお昼をみんなで食べた。心地よい風が吹いていた。
孫たちは牧場の遊具などで楽しんだ後、トラクターでけん引する荷車に乗って、牧場を一周した。
20分ほどの乗車で500円と少しお高いが310円のソフトクリームや牛乳などの一品と無料で引き換えてくれる引換券付きなので、牧場へ行った目的の一つがここのソフトを食べることだったので、満足できたようだ。
午後1時を過ぎたころから、黒い雲が広がり始めた。
最後にソフトを食べた後、車に乗ろうとしていると雨が降り出した。
長門牧場にて① 長門牧場にて② 長門牧場にて③ トラクターに引かれて牧場一周
ぎりぎり雨で濡れる前に車に乗り、出発すると、しばらくワイパーなしでは前方が見えなくなるほどの降り方だった。
雨は山の上だけかと思ったが、我が家の近くまで雨で道路が濡れていた。
家に戻って間もなく雨も止み時折陽が射すようになった。
家では、恒例のデッキから庭に向かってスイカの種飛ばしに興じた。
今回は、我が家の畑で採れたスイカなので、切ってみるまで中が熟しているか心配だったが、赤実も十分で甘さもまずまずだった。
採った時に切って確認しようと思ったのだが、孫たちの見ているところで丸ごとのスイカを切る方がいいだろうとバアが言うので、今日まで切らずに冷蔵庫に入れておいた。
スイカの種飛ばしに使ったスイカ スイカの種飛ばし
夕食は、昨日も揚げものだったが、今日は畑で採れた野菜を使った天ぷらを揚げた。
カボチャ、ズッキーニ、大葉、ナス、ピーマン、モロッコインゲン、タマネギとニンジンのかき揚げと揚げ切るまでに1時間半かかった。
揚げながら食べ切れないのではないかと思ったが、食べ終わったときにはひとつも残らずなくなっていた。作りがいがあるというものだ。
食事の後は、孫たちは2階の窓から、北御牧や望月、立科など打ち上げる花火を眺めたり、ゲーム機で遊んだりしていた。
今日は安倍首相が戦後70年を迎え談話を発表した。はっきり言ってくだらない談話だった。
村山談話や小泉談話を継承する植民地支配と侵略、痛切な反省、心からのお詫び、という文言が、全部過去の談話でそう言っているから、こうした歴代内閣の立場は、今後もゆるぎない、と付け加えただけだった。
安倍晋三自身がどう思っているかを語らない、ということは、子どもが謝らなければいけない場面でなかなか「ごめんなさい」と自分では言えない子どものようだ。
親に謝りなさいと言われてやっと小さな声で心ならずごめんなさいというようなものだ。
もう一つ、納得いかない言い回しがあった。
「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、その先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」というが、戦後世代が8割になろうが、10割になろうが過去の歴史で日本人が犯した過ちが消え去ることはない。
戦後生まれのジイが、ずっと戦争責任を心に刻んできたのは、過去の日本人の過ちを自らのこととして背負うことで、未来に向かってその責任を果たして行こうと思っているからだ。
安倍首相のように過去の過ちをなかったもののようにしたいとは思わないし、歴史を捻じ曲げて解釈し直そうとしていけない。
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